世界で最初のキリスト教国 アルメニア
アルメニア共和国は、ジョージア、アゼルバイジャン、トルコ、イランと隣接する内陸国です。黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス地方を構成する国の一つで、旧ソ連の構成国の一つでした。
最近では隣国アゼルバイジャンとの領土紛争による軍事衝突が起きたことでニュースにもなりましたね。
現在でも紛争の終結していない国ですが、その歴史は長く、首都エレバンは世界最古の都市の一つです。それでは、アルメニアがどんな国なのか詳しく見ていきましょう。
基本情報
人口
アルメニアの人口は約300万人ですが、アルメニア国外に居住するアルメニア人は800万人以上になると推定されています。
気候
国土の大半が亜寒帯湿潤気候(Dfb)であり、一部地域はステップ気候(BSk)四季も存在します。年間を通して降水量が少なく乾燥しており、気温の年較差が大きいのが特徴。
首都エレバンは盆地に位置しているため標高の割に暑く、夏場に最高気温40度越えを記録したこともあります。逆に冬場は寒さが厳しく、氷点下の日が年平均で100日ほどあり、降雪量は少ないものの一度積もると長い間溶けることがありません。
地理
行政区画
アルメニアの行政区画は首都エレバンを含む11の地方に分けられます。エレバンは100万人超の人口を擁し、これはアルメニアの全人口の3分の1程です。
領土内にアゼルバイジャンの飛び地がいくつか存在し、アルメニアも、アルツヴァシェン村をアゼルバイジャン領土内に飛び地として領有していますが、アゼルバイジャン側が実効支配しています。
地理
アルメニアの国土はアルメニア高原上にあり、平均標高が1800m程で平地はほとんどありません。
最高峰はアラガツ山の4090m、最大の湖セヴァン湖は琵琶湖の1.4倍ほどの大きさで、ゲガルクニク地方の総面積の4分の1を占めています。
周囲を3000mを超える山々に囲まれ、死火山や大地で構成された国土は野菜や穀物などの栽培に適した火山性の土壌です。また、造山運動*1が活発なため、日本と同様に頻繁に地震が発生しています。
ナゴルノ・カラバフ
ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャンに囲まれた地域で、住民の大半がアルメニア人で占められている地域です。
アルメニアの一部とされていますが、旧ソ連崩壊にアルツァフ共和国としてアゼルバイジャンから独立を宣言しました。しかし、国際社会からは認められておらず、アルツァフ共和国を国家承認している主権国家はありません。
30年以上にわたってアルメニアとアゼルバイジャンの間での領土紛争の舞台となっており、近年では、2020年に本格的な軍事衝突が発生しました。
この戦闘はアゼルバイジャン側が事実上勝利し、一部領土をアゼルバイジャンに返還する結果となりましたが、あくまで停戦に至っただけであり、ナゴルノ・カラバフの帰属などの問題については解決していません。
歴史
先史時代
アルメニアは世界最古の国の一つと言われており、四大文明の一つ、メソポタミアの一部として文明の発祥地ともされています。
この時代アルメニア高原には、ハヤサ・アジ族と言う先住民が居住しており、インド・ヨーロッパ系のアルメン人が移住して来るまでこの地を支配していました。
このアルメン人と、先住民が混じり合い現在のアルメニア人が誕生、その後高度に発達したアララト王国*2が成立し、数百年間続く王国となります。
BC190年〜
その後、いくつかの王朝の支配を経て、紀元前190年にアルメニア王国が誕生。1世紀頃には別王朝のアルメニア王国が誕生し、301年に世界で初めてキリスト教を国教として定めます。
その後、ビサンツ帝国やペルシアなどからの侵略で、何世紀にも渡って別の民族の支配下に置かれることとなりました。
しかし、そんな中でもアルメニア人たちは独自のアイデンティティを維持し続け、発展させてきました。
19世紀〜
当時アルメニア人を支配していたオスマン帝国は、当初アルメニア人に一定の自由を与えていたものの、政治的、文化的問題によりアルメニア問題が発生。その結果、アルメニア人に対する民族浄化に発展、各地で虐殺が行われました。
20世紀になり、実権を握った青年トルコ党は第一次世界大戦の最中、アルメニア問題の解決策として大虐殺を決行、150万人以上が犠牲になったとされています。
この事件は、現代のアルメニアートルコ間の対立の要因となっており、未だに大きな問題として尾を引いています。
1918年にアルメニア第一共和国が現在のアルメニアの位置に成立するも、わずか2年でソ連に編入、71年間その統治下にありました。
1991年〜
1991年9月21日、ソ連の崩壊に伴いアルメニア共和国として独立を果たします。独立前から紛糾していたナゴルノ・カラバフ問題が本格化、その帰属をめぐる対立は現在に至るまで続いています。
情勢
治安は比較的良好で、凶悪犯罪も少なく最低限の防犯対策をしていれば犯罪に巻き込まれる可能性は少ないと言える安全で平穏な国です。
ただ、隣国アゼルバイジャンとの緊張状態はいまだに続いているので、国境付近や、紛争当該地域のナゴルノ・カラバフ地方にはなるべく近づかないのが賢明でしょう。
経済
アルメニアの一人当たりのGDPは世界平均の半分以下で、経済的に豊かな国ではありません。鉱物資源が豊富なため、金や銅など鉱石類が主な輸出品です。
農業や畜産業も盛んで、果物類、野菜類、穀物類をそれぞれ栽培しており、畜産業に関しては、肉牛や乳牛の他、山岳地帯では羊の飼育も行われています。
ロシアが最大の貿易相手国で、アルメニア内の企業はロシア企業の傘下にある企業も多く、旧ソ連から独立した今でも経済的な依存状態を拭いきれていません。
エネルギー
アルメニアはエネルギー資源に乏しく、石油や天然ガスが主な輸入品で、国内の電力の半分近くを設計寿命を過ぎたメツァモール原子力発電所に頼っている状況です。
メツァモール原子力発電所は世界一危険な原発とも言われており、地震国である故大事故が発生する危険性があり、世界各国から停止要請が届いています。
しかし、アルメニアは隣国のアゼルバイジャンやトルコと険悪な関係性で、エネルギー資源に乏しいため、この原発を止めるわけにはいきません。
この状況の脱却のため、アルメニア政府が推し進めているのが、日射量の多い土地柄を生かした太陽光発電の導入です。国内最大の太陽光発電所の建設を始めるなど、着々と電力問題解決のための準備を行なっています。
文化
宗教
アルメニアは301年に当時のアルメニア王国が世界で初めてキリスト教を国教として定めました。メインの宗派はアルメニア使徒教会で、これはアルメニアで生まれた独自の宗派です。
この宗派の特徴としては
・シンボルである十字架にイエス・キリストが描かれていない
・クリスマスが1月6日
などがあります。
料理
アルメニアの料理は歴史上この地域を支配した国々の影響を受けており、ハーブが使われている料理が多いのが特徴。
代表的な料理としては、アルメニアの伝統的なパンラヴァッシュ、ひき肉や米などをスパイスでまぶしてキャベツの葉で包んだドルマ、カボチャの中にドライフルーツや米などを詰めて柔らかくなるまで焼くガパマ、小麦と鶏肉などの肉類を混ぜてバターを溶かしてお粥のようにするハリッサなど。
また、アルメニアはワインの発祥の地*3と言われており、ブランデーの製造などが盛んです。
スポーツ
アルメニアはレスリングや重量挙げの強豪国で多くのメダリストを輩出しています。そのため、旧ソ連時代のレスリング選手の代表には多くのアルメニア人が選ばれていました。サッカーも人気のスポーツですが、まだW杯への出場経験はありません。
また、チェスが非常に盛んで、数多くの選手がいくつもの大会で好成績を収めている世界最強豪国の一つです。さらに2011年にチェスを義務教育に取り入れ、単なるスポーツとしてだけでなく、論理的思考や戦略的思考の発達に役立てています。
観光地
渡航基本情報
アルメニアの空の玄関口となるのはズヴァルトノッツ国際空港。日本からの直行便はなく、ドーハやドバイを経由して行くこととなります。ジョージアやイランから陸路での越境も可能。
アルメニアの首都にして、多くの旅行者にとってアルメニア旅行のスタート地点となる街。世界最古の街の一つと言われるだけあって、歴史と文化を感じさせる街です。
アルメニアの歴史を知れるアルメニア人虐殺記念館や、国内では数少ないブルーモスクなど、歩いて散策できる範囲に観光地が密集しています。
郊外に足を伸ばせば世界遺産のゲガルド修道院やヘレニズム様式の建築物が残るガルニ神殿などが日帰りで行ける距離に点在。
ギュムリ
アルメニア第二の都市ギュムリは19世紀に建てられた黒基調の建造物が特徴。建築当時の建物がそのまま残っており、本格的なアルメニア建築が見られます。
丘の上に建つブラックフォートレスはその名の通り黒い外観の要塞で、ギュムリの街を一望可能なロケーションです。
ハフパット修道院
ハフパット修道院は、10世紀に建設された世界遺産に登録されている修道院です。地震や戦争に見舞われながら、1000年以上その姿を維持し続けている数少ない建造物の一つ。
規模は大きくないものの、当時の様子を窺い知れる歴史的な価値が高く、観光地としても魅力的な場所です。
国際関係
アルメニアはロシアと同盟を結んでおり、経済面、軍事面などロシアに依存傾向にあるのが現状です。
アルメニアは独立後もロシアとの関係性を維持する道を選び、隣国のアゼルバイジャンやトルコと敵対関係にあることから、脱ロシアを目指しているものの安全保障的な意味合いでもこの関係を簡単に切ることはできません。
ジョージアとの関係性は良好とは言えないものの、歴史的、文化的に近しい面もあることから兄弟国のような関係です。
アゼルバイジャン・トルコとの関係
アルメニアはアゼルバイジャン、トルコと長い間対立状態にあります。
アゼルバイジャンとは、ナゴルノ・カラバフの帰属をめぐって両国の独立以降対立し続けています。この対立は紛争にも発展しており、2020年の軍事衝突では、両軍多数の死者を出し、アゼルバイジャン側の事実上勝利という結果で停戦に至りました。
トルコとは、オスマン帝国時代のアルメニア人虐殺に対する歴史認識をめぐって対立、国境も封鎖されています。トルコはアルメニアを国家承認しているものの、外交関係は樹立していません。
しかし、2022年に入ってから、国交正常化に向けた協議を開始し、関係改善に向けた一歩を踏み出しました。
まとめ
アルメニアは隣国とのいがみ合い、領土紛争など、後世の歴史に残るであろう出来事が現在進行形で起こり続けています。
古くから続く豊かな歴史と文化を保ちつつ、様々な問題の解決に少しずつ進み続けるこの国が、将来どんな状況になっているのかとても興味深いです。
同時に、古き良きものを残しつつ、今よりも平和で穏やかな国であることを願っています。
かつての経済大国 アルゼンチン
南アメリカ大陸南部に位置するアルゼンチン共和国は、チリ、ボリビア、ブラジル、ウルグアイ、パラグアイ、と国境を接する世界で第8位の面積を誇る国です。広大な国土は地域によって異なる様相を見せ、南極への玄関口となる街もあります。また、アルゼンチンと言えばサッカー大国というイメージを持つ人も多いのではないでしょうか。
日本の反対側にある国で、かつては世界トップクラスの経済大国でした。首都のブエノスアイレスは南米屈指の大都市であり、南部に広がるパタゴニアは圧巻の自然を感じられる広大な大地です。パタゴニアのみならず、地域によって異なる自然景観の中には、目を奪われるような絶景が数多く存在します。そんな大都市と大自然が共存する国の姿と魅力について、みていきましょう。
基本情報
気候:国土が南北に長く、大きく分けて亜熱帯気候、砂漠気候、温帯気候、寒帯気候の4つ気候帯に区分されます。首都ブエノスアイレスを含む北部沿岸部は温暖湿潤気候(Cfa)、パタゴニアは偏西風がアンデス山脈に遮られることによって乾燥しており、区分としてはステップ気候(Bsk)です。そして、アンデス山脈や南端はツンドラ気候(ET)となっています。
アルゼンチンでは、過去に最高気温49.1℃、最低気温マイナス39℃が観測されており、それぞれ南アメリカ大陸における観測史上最高気温、最低気温です。
地理
アルゼンチンの地域区分は、は23の州と特別区である首都のブエノスアイレスに分けられます。隣国との国境はたいてい山脈や河川などによって隔てられた自然的国境です。また、マルティン・ガルシア島というウルグアイ領海内にある島の飛び地として領有しており、かつてはウルグアイとの領土係争地でした。
アルゼンチンの地理的特徴は地域によって異なります。また、南米最高峰のアコンカグア(6960m)、流域面積が世界第4位のラプラタ川、世界第3位の面積を誇る氷原の南パタゴニア氷原など規模の大きい自然景観が数多く存在。
国立公園も数多く存在し、世界遺産にも登録されているイグアス国立公園は南米で最初に指定された国立公園です。自然保護に力を入れている一方、地震や洪水などの自然災害、大気汚染や砂漠化などの環境問題も抱えています。牛肉大国であり、肉牛の生産過程で発生する温室効果ガスも大きな課題の一つです。
アルゼンチンは地理的に6つの地域に区分され、それぞれの地域で異なる特徴があります。
パタゴニア
有名なアウトドアブランド・パタゴニアの由来となった地で、アンデス山脈に隔てられているためアルゼンチン側とチリ側で環境が異なっており、アルゼンチン側は台風並みの強風が吹き、乾燥した半砂漠地帯であることが大きな特徴です。南緯40以南の地域をパタゴニアと呼び、アルゼンチンの総面積の4分の1ほどを占めています。
パタゴニアの乾燥地帯は雨陰砂漠と呼ばれ、雨陰*1が乾燥の原因となる砂漠のことを言い、アンデス山脈を挟んでチリ側は湿潤な気候となっているのも雨陰砂漠の特徴です。
ちなみにアルゼンチン北部でも同様の現象があるものの立場が逆転し、チリ側が乾燥してアタカマ砂漠を形成しています。
多くの国立公園や南極への玄関口となる街ウシュアイアもこの地域にあり、氷河の作り出した絶景、無数のハイキングコースなど大自然の生み出した見どころにつきません。
パンパ
アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルにかけてまたがる草原地帯で、温暖湿潤気候の湿潤パンパとステップ気候の乾燥パンパに区分され、ブエノスアイレスはこの地域の中心に位置しています。
平坦な草原地帯で、肥沃な土壌も持っているため、アルゼンチンの農業の中心地であり、アルゼンチンの人口の過半数がこの一帯に集中しており、工業生産の大半も行われている、アルゼンチン経済の中心地です。
グラン・チャコ
北東部のブラジル、ウルグアイ、ボリビアとまたがる亜熱帯の乾燥地帯です。洪水と旱魃を繰り返す地域で、人口希薄地帯で野生動物が多く生息しています。
メソポタミア
高温多湿な沖積平野*2で、場所によっては年間降水量が2000mmを超え、気温が40℃に達することもある地域です。冬も基本的に温暖ですが、稀に南からの寒気団の影響で気温が氷点下を下回ることもあります。
クージョ
中西部に位置するクージョは気温の日較差の大きい国内で最も乾燥した地域です。南米最高峰のアコンカグアをはじめ、観光資源に恵まれており、また乾燥している地域特性を活かしてブドウ栽培を行っており、ワインの名産地でもあります。
北西部
文字通り北西部の地域を指し、アンデス山脈の高山、肥沃な渓谷地帯、高原など地域内でも特徴が異なります。温暖で乾季と雨季があり、国内でも特にケチュアやアイマラなどの先住民が多く居住し、文化的にその様相がよくみられる地域です。
ウシュアイア
フエゴ島にある世界最南端の都市と言われているウシュアイアは、南極への玄関口ということもあり、観光客で賑わう街です。しかし、現在は最南端の都市ではありません。ウシュアイアより南に位置するチリのプエルトウィリアムズが2019年に市に昇格したことで、世界最南端の都市はこちらに変わりました。ちなみに、さらに南にプエルトトロという集落もあり、民間人の居住する集落としてはこちらが最南端です。
歴史
15世紀後半〜
インカ帝国の一部であったアルゼンチンは16世紀にスペイン人に発見されて以来、植民地化が進んでいきます。インカ帝国は最初こそ侵略に対し抵抗していたものの、最終的には敗北、最初の接触から十数年でインカ帝国は滅亡しました。
19世紀〜
イギリスが2度に渡って侵攻を試みるものの、アルゼンチン側はこれを撃退。その後、1810年にブエノスアイレスにてアルゼンチンの独立運動の発端となる五月革命が発生、1816年に正式に独立を宣言します。この時南米連合州として独立したため、その領土は現在のウルグアイなども含まれており、独立後も国内における幾つかの派閥による内戦状態にありました。
1861年にようやく内戦が終結し国家が統一、国の方針として西欧化に舵を切り多くのヨーロッパ人が移民として大量に移住してきたことで、現在のアルゼンチンは国民の8割以上を白人で占める民族構成を形成しています。この時期に農作物の輸出によって著しい経済発展を遂げました。
当初、一部支配層による寡頭支配が行われていましたが、民衆はこれに反発、徐々に民主化が進み政治が安定、経済も良好な状態を維持しており、1920年代には世界トップクラスの経済大国となりました。
1929年(世界恐慌)〜
1929年、世界規模で発生した世界恐慌の煽りを受けアルゼンチンは徐々に政情不安に陥ります。その後は、大統領に就任したホセ・フェリクス・ウリブルがファシズム体制を敷こうとして失敗したり、イギリスに植民地のような扱いを受けたりと、1930年代は「忌まわしき10年間」と呼ばれる時代でした。
1940年〜
第二次世界大戦時、中立国としての立場をとっていた中フアン・ペロン大佐が政治的に台頭、1946年に大統領に就任します。しかし、彼の人気の根幹とも言える妻のエバ・ペロンが亡くなるとともに体制は不安定化。フアン・ペロンの政策は労働者にとって聞こえの良いポピュリズムであり、これが後に経済的に不安定な状況に陥る原因となります。その結果、フアン・ペロンは軍部によるクーデターによって追放されるも、政情不安定な状態が続きました。
1973年フアン・ペロンは帰国し再び大統領に返り咲くも病死。後妻のイザベル・ペロンが跡を継ぐも、失政を重ねハイパーインフレを引き起こし、軍部のクーデターによってかつての夫と同様に追放されました。
1976年〜
1976年、実権を握った軍部は反体制派を徹底的に弾圧。「汚い戦争」と称された一連の事件はいジャーナリストや活動家を中心に犠牲者は万単位に上っています。1982年に勃発したフォークランド紛争*3をきっかけに、すでに瓦解寸前であった軍事政権は崩壊、アルゼンチンは再び民主統治へと戻りました。
2000年〜
2000年以降も経済状況は安定せず、2001年、2014年、2020年と三度のデフォルトを行なっています。
政治面では20世紀と比較すると安定し、2007年にはクリスティーナ・キルチネルが大統領選に勝利し、アルゼンチンで初の選挙による女性大統領が誕生しました。また、2013年にはフランシスコがアメリカ大陸初のローマ教皇として選出されています。
唯一の衰退国
アメリカの経済学者クズネッツは「世界には4つの国しかない、先進国、発展途上国、日本、アルゼンチンだ」という言葉を残しています。日本は世界で唯一途上国から先進国の仲間入りを果たした国で、対照的にアルゼンチンは世界で唯一先進国から途上国に衰退した国です。
アルゼンチンは20世紀前半に移民の増加による労働力の安定と農作物輸出によって一気に経済大国へと躍り出ました。当時は日本の2倍以上のGDPを誇り、国情は安定していたもののそう長くは続きません。
経済基盤が農業一本のモノカルチャー経済*4であったため、アルゼンチン経済は徐々に陰りを見せ始め、そんな中世界恐慌が発生、直接的な影響はさほど大きくなかったものの、停滞した経済を立て直せず、結果的にこれをきっかけに衰退期に突入してしまいました。
結局現在に至るまで、かつての経済大国であった頃のように経済状況を持ち直せず、唯一先進国から衰退した国家とされています。
情勢
アルゼンチンの治安はそこまで悪いわけではないものの、特に首都ブエノスアイレスなどの都市では窃盗や強盗に注意が必要です。旅行の際は夜遅くに出歩いたり人通りの少ない場所にむやみに立ち入ったりしないなど、最低限の防犯対策を心がけましょう。
経済
国名が銀の国という意味の通り、銀をはじめとした鉱物資源に恵まれており、銀やアルミニウムなどを輸出しています。その他にも牛肉やワイン、とうもろこしや大豆などの食品も主な輸出品目で、主要な貿易相手国は近隣国のチリやブラジル、EU諸国や中国です。
経済状況は不安定で、近年もアルゼンチンペソの価値は年々下落の一途を辿っています。具体的には、5年前の2017年には1USドルあたり17ペソ程度だったのが、現在では1USドルあたり115ドルペソ程です。また、去年の同時期と比較して物価上昇率55%と物価のインフレ具合からも経済の不安定さが伺えます。
デフォルト
アルゼンチンは2020年にデフォルト*5に陥り、これは通算で9回目のデフォルトとなりました。アルゼンチンは世界の国々の中でも特にデフォルトの回数が多く、昨年は10回目のデフォルトをなんとか回避できたものの、依然として今後の見通しが不透明な状況が続いています。
文化
アルゼンチンの文化はヨーロッパからの影響が大きく、首都のブエノスアイレスはヨーロッパのような街並みから南米のパリと称されるほどです。
民族
アルゼンチン人の大半はヨーロッパ系の白人で、特にイタリア系やスペイン系が多いです。これは19世紀にヨーロッパからの移民が大量に流入し、元々住んでいた黒人やインディヘナなどが近隣諸国に移住していったことに起因します。
また、彼らヨーロッパ系白人の過半数は先住民にもルーツを持つ、ヨーロッパからの移民と先住民の間に生まれた子の末裔です。
ちなみに、現ローマ教皇サンフランシスコはアルゼンチン人でブエノスアイレス出身。
料理
アルゼンチンと言えば肉料理。アサードと呼ばれるバーベキューは、牛肉をメインにラム肉や豚肉などを豪快に焼いて塩を振って食べるアルゼンチンを代表する国民食。ガウチョと呼ばれるパンパで牧畜を営んでいた民族が牛肉を食べて生活していたことに由来する料理です。
飲むサラダと言われているマテ茶は古くから国民に愛されている飲み物。複数人で飲み回す、先住民の文化が今でも受け継がれています。
菓子パンの一種であるエンパナーダは、ジャムやシナモンを詰めたデザートとして食べられるもの、肉類や野菜を入れスパイスを効かせたものもあり、アルゼンチン全土で食べられている料理の一つです。
その他、アルゼンチン料理は地域によって異なる多彩な食材が使われ調理法も異なります。また、ヨーロッパにルーツを持つ料理も多数。
スポーツ
サッカー大国で、ワールドカップやオリンピックをはじめ数多くの国際大会で優勝した実績のある、常にFIFAランキングで上位に位置する強豪国。ディエゴ・マラドーナやリオネル・メッシなど数多くの名だたるサッカー選手を輩出しています。
馬に乗ってボールを奪い合うパトはアルゼンチンの国技。取っ手のついた皮に入ったボールを使う競技で、元々はガウチョが仕事の合間に遊んでいたものがスポーツとして発展しました。
19世紀にブエノスアイレスで生まれたタンゴは、ヨーロッパからの移民、先住民、アフリカからの奴隷などが共存する中で彼らの文化が混ざり合ったダンスで、労働者階級の間で広まっていきました。
アルゼンチンの文化形成に貢献し、現在ではアルゼンチンを象徴する伝統として世界中に広がっています。
観光地
渡航基本情報
日本からの直行便はなく、基本的に北米を経由することとなり、最低でも丸一日はかかります。空の玄関口となるのはブエノスアイレス近郊にあるエセイサ国際空港。その他いくつかの地方都市も国際空港があり、近隣の南米諸国から乗り入れることが可能。チリやボリビアからはバスなどを利用して陸路での入国も可能です。
アルゼンチンは見どころがとても多い国で、多くの観光客が訪れます。特に圧倒的なスケールの大自然。熱帯林から砂漠、氷河と地域によって全く異なる自然の姿が形作られています。
ナイアガラの滝、ヴィクトリアの滝と並んで世界三大瀑布の一つである世界遺産に登録されているイグアスの滝。ブラジルとの国境沿いにあり、ブラジルとアルゼンチンのどちらからでも訪問可能。約4kmに渡って、150以上の連なる滝は毎秒65000トンもの水を放出、最大落差80mを越える悪魔の喉笛と呼ばれる一番の名所は、圧巻のスケール。
滝以外にも、トレッキングコースや周囲のジャングルに生息する生物たちも大きな見どころです。
ウマワカ渓谷
アルゼンチン北西部、フフイ州にある渓谷で、7色の断層が大きな特徴。南米のグランドキャニオンとも呼ばれ、2003年に世界遺産に登録されました。
古くからキャラバンロードとして重要な地域で、現在でも周囲には集落が点在しています。また渓谷内にあるオルノカルは、7色どころか14色の丘と呼ばれておりウマワカ渓谷における特に見応えのあるの景勝地です。
南米のパリとも称される首都ブエノスアイレス内には多くの見どころが点在しています。タンゴ発祥の地であるボカ地区、その中にあるカラフルな街並みのエリア・カミニート、街の中心地とも言える五月広場、著名人や有名人が埋葬される美しい墓地・レコレータ墓地など歴史と文化を感じられます。
大自然が生み出す絶景が盛りだくさんのパタゴニア。トレッキングやラフティングができる、ロス・グラシアレス国立公園は世界遺産にも登録されている氷河の絶景。
パタゴニアの氷河は南極、グリーンランドに次いで世界第3位の規模と言われており、特にペリト・モレノ氷河は現在でも活発に活動する氷河で人気の観光名所の一つ。
最南端の街、ウシュアイアも多くの観光客の訪れる地でブエノスアイレスから飛行機で約3時間で訪問できます。南極へのツアーもここからスタート。パタゴニアは自然好きなら一生に一度は訪れてみたい場所ではないでしょうか。
国際関係
アルゼンチンはチリやボリビアなどの近隣諸国と歴史上争った過去があるものの、現在ではその関係性を重視しており、主要な貿易相手でもあります。ブラジルやパラグアイなどと共にメルコスール*6の一員でもあり、経済的な繋がりが強いです。
その中では文化的に近しいウルグアイとは特に良好な関係性で、ヨーロッパ諸国においては、イタリア系の民族が国民の過半数を占めることからイタリア、言語が共通しており、アルゼンチン人の出稼ぎや移住先としても人気のスペインとの関係性が特に深いです。
外交的には西側諸国とも中国ともバランスの良い関係性を維持する方針をとっています。
領土係争地:フォークランド諸島(アルゼンチンーイギリス)
まとめ
アルゼンチンは圧巻の大自然と豊かな文化の共存する魅力溢れる国です。人々は愛国心が強く、その文化に対する情熱と誇りを常に忘れることはありません。
日本の裏側にあり、物理的に遠い国ですが時間をかけて訪れる価値は十分にあると思います。自然、文化、料理、人々などどの面においてでも日本とは全く違う魅力を感じられるはずです。
オンラインカジノ生誕の地 アンティグア・バーブーダ
カリブ海に浮かぶ小さな島国、アンティグア・バーブーダは小アンティル諸島を構成する国で、英連邦王国*1の一つです。周囲は、セントクリストファー・ネービスや英領モントセラトなど同様の小さな島国に囲まれています。
アンティグア島とバーブーダ島の大きな二つの島と、無数の小島で構成されており、美しいビーチが無数に存在する南国です。
日本人にとっては、遠く離れた小さな島国であまり馴染みのない国かもしれません。では、種子島ほどの面積のこの島国が実際にはどんな国なのか見ていきましょう。
基本情報
気候:熱帯雨林気候(Af)に区分され、年間を通して平均最高気温が30℃前後と温暖な常夏の国です。熱帯気候の割に降水量が少なく、湿度が低くカラッとしていますが、時々ハリケーンが襲来します。
2017年に発生したハリケーン・イルマは甚大な被害をもたらし、特にバーブーダ島では95%ほどの家屋が損壊したという壊滅的な被害を受けました。その後に別のハリケーンも接近してきたこともあって、島民全員がアンティグア島に一時避難、バーブーダ等は約300年ぶりに無人となりましたが現在ではその多くがバーブーダ島に戻っています。
地理
島は全体的に平坦な地形をしており、最高峰はかつての火山の噴火口跡であるボギー山の402m。島の周囲には、珊瑚礁やラグーンなど美しい海が広がっており、豊かな海洋生態系を形成しています。
北東からの貿易風*2が常に吹いていますが、標高が低いため降水量は少なく、旱魃が発生することも珍しくありません。
国内には河川がほとんどなく、水資源の不足が大きな問題です。湖沼の水や雨水を貯水して利用していますが、十分な量を確保できていません。
行政区画
アンティグア・バーブーダの大きな行政区画は、6つの教区+セントジョーンズの7教区と二つの属領(バーブーダ島、レドンダ島)です。また、いくつかの都市は複数の教区を跨っているものもあります。
レドンダ島
アンティグア島南西50km程の、モントセラトとセントクリストファーネービスの間に位置する島です。
かつてはリン鉱石の採掘が行われていましたが、第一次世界大戦中に停止し、現在に至るまで無人島となっています。島には固有種が存在し、いくつかの海鳥の繁殖地ですが、ヤギやネズミによってその生態系が脅かされていました。そこで、環境保護団体が2016年にネズミやヤギの駆除を実施、その成果は着実に出ており、固有の生態系が少しずつ回復しつつあります。
歴史
アンティグア島は1493年にクリストファーコロンブスによって発見され、スペインのセビリアにあるサンタ・マリア・ラ・デ・アンティグア教会にちなんで名付けられました。
島の原住民はヨーロッパからの侵略に1世紀以上抵抗し続けたものの、17世紀になってついにイギリスからの入植を許し、その後砂糖の生産地としてスペイン、フランス、イギリスとヨーロッパ諸国の植民地となり、バーブーダ島も1678年に植民地化されています。この時、労働力としてアフリカから奴隷が連れてこられ、現在のアンティグア・バーブーダ国民の多くは彼らの子孫です。
18世紀末になると、アンティグア島は戦略上の重要拠点と見做されるようになり、主要航路の拠点として「カリブ海への玄関口」と呼ばれ要塞などが建設されました。
1834年にイギリスが奴隷解放を行い、アンティグア島の経済状況は徐々に改善されていきます。しかし、元奴隷の人々の生活は依然苦しく、結局劣悪な環境で働くことを余儀なくされていました。
1967年、自治権を得て周囲のカリブ諸国と連携を図りいくつかの組織を結成、現在でも東カリブ諸国機構(OECS)として存続しています。そして、1981年に完全な独立を果たしました。
情勢
治安面について、とりわけ悪いわけではありませんが多くの途上国と同様にスリや窃盗などの軽犯罪がそれなりに発生しており、観光客を狙った犯罪も少なくありません。
経済
アンティグア・バーブーダはオンラインカジノが始まった地として知られており、1994年に世界で初めて政府が公式にライセンスを発行しました。そして現在でも、アンティグア・バーブーダにとってオンラインカジノ事業は経済を支える大きな収入源です。
観光業も盛んであり、リゾート地として主に欧米から多くの観光客が訪れています。貿易相手国としてもEU諸国や米国の占める割合が高く、日本も自動車の輸入先として重要な貿易相手国の一つです。
使用されている通貨の東カリブドルは、1米ドル=2.7東カリブドルの固定相場制を採用しているのが大きな特徴。
軍事
アンティグア・バーブーダ軍は総勢250人程度と、世界最小の軍隊です。主な役割は国防ですが、1983年のグレナダ侵攻ではアメリカ側として参戦しました。
ちなみに国内では軍人以外が迷彩服を着用するのは違法で、これは外国人も同様なので、観光の際は迷彩柄の服を着ないようにしましょう。
文化
料理
アンティグア・バーブーダの国民は西アフリカから奴隷として連れてこられた人々の末裔であることから、料理も西アフリカからの影響が大きいです。その他、旧宗主国のスペインやイギリス、またインドや中国からの影響も見られます。
とうもろこしやオクラをソテーにしたフンジーは、朝食や夕食としてよく食べられるアンティグア・バーブーダの国民食。バナナの葉にさつまいもやココナッツ、さまざまな調味料や香辛料を入れたドゥカナも伝統的な料理で、西アフリカに由来のある料理です。
スポーツ
国内では、クリケットが非常に人気で盛んなスポーツです。周辺国と合同で西インド諸島代表としてワールドカップなどの国際大会に参加して好成績を収めた実績があります。
サッカーも人気スポーツの一つで、アメリカ下部リーグに所属するプロチームも存在しますが、今のところW杯本戦へは出場していません。
音楽
料理と同様に、西アフリカをイメージさせるスタイルや雰囲気があります。また、トリニダード・トバゴの音楽が輸入されており、同国発祥の打楽器であるスティールパンが演奏に使われ、カリブ地域の代表的な音楽ジャンルであるカリプソはアンティグア・バーブーダ内でも広く浸透している音楽の一つです。
観光地
渡航基本情報
アンティグア・バーブーダの玄関口となるのはVCバード空港。日本からの直行便はなく、マイアミやトロントを経由することとなり、現地到着まで丸一日以上かかります。周囲の島々を含め、簡単に行ける場所ではないため訪れたついでにいくつかの島をアイランドホッピングするのも良いかもしれませんね。
国内の見所をいくつかご紹介
ハーフムーンベイ
アンティグア島南東部にあるビーチで、白い砂浜とカリブの青い海で海水浴やシュノーケリングを楽しめます。穴場的なビーチで、周囲は木々で囲まれ小さなレストランやカフェがいくつかあるだけなので、のんびりとした時間を過ごせるのではないでしょうか。
フォートジェームス
18世紀に築かれた要塞の一つで、首都・セントジョーンズを見渡せる岬に位置しています。当時築かれた要塞の中でも最大級のものの一つで、残っている大砲や建物の基礎、周囲を見渡せる眺望が見所です。
セントジョーンズ
首都のセントジョーンズは、クルーズ船の寄港地として人気の都市であり、ショッピングや街歩きが楽しめます。ネオバロック様式*3の塔を擁するセントジョン大聖堂や、カリブの歴史を知れるアンティグア・バーブーダ博物館など見所もたくさん。
入国の玄関口で、旅の拠点になることも多いと思うので1日散策に当ててもいいですね。
国際関係
アンティグア・バーブーダは諸外国との紛争や領土問題は特になく、多くの国際機関に加盟しており、多くの国と外交関係を維持しています。経済面では英米とのつながりが強く、ベネズエラも最大のビジネスパートナーの一つです。
東カリブ諸国とはいずれの国とも良好な関係を保っており、カリブ共同体(CARICOM)などの国際機関を通して経済や外交面での結びつきは非常に強く、密接な協力関係を築いています。中でも最近隣国であるセントクリストファー・ネービスとは、互いにかつて英領であったことなど類似点も多く特に親密な兄弟国のような関係性です。
まとめ
アンティグア・バーブーダはリゾート地として、またハネムーン先として特に欧米人に人気の国です。日本とはあまり接点がなく、距離も離れているのでどんな場所か想像しづらいかもしれません。カリブ海に浮かぶとても美しいこの南国の魅力を実際に確かめに行ってみてはいかがでしょうか。
物価の高さが世界一? アンゴラ
アフリカ大陸南西部に位置するアンゴラ共和国は、ザンビア、ナミビア、コンゴ民主共和国そして飛び地とコンゴ共和国が接している共和制国家です。首都ルアンダは世界一物価が高く、生活費が東京以上にかかると言われています。
20世紀は内戦で荒廃し、内戦終結後の21世紀初頭には石油やダイヤモンドなど豊富な資源をもとに急速な経済成長を遂げました。
しかし現在でも貧富の差や地雷の残存などによる治安の悪さから、不安定な面を拭いきれていません。そんなアンゴラが、実際にどんな国なのかみていきましょう。
基本情報
気候:国土の北部および内陸の北東部は雨季と乾季に分かれたサバナ気候(Aw)、南部や首都ルアンダを含む沿岸部はステップ気候(BSh)が広がり、ベンゲラ海流の影響で降水量が少ないです。また、国土の内陸中央部、上記の二つの気候の間は温暖冬季少雨気候(Cwa)となっています。
地理
日本の3.3倍ほどの国土の地形は大まかに平野の広がる沿岸部、沿岸部から内陸にかけての標高500m程度の丘陵地、標高1000mを超える内陸部の高地の3つに分けられます。
赤道に近い低緯度に位置していますが、付近を流れる寒流のベンゲラ海流の影響で、沿岸部は降水量の少ないステップ気候となっており、特に夏場はほぼ降雨がみられません。
国内には多くの河川が流れており、その多くが国土中央部の高原地帯を源流としています。その多くが大西洋側に注ぎ込み、灌漑用水や水力発電に利用することが期待されていましたが、現状実現しているのは一部の河川のみです。
北部にコンゴ民主共和国とコンゴ共和国に挟まれた飛び地・カビンダがあり、サバナ気候に属し、熱帯林が広がっています。また、産油地域であり、アンゴラ経済にとって重要な地域です。
葉脈のように広がる河川
アンゴラ東部のモヒコ州を衛星写真で見ると、葉脈のような地形をしているのがわかります。これは河川が複雑な広がりを見せていることで、葉脈のように見えているものです。また、この地域には部族の集落が点在しており、泥でできた壁と藁葺き屋根の家屋が見られます。
歴史
14世紀以前のアンゴラの歴史はいまだに不透明な部分が多く、1世紀頃にバントゥー系のアフリカ人が居住していたとされますが、そのほかの詳細は不明です。14世紀に現在のアンゴラ北部を含む周辺一帯にコンゴ王国が成立しました。
15世紀にポルトガル人探検家ディオコ・カンがコンゴ王国にやってきたことで、ポルトガル王国と対等な国交を結び、ポルトガルの文化を積極的に取り入れはじめます。しかし、ポルトガル王国はここを奴隷貿易の供給地とみなし、コンゴ王国は徐々に荒廃していきました。
16世紀にポルトガル領アンゴラが現在の首都ルアンダに成立、奴隷貿易はさらに加速して、数百万人もの奴隷が南米各地に送られたと言われています。
その後、数百年に渡りアンゴラはポルトガルの植民地となりますが、第二次世界大戦後アフリカ全土で脱植民地の機運が高まり、1961年にアンゴラ独立戦争が勃発。1974年にポルトガルでカーネーション革命*1が発生したのを機にアンゴラ人民共和国として独立を果たしました。
独立を果たしたものの、ソ連の支援するアンゴラ解放人民運動(MPLA)と、アメリカの支援するアンゴラ全面独立同盟(UNITA)、中国、フランスが支援するアンゴラ国民解放戦線(FNLA)との間で内戦が勃発。これは朝鮮戦争などと同様の冷戦時代における代理戦争の一つです。
冷戦終結に伴い、政権を握るMPLAは社会主義体制から路線を変更、1992年にアンゴラ共和国となりました。
内戦は飛び地のカビンダを除き2002年に終結、その後はダイヤモンドや原油の輸出によって急速な経済成長を遂げたものの、地雷が全土に残っていることや政治腐敗などいまだに多くの問題を抱えています。
島になった半島
南部のナミビアとの国境付近にティグレス島と言うアンゴラ最大の島があります。この島はかつて本土と繋がった半島漁村が一つあり、パイプラインを通して水の供給が行われていました。
本土とつなぐ狭い地峡は徐々に海蝕されており、1962年に地峡はついに突き破られ、同時に水の供給も絶たれてしまいます。これにより半島は一夜にして島となり漁村は放棄され、現在ではゴーストタウンと化してしまいました。
情勢
内戦が終結し経済成長も著しいものの、貧富の差、地雷などによりまだまだ安全とは言えません。特に飛び地のカビンダ州は武装グループの存在も確認されており、外国人を標的とした犯罪が発生しています。
経済
長きに渡る内戦によりインフラが破壊し尽くされ、多くの犠牲者が出たことであんごらの経済は疲弊しきっていました。内戦終結後は石油やダイヤモンドといった豊富な資源をもとに、年平均15%程の高い経済成長をみせています。
産油量はサハラ以南のアフリカ諸国で第一位、ダイヤモンドの産出量はアフリカ第三位と豊富な埋蔵量を誇り、特に中国への最大の原油輸出国です。
アンゴラは腐敗認識指数*2がワーストトップクラスであり、高い経済成長率を誇っているにもかかわらず、国民生活に還元されず貧困状態の改善が見られません。
物価
アンゴラの首都ルアンダは世界一物価が高い都市とされていた時期もあり、市内で賃貸を借りると日本円換算で10万円以上すると言われています。しかし、実際は物価が高くなったわけではありません。
著しい経済成長に伴い物価の上昇が著しく進んだこと、公定レートが非常に高く設定されていることにより相対的に物価が高く感じるわけです。
カビンダ
北部の飛び地であるカビンダ州は国内最小の州でありながら原油を産出しており、アンゴラにとって重要な地域です。そんなカビンダ州では内戦が終結した今でも独立運動が続いており、紛争状態にあります。
原油の産出による恩恵をカビンダの人々が全く受けていないこと、文化的にも物理的にも隔絶していることが大きな要因です。高い失業率、未整備のインフラによって住民の生活は困窮を極めています。
文化
アンゴラは長きにわたってポルトガルの支配下にあったことから、ポルトガルの文化が広く浸透しています。公用語がポルトガル語であることをはじめ、国民の半数がキリスト教であることや料理などなど。また、様々な部族の伝統的な文化も残っており、それらの文化とポルトガル文化が混じり合って独自の文化を形成したりと多様な文化が共存しています。
言語
アンゴラはポルトガル語が公用語であるものの、大多数の国民はバントゥー系の国民言語を母語としており、それらの母語を話します。
料理
アンゴラ料理はポルトガルに強く影響を受けており、コンゴ民主共和国の食文化も北部地域を中心に反映されています。また、国土が広いため地域によって食文化に差異があり、使われる食材もバラエティ豊富です。
キャッサバやとうもろこしの粉をお湯と混ぜて作るフンジはアンゴラ人にとっての主食です。北部ではキャッサバを、南部ではとうもろこしを主に使用し、他の料理と共に食べたりもします。
その他の料理としては、パーム油などを使った豆料理、焼き魚、芋類などを混ぜたムフェーテ、魚や干し肉などをスパイスなどで味付けしたカルルーなど。
文学
アンゴラ文学は19世紀半ばにポルトガル語によって誕生しました。ポルトガル文学との差異が顕著に見られ、詩や小説において著名な作家が数多く現れ、様々な作品を残しています。
音楽
アンゴラの首都ルアンダでは、さまざまな音楽様式が生まれました。特にセンバは多くの音楽様式の前身であり、その中で代表的なのがブラジルのサンバ。植民地時代から広く国民に浸透しているアンゴラを象徴する音楽です。
観光地
渡航基本情報
アンゴラの玄関口となるのは、首都ルアンダにあるクアトロ・デ・フェベレイロ空港。日本からの直行便はなく、近隣のアフリカ諸国かヨーロッパ諸国を経由することになります。
主な観光地をいくつかピックアップ
キサマ国立公園
ルアンダの南80km程の場所にある国立公園で、かつては猟銃保護区でした。戦争によって一時動物たちは絶滅の危機にありましたが、現在は個体数を徐々に増えており、多種多様な生態系を観察できます。
ミラドゥーロ・ダ・ルーア
切り立った崖と地層が見られるスポットで、自然の作り出したアートとも言える場所です。首都から近く、車で気軽に行ける距離にあります。
ルアンダ島
首都ルアンダの沖合にある砂嘴*3で、ビーチが広がりレストランやバーが立ち並ぶ言わばリゾート地。地元の漁師が獲った新鮮な魚を味わえます。
国際関係
全方位外交を行なっており、かつては敵対していた西側諸国とも冷戦終結後から外交関係を結んでいます。
現在のアンゴラは、旧宗主国であるポルトガルや、同じポルトガル語圏であるブラジルとの結びつきが強く、ポルトガル語諸国共同体*4の一員としてモザンビークなどその他ポルトガル語圏の国々との関係も良好です。
中国は最大の貿易相手国で、首都ルアンダの一部の区画では中国側のインフラ投資によりビルやアパートが数多く建設されたものの、アパートが高額なため入居者がほとんど現れず、ほぼ無人の状態となっています。
まとめ
アンゴラは今も変化と成長の途中にある国です。急激な経済成長を遂げたとは言え、まだ内戦終結から立て直しに十分な時間が経ったわけではありません。今なお残る課題の解決にはまだ時間がかかると思います。
しかし、高い経済成長率からわかるようにポテンシャルが高い国であることは間違いありません。今後アンゴラがどのように変化を見せてくれるのか目が離せませんね。
山の中のミニ国家 アンドラ
アンドラ公国はスペインとフランスの間、ピレネー山脈に位置するミニ国家*1です。現在世界に3カ国のみ存在する公国*2の一つで、金沢市とほぼ同程度の国土面積しかありません。
小さな国ですが、先史時代より定住者がおり、長い歴史を誇っています。特殊な体制を敷いている国で、かつてはタックスヘイブンに該当する地域でした。
人口の何倍もの観光客の訪れる観光立国であり、安全で小さな国土に魅力がたっぷり詰まっています。そんなアンドラがどんな国か見ていきましょう。
基本情報
気候:穏やかで年間を通して降水量が一定の西岸海洋性気候(Cfb)に分類されます。ただし、山がちな地形であるため、標高の高い地域では冬に降雪量が多く夏場は比較的冷涼です。首都のアンドラ・ラ・べリャも標高1000m地点の山中にあるため、夏場でも肌寒いです。
地理
アンドラはスペインとフランスに囲まれた内陸国で、国土全体が山岳地帯となっています。2000m峰が無数に点在し、最高峰のコマ・ペドローザは2946m、最低地点の標高は840mです。
国境線はスペインとの間で64km、フランスとの間で57km接しています。国土面積はヨーロッパで六番目に小さく、同時にヨーロッパ内のミニ国家の中では最大です。
山がちな地形故、冬はスキーリゾートとして人気が高く、また、国内には172もの湖があり、7つの河川が流れています。
ピレネー山脈
ピレネー山脈はイベリア半島を地中海から大西洋にかけて約430km走る山脈です。スペインとフランスの国境線上にあり、山脈内にアンドラが位置しています。
地質はアルプス山脈より古く、主に花崗岩と石灰岩で構成されている褶曲山脈*3です。また、アルプス・ヒマラヤ造山帯の一部でもあります。
歴史
アンドラは紀元前より定住があったとされており、現在のアンドラ公国の起源は9世紀初頭にスペイン辺境伯の一人、ウルヘル伯の自治領となったところが始まりです。
その後、ウルヘル司教に宗主権が譲渡され、一部統治権を得ていたフォワ伯との間で争いが生じます。この争いは1278年、両者が共同統治する宗主契約を結んだことで終結しました。
16世紀後半にフォワ伯側の統治権がフランス国王に譲渡されアンドラは公国となり、フランスが共和国となったことで、統治権はフランス大統領へと継承されています。
1993年に新憲法が制定され、国民投票で可決されたことで正式に独立国家となりました。
情勢
治安は非常に良好で、国の規模が小さいこともあり凶悪犯罪はほぼ発生していません。夜間にも問題なく出歩くことが可能で、日本と同程度に最低限の防犯対策をしていれば十分です。
政情も安定しており周辺国との関係も良好、強いて危険な面を挙げるとするならば、山がちな地形故雪崩や地滑りが発生する可能性があることくらいでしょう。
政治
アンドラは独立した主権国家ですが、国家元首はスペインのウルヘル司教とフランス大統領の二人で、国家成立時から続く共同君主制を今でも採用しています。
敵対する国家が存在しないため、国防をスペインとフランスに委任しており、自国の軍隊を持っていません。
経済
財政収入の大半をEUからの輸入関税に頼っており、主要産業は観光業です。地形を生かしたトレッキングやスキーなどのアウトドアスポーツが楽しめる場所が豊富で、特にスキーリゾートしての人気が高く、冬場は多くの人で賑わいます。
また、タバコやブランド品などが周辺国と比較して安く、免税店も数多く軒を連ねているためスペインやフランスからの買い物客も非常に多いです。
かつてはタックスヘイブンとしてマネーロンダリングや資金隠しに利用されており、タックスヘイブンの監視対象であるグレーリストに登録されていました。この状況を改善するため、2012年より非居住者に対する直接税の課税が徐々に導入されていき、2018年にグレーリストから削除されています。
文化
アンドラはフランス、スペイン、ポルトガルの文化が混じり合ったカタルーニャ文化を形成している地であり、唯一カタルーニャ語が国家の公用語となっている国です。
スポーツ:スキーやトレッキング、マウンテンバイクなど山に囲まれた国土を生かしたスポーツが盛んです。また、サッカーも人気があり、プロサッカーチームによる国内リーグも存在します。
教育:アンドラ人は子供の教育に使用する言語をカタルーニャ語、スペイン語、フランス語の中から自由に選択できます。選択した言語を使用する学校に通わせることになりますが、最も選ばれている言語は公用語であるカタルーニャ語ではなく、フランス語です。
そして、国民の多くが上記の三言語を全て話せるトライリンガルであり、加えて英語を話せる人も少なくありません。
料理:アンドラ料理はカタルーニャ料理であり、スペインやフランスの影響を受けているため、似ている点が多いです。
代表的な料理は、パスタや野菜、肉類の入った国民食とも言われる煮込み料理のエスクデジャ(Escudella)、カタツムリにオリーブオイルやマヨネーズを加えてオーブンで焼いたカルゴルズ(Cargols)、淡水魚をハムで包んで焼いたトルチャアラアンドラナ(Trucha a la Andorrana)など。
観光地
渡航基本情報
国内には空港も鉄道駅もないため、アンドラへの渡航はフランスかスペインから長距離バス等を利用して陸路で行くことになります。
アンドラの観光地としての魅力は、周辺国と比べて安くショッピングができることと、地形を生かしたアウトドアスポーツやレジャー施設です。
アンドラ・ラ・べリャ
首都のアンドラ・ラ・べリャは人口22,000人ほどの小さな都市で、市内の名所は徒歩で回ることも可能。地元の工芸品からブランド品まで多くの土産物店があり、ショッピングを心ゆくまで楽しめます。
巨大なリラクゼーション施設であるカルデアは、プールやジャグジーなどの娯楽施設を完備しており、一日ゆっくりと疲れを癒せる施設です。
ホテルやレストランも充実しており、街中の教会や広場を散策するだけでも楽しめるのではないでしょうか。
アンドラ唯一の世界遺産で、国土の10%、42㎢の広さを誇る渓谷です。氷河、森林、岩山など豊かな自然に囲まれた場所で、野生動物の保護区でもあります。
人里離れた場所にある絶景を拝めるハイキングスポットで、アクセスは公共交通機関を使うより、レンタカーを利用するかツアーに参加するのが良いでしょう。
グランドバリラ
アンドラにはいくつものスキーリゾートがあり、その中でもグランドバリラは国内最大級のスキーリゾートの一つ。スキーワールドカップの予選会場にもなったこともあり、数多くのコースを抱える屈指のスキーリゾートです。
国際関係
1993年に国家として正式に独立し、国連にも加盟しました。国内ではユーロが法定通貨として使用されているものの、EUには加盟していません。
アンドラは現在、146カ国と外交関係を結んでおり、日本は1995年に外交関係を築きました。
隣国のスペイン、フランスとは経済面でのつながりも強く、この2カ国が最大貿易相手国です。
アンドラは5カ国の大使館と4カ国の領事館があり、自国は6カ国に大使館、1カ国に領事館を構えています。
大使館
・フランス
・イタリア(所在地はスペイン・バルセロナ)
・スペイン
領事館
・ベルギー
・フランス
・スイス
在外公館
・フランス
・スペイン
・ベルギー
・アメリカ(領事館)
ちなみに、在アンドラ日本国大使館は在フランス日本国大使館が兼任しています。
まとめ
アンドラは山の中にある小国で、日本から気軽に訪れるのは少し難しいかもしれません。しかし、アウトドアやショッピングにぴったりの国で、訪れたら楽しめる国であることに間違い無いと思います。
行く価値は十分にあるので、スペインやフランスを訪れた際に寄ってみてはいかがでしょうか。
アフリカ最大の国 アルジェリア
アルジェリア民主人民共和国は、アフリカ北西部に位置する国家で、チュニジア、リビア、ニジェール、マリ、モーリタニア、モロッコ、西サハラと国境を接しています。また、地中海に面しており、対岸にスペインやフランスがあります。
アフリカ最大の面積を誇る国で、南部には広大なサハラ砂漠が広がっており、人口の大半は海岸部に集中しています。
マグレブ*1諸国の一つであり、国民の大半がアラブ人で占められているイスラム教国です。
そんなアルジェリアがどんな国なのか、みていきましょう。
基本情報
気候:アルジェリアの気候は大きく3つに分けられます。首都アルジェを含む人口の密集した沿岸部は地中海性気候(Csa)で、夏は暑すぎず冬は寒すぎず過ごしやすい気候です。
沿岸部とサハラ砂漠を隔てるアトラス山脈の走る地域はステップ気候(BSk)で、降水量は少なく気温の日較差が大きいです。
南部の内陸部の大半を占める地域はサハラ砂漠に覆われており、砂漠気候(BWh)に分類されます。
地理
日本の6.3倍もの面積を誇る国土の約9割がサハラ砂漠にあたる砂漠地帯であり、アトラス山脈によって温暖な北部沿岸部と隔てられています。9割以上の人口が沿岸部に密集しており、国土の大半を占める砂漠地帯の人口は点在するオアシスに居住しておりごく僅かに過ぎません。
国内最高峰は、サハラ砂漠ないにあるタハト山。砂漠内に聳えているため、植生はほとんど見られません。
ユーラシアプレートとアフリカプレートの境界に位置しする地震発生国であり、過去に何度か巨大地震にも見舞われています。
降水量が少なく、砂漠化も進行しており水資源の確保は国内における大きな問題の一つです。初夏にはサハラ砂漠方面から乾燥した季節風のシロッコが吹き付けてきます。
歴史
古代アルジェリアはベルベル人の居住しており、7世紀にアラブ人がこの地に侵入し支配者となったことにより、ベルベル人もイスラム教に改宗するなどアラブ世界に組み込まれました。
その後は、オスマン帝国やフランスによる支配を受け、1962年に独立を果たします。独立に至るまでの道のりは平坦なものではなく、独立に難色を示すフランスとの間でアルジェリア戦争が勃発。約8年に及ぶこの戦争でアルジェリアは独立を果たしたものの、戦時中はテロの応酬・凄惨な拷問や処刑によって多くの血が流れました。
独立後
アルジェリア民主人民共和国として独立を果たした後も正常不安定な時代が続きます。政治腐敗や、その結果台頭したイスラム原理主義勢力との暗黒の10年と呼ばれる内戦によって国家非常事態宣言が発令され国内は混乱し、多くの犠牲者を出しました。
2011年にはアラブの春*2に触発され、反政府デモが発生、民主化を求める人々と治安部隊の衝突によって逮捕者も出ています。これによって、同年2月に国家非常事態宣言が19年ぶりに解除されました。
情勢
アルジェリアの治安は改善傾向にあるものの、依然として安全とは言えません。首都アルジェなど沿岸部の都市は比較的落ち着いていますが、国境付近はテロ組織が潜伏しており、外務省の危険レベルにおいてレベル4の退避勧告が出ています。(2022年4月現在)
2013年には日本人10人を含む外国人が襲撃を受け殺害されるという事件も発生しています。
経済
豊富な天然資源が眠っており、輸出品はほぼ石油や天然ガスで占められています。アルジェリアは天然資源に大きく依存した経済構造をしている他、フランスなどへの出稼ぎ労働者からの送金も外貨獲得の大きな手段の一つです。
沿岸部では農業も行われており、耕地面積は国土の3.5%程度ですが人口の10%ほどが農業に従事しています。主要作物は小麦や柑橘類、ナツメヤシなど。
また、サハラ砂漠にはラクダやヤギなどを飼育するトゥアレグ族という遊牧民もおり、畜産や酪農も行われています。
文化
料理:アルジェリア料理は旧宗主国のフランス、地中海、北アフリカのそれぞれの料理の特徴が交わったバリエーションの豊かさが魅力です。アルジェリア料理の多くは野菜や穀物、ハーブ類が使用されており、肉類もよく食べられますが、イスラム教国であるため豚肉は使われていません。
クスクスは国内で最もポピュラーな料理と言っても過言ではなく、何世紀にもわたって食べられ続けています。肉や野菜を煮込んだシチューをかけて食べるのが一般的です。地域によって加えられる食材が異なり、様々な食べ方ができるため風味や食感も地域ごとに異なります。
他には、オリーブオイルの風味が感じられるアルジェリアのパン・ケスラ、数種類の野菜の中にひき肉を詰めて煮込んだドルマなどもメジャーなアルジェリア料理です。
文学:アルジェリアの文学は古代ローマ、フランス、アラブなど様々な文化に影響を受けています。著名な作家を数多く輩出し、中でもアルベール・カミュは小説、戯曲、エッセイにおいて多くの作品を創り、ノーベル文学賞を受賞しました。
スポーツ:サッカーが最もポピュラーなスポーツであり、アフリカ諸国の中でもトップクラスの実力を持つ国の一つです。他にはハンドボールも盛んで、多くの国際大会において実績を残しています。また、柔道の人気も高く、アフリカ大会の上位の常連で、オリンピックでメダリストとなった選手もいます。
音楽:アルジェリア・オラン発祥の音楽であるライは、1980年代に世界的に広まっていきました。アラビア語歌われていながら、西洋音楽の雰囲気を感じられ、エキゾチックなアラブの雰囲気と合わさった音楽です。
しかし、それ故イスラム原理主義とは相容れず、1994年には人気のライ歌手が暗殺される事件も起きています。
観光地
渡航基本情報
アルジェリアへの入国は、首都アルジェにあるウアリ・ブーメディアン空港や第二の都市オランにあるオラン・エス・セニア空港へ欧州や中東からの空路での入国が一般的。
観光地としてのアルジェリアは多様な景観と多くの遺跡が見所で、国内には7つの世界遺産があります。
アルジェ
アルジェリアの首都にして観光の玄関口でもある首都アルジェ。オスマン帝国時代に成立したこの都市は、歴史的な建造物が数多く残っています。
特に旧市街の一画であるカスバは、世界遺産に登録されている宮殿などの残っている区域で、迷路のように入り組んだ街並み。
オラン
ライ音楽発祥の地であるオランは、地中海に面したリゾート地のような街です。バーやカフェが点在し、マリンスポーツも楽しめる他のアルジェリアの都市とはちょっと違う魅力があります。
ガルダイア
世界遺産ムザブの谷を構成する街の一つで、サハラ砂漠にある岩石の散らばる高原地帯です。モスクのミナレットを中心としたピラミッド型の街で広大なサハラ砂漠の中の美しいオアシスとして知られています。
ベニ・ハンマードの要塞
世界遺産に登録されている考古遺跡*3で、かつてこの一帯を支配したハンマード朝の首都でした。城壁やモスクなどのイスラムの歴史を象徴する歴史的建造物が数多く残っています。
国際関係
基本的には非同盟中立でアラブ連帯の立場にありますが、広く多方面に外交関係を築いており、アフリカ連合(AU)やアラブ連盟などの国際組織に加盟。
モロッコとは、アルジェリアが西サハラの独立を強く支援していることなどから険悪な関係性となっており、2021年8月にこの二国は国交断絶を宣言しています。
東側のマグレブ諸国であるチュニジアやリビアとは文化的に近しいこともあり関係性は非常に良好です。
旧宗主国であるフランスから様々な影響を受けており、独立した今でもつながりは深いものの、外交的な衝突がしばしばみられます。2021年には、アルジェリアがフランス軍機の領空内の飛行を禁止するといった出来事も発生しており、二国間関係は安定していません。
まとめ
アルジェリアは、まだまだ国情の安定に時間がかかるでしょう。しかし、豊かで多様な文化を持ち、資源にも恵まれたこの国のポテンシャルは非常に高いと思います。
広大な砂漠とそこに生きる人々、美味しい料理、独自の音楽とアルジェリアが魅力的な国であることは間違いありません。これからアルジェリアがどのように発展していくのか楽しみですね。
ネズミ講で国家破綻!? アルバニア
アルバニア共和国は、バルカン半島に位置する国家で、モンテネグロ、コソボ、ギリシャ、北マケドニアと国境を接し、アドリア海を挟んで対岸にイタリアがあります。
ヨーロッパの一国家ですが、あまり聞きなれない国だという人も多いのではないでしょうか?
アルバニアは特に1900年代後半の現代史において、他に類を見ない独特の歴史を辿ってきた国家です。そんなアルバニアがどんな国なのか、紐解いていきましょう。
基本情報
気候:海岸部に位置する多くの主要都市は穏やかな地中海性気候(Csa)であり、降雪はほとんどなく、真冬でも気温が氷点下となることはあまりありません。
標高の高い内陸部では大陸性気候(Dfb)となり、気温の年較差が大きく、冬場は降雪量が多いです。
地理
四国の1.5倍ほどの面積の国土は、平野の広がる海岸沿いに対し、内陸部は山がちな地形が広がっています。特に北東部の国境付近は2000m級の山々が聳え、国土の70%が海抜300m以上となっています。
国内最高峰のコラピ山は標高2753mで、北マケドニアとの国境沿いにあり、北マケドニアの最高峰でもあります。また、バルカン半島最大の湖であるシュコダル湖をはじめ、オフリド湖、プレスパ湖と3つの湖が国境線上にあります。
山がちなアルバニアには、国内を流れる河川も多く、水力発電だけで国内のほぼすべての電力を賄えるほどの発電量です。
アドリア海からオトランド海峡を挟んでイオニア海まで広がる海側は、対岸のイタリアまでわずか72kmしかありません。
歴史
アルバニアは古来より幾つもの国の支配下に置かれてきました。1900年代前半に独立を果たしますが、1946年にアルバニア人民共和国として共産主義国家を樹立して以降、独特の歴史を歩むこととなります。
この要因として、当時の指導者であったエンヴェル・ホッジャが徹底したスターリン主義者であり、その政策に倣った国家運営を行い後にはホッジャ主義なる独自の主義を提唱したことにあります。
エンヴェル・ホッジャ
無神国家
1967年、中国の文化大革命*1に影響を受けたホッジャはアルバニアの無神国家化を宣言、一切の宗教活動を禁止し、教会やモスクもすべて閉鎖しました。
個人レベルでの無神論者は多くの国に存在するものの、国家単位で無神論を徹底したのは世界初であり、国内に大きな混乱を招きました。
鎖国
これまで友好国としてアルバニアへ援助を行っていたであった中国が、1976年の毛沢東の死をきっかけに文化大革命が終息すると、改革開放路線へと転換。これに対しホッジャは激しく批判、また、同年に国名をアルバニア社会主義人民共和国へと変更、ついには中国からの援助が途絶え、アルバニアは世界から孤立にしていきました。
ホッジャはアルバニアを唯一のマルクス・レーニン主義国家であるとし、鎖国状態となり、世界から完全に孤立してヨーロッパ最貧国と呼ばれるまでに困窮。
また、このときソ連を仮想敵国と捉え、国内に大量のトーチカ*2を配備しています。
ネズミ講被害
1985年にホッジャが死去したことで、社会主義体制は崩壊、1991年にアルメニア共和国と国名を変更し民主主義国家に生まれ変わりました。
国際社会への復帰を急ぎ、諸外国からの援助や投資を積極的に呼び込み始めたことが裏目にでてしまいます。隣国ユーゴスラビアの内戦に関連するネズミ講組織がつけ入り知識のない国民を勧誘、国民の大半が加入する結果に。
政府も経済成長を優先してこのネズミ講を黙認しており、このことが事態の悪化の要因の一つなっています。1997年内戦が終結に向かったことでネズミ講組織は破綻、それに伴いアルバニア国内に大量の破産者が生まれました。
アルバニア経済は破綻し、財産を失った国民による暴動(1997年アルバニア暴動)はNATO軍や米軍などが出撃するまでに発展し、現在でもこの影響が尾を引いています。
経済
アルバニアは前述の鎖国やネズミ講被害の影響により、現在でもヨーロッパ最貧国の一つであり経済状況は芳しくありません。
農業や鉱業が主要産業で、農業については、穀物類のほか、地中海性気候であることから、オリーブや様々なフルーツ類を生産しています。鉱業については、クロム鉱などの天然資源が採掘され、天然ガスや原油も産出しています。
観光業
近年は海岸部の観光業の発展がめざましく、諸外国からの投資もあって、レストランやリゾートホテルが年々増えており、夏場には多くの観光客で賑わいます。イスラム教徒の割合が多いものの、中東と比較して厳格なものではなく、アルコールの提供なども問題なく行われていることも観光業発展の面でプラスに働いています。
農村部では農業と観光を掛け合わせたアグリツーリズム*3が徐々に展開されており、地域経済の活性化につながることを期待されています。
文化
料理:アルバニア料理は、地中海料理とバルカン料理の双方の影響を受けており、豊富な種類の伝統料理があります。その中には、地中海料理やバルカン料理とよく似たものから、アルバニアで独自に生み出されたものもあります。
代表的なアルバニア料理は、冷ましてから食べることからサマーシチューとも呼ばれるフェルジェス、野菜類を主な具材としたパイ料理のブレク、羊肉や鶏肉をヨーグルトと混ぜ合わせて焼いたタベコシなど。
音楽:アルバニアの民族音楽は地域ごとに差異があり、北部、南部、都市部の3種類に大別されます。いくつかある民謡のテーマの中で、特に重要視されているのが子守唄と哀歌です。
打楽器や弦楽器など、様々な楽器が民謡の演奏に使用され、使われる楽器も地域によって異なります。
また、1950年代に西洋諸国からロックが上陸していますが、共産主義体制が終わるまでは禁止されており、1990年以降にようやく人気を博すロックバンドが登場するなど国内に浸透していきました。
スポーツ:多くの欧州諸国と同様に、サッカーが最も人気のスポーツとなっています。その他は球技が主に盛んに行われていますが、空手や柔道の競技者も存在します。
建築:アルバニアの建築は、建造物や建築様式に辿ってきた歴史がよく反映されています。ローマやオスマンなどこの地を支配してきた国家の技術と様式を都度取り入れ、変化と発展を繰り返してきました。
観光地
渡航基本情報
日本からアルバニアへ渡航するには、飛行機なら直行便が存在しないため、ローマやイスタンブールを経由して首都ティラナにあるティラナ国際空港へ向かうのが一般的なルートです。
近隣諸国から長距離バスを利用した陸路やフェリーによる海路での渡航も可能。
現在のアルバニアは治安面も特に問題なく、のんびりと観光可能な国かと思います。ここでいくつかアルバニアで訪れるべき観光地をご紹介。
ティラナ
アルバニアの首都にして、多くの旅行者にとって観光の拠点になる街ですね。主な観光スポットとして、スカンデルベグ広場とその周辺にモスクや博物館があります。街をぶらぶらしてローカルフードを食べたり、人々と交流するのも良いですね。
スカンデルベグ広場
ベラト
世界遺産に登録されているベラトは、オスマン帝国時代の建物の建ち並ぶ街で、特徴的な縦長の窓がずらりと並んでいることから千の窓を持つ街と呼ばれています。
世界遺産には、ベラトとジロカストラの歴史地区としてジロカストラの街とともに登録されているので、こちらも一緒に訪れてみてはいかがでしょうか。
ヴロラ
地中海沿岸のビーチリゾートで、近年リゾート開発が進みホテルやレストランの建ち並ぶ街並みとなってきています。ビーチリゾートであるため、訪れるなら夏場がおすすめです。
ブトリント遺跡
アルバニア南部ギリシャとの国境付近にある都市遺跡で、世界遺産に登録されています。古代ギリシャ・ローマの歴史を肌で感じることのできるスポットです。
国際関係
鎖国体制の終わった1991年以降、アルバニアは徐々に諸外国や様々な機関との関係構築を進めていきました。鎖国終了とともに共産主義体制も終了し、西側諸国との関係を重視する方針に転換、2009年にNATOに加盟し2014年にEU加盟候補国となりましたが現在でも候補国のままです。
イタリアやギリシャが主要貿易相手国で経済的な結びつきが強く、コソボも同様に主要貿易相手国であり、同国の独立国としての運営に対し積極的な支援を行っています。
まとめ
アルバニアはあまり日本では聞きなれない国かもしれませんが、独特の歴史を辿ってきた、知れば知るほど面白い国です。
小さい国ながら魅力溢れる文化と歴史を持ち、一度訪れれば忘れられない印象を残してくれる国だと思います。日本人旅行者は非常に少ない国ですが、観光地として十分なポテンシャルを持っているので、一度訪れてみてはいかがでしょうか。