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旅と地理のまとめ

ネズミ講で国家破綻!? アルバニア

アルバニア共和国は、バルカン半島に位置する国家で、モンテネグロコソボギリシャ北マケドニアと国境を接し、アドリア海を挟んで対岸にイタリアがあります。

ヨーロッパの一国家ですが、あまり聞きなれない国だという人も多いのではないでしょうか?

アルバニアは特に1900年代後半の現代史において、他に類を見ない独特の歴史を辿ってきた国家です。そんなアルバニアがどんな国なのか、紐解いていきましょう。

 

基本情報

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アルバニアの位置

首都 ティラナ
人口 284万人
言語 アルバニア
民族
アルバニア人(約95%)
ギリシャ人等その他民族(5%)
宗教 イスラム教、カトリック正教会
GDP 148億USドル(一人当たり 5,150ドル)
通貨 レク

 

気候:海岸部に位置する多くの主要都市は穏やかな地中海性気候(Csa)であり、降雪はほとんどなく、真冬でも気温が氷点下となることはあまりありません。

標高の高い内陸部では大陸性気候(Dfb)となり、気温の年較差が大きく、冬場は降雪量が多いです。

地理

四国の1.5倍ほどの面積の国土は、平野の広がる海岸沿いに対し、内陸部は山がちな地形が広がっています。特に北東部の国境付近は2000m級の山々が聳え、国土の70%が海抜300m以上となっています。

国内最高峰のコラピ山は標高2753mで、北マケドニアとの国境沿いにあり、北マケドニアの最高峰でもあります。また、バルカン半島最大の湖であるシュコダル湖をはじめ、オフリド湖、プレスパ湖と3つの湖が国境線上にあります。

山がちなアルバニアには、国内を流れる河川も多く、水力発電だけで国内のほぼすべての電力を賄えるほどの発電量です。

アドリア海からオトランド海峡を挟んでイオニア海まで広がる海側は、対岸のイタリアまでわずか72kmしかありません。

歴史

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アルバニア国旗

アルバニアは古来より幾つもの国の支配下に置かれてきました。1900年代前半に独立を果たしますが、1946年にアルバニア人民共和国として共産主義国家を樹立して以降、独特の歴史を歩むこととなります。

この要因として、当時の指導者であったエンヴェル・ホッジャが徹底したスターリン主義者であり、その政策に倣った国家運営を行い後にはホッジャ主義なる独自の主義を提唱したことにあります。

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      エンヴェル・ホッジャ

無神国家

1967年、中国の文化大革命*1に影響を受けたホッジャはアルバニア無神国家化を宣言、一切の宗教活動を禁止し、教会やモスクもすべて閉鎖しました。

個人レベルでの無神論者は多くの国に存在するものの、国家単位で無神論を徹底したのは世界初であり、国内に大きな混乱を招きました。

鎖国

これまで友好国としてアルバニアへ援助を行っていたであった中国が、1976年の毛沢東の死をきっかけに文化大革命が終息すると、改革開放路線へと転換。これに対しホッジャは激しく批判、また、同年に国名をアルバニア社会主義人民共和国へと変更、ついには中国からの援助が途絶え、アルバニアは世界から孤立にしていきました。

ホッジャはアルバニア唯一のマルクス・レーニン主義国家であるとし、鎖国状態となり、世界から完全に孤立してヨーロッパ最貧国と呼ばれるまでに困窮。

また、このときソ連を仮想敵国と捉え、国内に大量のトーチカ*2を配備しています。

ネズミ講被害

1985年にホッジャが死去したことで、社会主義体制は崩壊、1991年にアルメニア共和国と国名を変更し民主主義国家に生まれ変わりました。

国際社会への復帰を急ぎ、諸外国からの援助や投資を積極的に呼び込み始めたことが裏目にでてしまいます。隣国ユーゴスラビアの内戦に関連するネズミ講組織がつけ入り知識のない国民を勧誘、国民の大半が加入する結果に。

政府も経済成長を優先してこのネズミ講を黙認しており、このことが事態の悪化の要因の一つなっています。1997年内戦が終結に向かったことでネズミ講組織は破綻、それに伴いアルバニア国内に大量の破産者が生まれました。

アルバニア経済は破綻し、財産を失った国民による暴動(1997年アルバニア暴動)はNATO軍や米軍などが出撃するまでに発展し、現在でもこの影響が尾を引いています。

経済

アルバニアは前述の鎖国ネズミ講被害の影響により、現在でもヨーロッパ最貧国の一つであり経済状況は芳しくありません。

農業鉱業が主要産業で、農業については、穀物類のほか、地中海性気候であることから、オリーブや様々なフルーツ類を生産しています。鉱業については、クロム鉱などの天然資源が採掘され、天然ガス原油も産出しています。

 

観光業

近年は海岸部の観光業の発展がめざましく、諸外国からの投資もあって、レストランやリゾートホテルが年々増えており、夏場には多くの観光客で賑わいます。イスラム教徒の割合が多いものの、中東と比較して厳格なものではなく、アルコールの提供なども問題なく行われていることも観光業発展の面でプラスに働いています。

アグリツーリズム

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農村部では農業と観光を掛け合わせたアグリツーリズム*3が徐々に展開されており、地域経済の活性化につながることを期待されています。

文化

料理:アルバニア料理は、地中海料理とバルカン料理の双方の影響を受けており、豊富な種類の伝統料理があります。その中には、地中海料理やバルカン料理とよく似たものから、アルバニアで独自に生み出されたものもあります。

代表的なアルバニア料理は、冷ましてから食べることからサマーシチューとも呼ばれるフェルジェス、野菜類を主な具材としたパイ料理のブレク、羊肉や鶏肉をヨーグルトと混ぜ合わせて焼いたタベコシなど。

 

音楽:アルバニア民族音楽は地域ごとに差異があり、北部、南部、都市部の3種類に大別されます。いくつかある民謡のテーマの中で、特に重要視されているのが子守唄哀歌です。

打楽器や弦楽器など、様々な楽器が民謡の演奏に使用され、使われる楽器も地域によって異なります。

また、1950年代に西洋諸国からロックが上陸していますが、共産主義体制が終わるまでは禁止されており、1990年以降にようやく人気を博すロックバンドが登場するなど国内に浸透していきました。

 

スポーツ:多くの欧州諸国と同様に、サッカーが最も人気のスポーツとなっています。その他は球技が主に盛んに行われていますが、空手や柔道の競技者も存在します。

 

建築:アルバニアの建築は、建造物や建築様式に辿ってきた歴史がよく反映されています。ローマやオスマンなどこの地を支配してきた国家の技術と様式を都度取り入れ、変化と発展を繰り返してきました。

観光地

渡航基本情報

プラグタイプ C、SE
電圧 220V 50Hz
道路 右側通行
チップ 基本不要だが、渡しても良い
ビザ 90日以内の滞在は不要

日本からアルバニア渡航するには、飛行機なら直行便が存在しないため、ローマやイスタンブールを経由して首都ティラナにあるティラナ国際空港へ向かうのが一般的なルートです。

近隣諸国から長距離バスを利用した陸路やフェリーによる海路での渡航も可能。

現在のアルバニアは治安面も特に問題なく、のんびりと観光可能な国かと思います。ここでいくつかアルバニアで訪れるべき観光地をご紹介。

ティラナ

アルバニアの首都にして、多くの旅行者にとって観光の拠点になる街ですね。主な観光スポットとして、スカンデルベグ広場とその周辺にモスクや博物館があります。街をぶらぶらしてローカルフードを食べたり、人々と交流するのも良いですね。

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                  スカンデルベグ広場

ベラト

世界遺産に登録されているベラトは、オスマン帝国時代の建物の建ち並ぶ街で、特徴的な縦長の窓がずらりと並んでいることから千の窓を持つ街と呼ばれています。

世界遺産には、ベラトとジロカストラの歴史地区としてジロカストラの街とともに登録されているので、こちらも一緒に訪れてみてはいかがでしょうか。

ヴロラ

地中海沿岸のビーチリゾートで、近年リゾート開発が進みホテルやレストランの建ち並ぶ街並みとなってきています。ビーチリゾートであるため、訪れるなら夏場がおすすめです。

ブトリント遺跡

アルバニア南部ギリシャとの国境付近にある都市遺跡で、世界遺産に登録されています。古代ギリシャ・ローマの歴史を肌で感じることのできるスポットです。

国際関係

鎖国体制の終わった1991年以降、アルバニアは徐々に諸外国や様々な機関との関係構築を進めていきました。鎖国終了とともに共産主義体制も終了し、西側諸国との関係を重視する方針に転換、2009年にNATOに加盟し2014年にEU加盟候補国となりましたが現在でも候補国のままです。

イタリアギリシャが主要貿易相手国で経済的な結びつきが強く、コソボも同様に主要貿易相手国であり、同国の独立国としての運営に対し積極的な支援を行っています。

まとめ

アルバニアはあまり日本では聞きなれない国かもしれませんが、独特の歴史を辿ってきた、知れば知るほど面白い国です。

小さい国ながら魅力溢れる文化と歴史を持ち、一度訪れれば忘れられない印象を残してくれる国だと思います。日本人旅行者は非常に少ない国ですが、観光地として十分なポテンシャルを持っているので、一度訪れてみてはいかがでしょうか。

*1:権力掌握を目論んだ毛沢東による政治闘争

*2:コンクリート制の防衛陣

*3:農村部に滞在し自然や地域の人々と交流する観光形態