アフリカ大陸南西部に位置するアンゴラ共和国は、ザンビア、ナミビア、コンゴ民主共和国そして飛び地とコンゴ共和国が接している共和制国家です。首都ルアンダは世界一物価が高く、生活費が東京以上にかかると言われています。
20世紀は内戦で荒廃し、内戦終結後の21世紀初頭には石油やダイヤモンドなど豊富な資源をもとに急速な経済成長を遂げました。
しかし現在でも貧富の差や地雷の残存などによる治安の悪さから、不安定な面を拭いきれていません。そんなアンゴラが、実際にどんな国なのかみていきましょう。
基本情報
気候:国土の北部および内陸の北東部は雨季と乾季に分かれたサバナ気候(Aw)、南部や首都ルアンダを含む沿岸部はステップ気候(BSh)が広がり、ベンゲラ海流の影響で降水量が少ないです。また、国土の内陸中央部、上記の二つの気候の間は温暖冬季少雨気候(Cwa)となっています。
地理
日本の3.3倍ほどの国土の地形は大まかに平野の広がる沿岸部、沿岸部から内陸にかけての標高500m程度の丘陵地、標高1000mを超える内陸部の高地の3つに分けられます。
赤道に近い低緯度に位置していますが、付近を流れる寒流のベンゲラ海流の影響で、沿岸部は降水量の少ないステップ気候となっており、特に夏場はほぼ降雨がみられません。
国内には多くの河川が流れており、その多くが国土中央部の高原地帯を源流としています。その多くが大西洋側に注ぎ込み、灌漑用水や水力発電に利用することが期待されていましたが、現状実現しているのは一部の河川のみです。
北部にコンゴ民主共和国とコンゴ共和国に挟まれた飛び地・カビンダがあり、サバナ気候に属し、熱帯林が広がっています。また、産油地域であり、アンゴラ経済にとって重要な地域です。
葉脈のように広がる河川
アンゴラ東部のモヒコ州を衛星写真で見ると、葉脈のような地形をしているのがわかります。これは河川が複雑な広がりを見せていることで、葉脈のように見えているものです。また、この地域には部族の集落が点在しており、泥でできた壁と藁葺き屋根の家屋が見られます。
歴史
14世紀以前のアンゴラの歴史はいまだに不透明な部分が多く、1世紀頃にバントゥー系のアフリカ人が居住していたとされますが、そのほかの詳細は不明です。14世紀に現在のアンゴラ北部を含む周辺一帯にコンゴ王国が成立しました。
15世紀にポルトガル人探検家ディオコ・カンがコンゴ王国にやってきたことで、ポルトガル王国と対等な国交を結び、ポルトガルの文化を積極的に取り入れはじめます。しかし、ポルトガル王国はここを奴隷貿易の供給地とみなし、コンゴ王国は徐々に荒廃していきました。
16世紀にポルトガル領アンゴラが現在の首都ルアンダに成立、奴隷貿易はさらに加速して、数百万人もの奴隷が南米各地に送られたと言われています。
その後、数百年に渡りアンゴラはポルトガルの植民地となりますが、第二次世界大戦後アフリカ全土で脱植民地の機運が高まり、1961年にアンゴラ独立戦争が勃発。1974年にポルトガルでカーネーション革命*1が発生したのを機にアンゴラ人民共和国として独立を果たしました。
独立を果たしたものの、ソ連の支援するアンゴラ解放人民運動(MPLA)と、アメリカの支援するアンゴラ全面独立同盟(UNITA)、中国、フランスが支援するアンゴラ国民解放戦線(FNLA)との間で内戦が勃発。これは朝鮮戦争などと同様の冷戦時代における代理戦争の一つです。
冷戦終結に伴い、政権を握るMPLAは社会主義体制から路線を変更、1992年にアンゴラ共和国となりました。
内戦は飛び地のカビンダを除き2002年に終結、その後はダイヤモンドや原油の輸出によって急速な経済成長を遂げたものの、地雷が全土に残っていることや政治腐敗などいまだに多くの問題を抱えています。
島になった半島
南部のナミビアとの国境付近にティグレス島と言うアンゴラ最大の島があります。この島はかつて本土と繋がった半島漁村が一つあり、パイプラインを通して水の供給が行われていました。
本土とつなぐ狭い地峡は徐々に海蝕されており、1962年に地峡はついに突き破られ、同時に水の供給も絶たれてしまいます。これにより半島は一夜にして島となり漁村は放棄され、現在ではゴーストタウンと化してしまいました。
情勢
内戦が終結し経済成長も著しいものの、貧富の差、地雷などによりまだまだ安全とは言えません。特に飛び地のカビンダ州は武装グループの存在も確認されており、外国人を標的とした犯罪が発生しています。
経済
長きに渡る内戦によりインフラが破壊し尽くされ、多くの犠牲者が出たことであんごらの経済は疲弊しきっていました。内戦終結後は石油やダイヤモンドといった豊富な資源をもとに、年平均15%程の高い経済成長をみせています。
産油量はサハラ以南のアフリカ諸国で第一位、ダイヤモンドの産出量はアフリカ第三位と豊富な埋蔵量を誇り、特に中国への最大の原油輸出国です。
アンゴラは腐敗認識指数*2がワーストトップクラスであり、高い経済成長率を誇っているにもかかわらず、国民生活に還元されず貧困状態の改善が見られません。
物価
アンゴラの首都ルアンダは世界一物価が高い都市とされていた時期もあり、市内で賃貸を借りると日本円換算で10万円以上すると言われています。しかし、実際は物価が高くなったわけではありません。
著しい経済成長に伴い物価の上昇が著しく進んだこと、公定レートが非常に高く設定されていることにより相対的に物価が高く感じるわけです。
カビンダ
北部の飛び地であるカビンダ州は国内最小の州でありながら原油を産出しており、アンゴラにとって重要な地域です。そんなカビンダ州では内戦が終結した今でも独立運動が続いており、紛争状態にあります。
原油の産出による恩恵をカビンダの人々が全く受けていないこと、文化的にも物理的にも隔絶していることが大きな要因です。高い失業率、未整備のインフラによって住民の生活は困窮を極めています。
文化
アンゴラは長きにわたってポルトガルの支配下にあったことから、ポルトガルの文化が広く浸透しています。公用語がポルトガル語であることをはじめ、国民の半数がキリスト教であることや料理などなど。また、様々な部族の伝統的な文化も残っており、それらの文化とポルトガル文化が混じり合って独自の文化を形成したりと多様な文化が共存しています。
言語
アンゴラはポルトガル語が公用語であるものの、大多数の国民はバントゥー系の国民言語を母語としており、それらの母語を話します。
料理
アンゴラ料理はポルトガルに強く影響を受けており、コンゴ民主共和国の食文化も北部地域を中心に反映されています。また、国土が広いため地域によって食文化に差異があり、使われる食材もバラエティ豊富です。
キャッサバやとうもろこしの粉をお湯と混ぜて作るフンジはアンゴラ人にとっての主食です。北部ではキャッサバを、南部ではとうもろこしを主に使用し、他の料理と共に食べたりもします。
その他の料理としては、パーム油などを使った豆料理、焼き魚、芋類などを混ぜたムフェーテ、魚や干し肉などをスパイスなどで味付けしたカルルーなど。
文学
アンゴラ文学は19世紀半ばにポルトガル語によって誕生しました。ポルトガル文学との差異が顕著に見られ、詩や小説において著名な作家が数多く現れ、様々な作品を残しています。
音楽
アンゴラの首都ルアンダでは、さまざまな音楽様式が生まれました。特にセンバは多くの音楽様式の前身であり、その中で代表的なのがブラジルのサンバ。植民地時代から広く国民に浸透しているアンゴラを象徴する音楽です。
観光地
渡航基本情報
アンゴラの玄関口となるのは、首都ルアンダにあるクアトロ・デ・フェベレイロ空港。日本からの直行便はなく、近隣のアフリカ諸国かヨーロッパ諸国を経由することになります。
主な観光地をいくつかピックアップ
キサマ国立公園
ルアンダの南80km程の場所にある国立公園で、かつては猟銃保護区でした。戦争によって一時動物たちは絶滅の危機にありましたが、現在は個体数を徐々に増えており、多種多様な生態系を観察できます。
ミラドゥーロ・ダ・ルーア
切り立った崖と地層が見られるスポットで、自然の作り出したアートとも言える場所です。首都から近く、車で気軽に行ける距離にあります。
ルアンダ島
首都ルアンダの沖合にある砂嘴*3で、ビーチが広がりレストランやバーが立ち並ぶ言わばリゾート地。地元の漁師が獲った新鮮な魚を味わえます。
国際関係
全方位外交を行なっており、かつては敵対していた西側諸国とも冷戦終結後から外交関係を結んでいます。
現在のアンゴラは、旧宗主国であるポルトガルや、同じポルトガル語圏であるブラジルとの結びつきが強く、ポルトガル語諸国共同体*4の一員としてモザンビークなどその他ポルトガル語圏の国々との関係も良好です。
中国は最大の貿易相手国で、首都ルアンダの一部の区画では中国側のインフラ投資によりビルやアパートが数多く建設されたものの、アパートが高額なため入居者がほとんど現れず、ほぼ無人の状態となっています。
まとめ
アンゴラは今も変化と成長の途中にある国です。急激な経済成長を遂げたとは言え、まだ内戦終結から立て直しに十分な時間が経ったわけではありません。今なお残る課題の解決にはまだ時間がかかると思います。
しかし、高い経済成長率からわかるようにポテンシャルが高い国であることは間違いありません。今後アンゴラがどのように変化を見せてくれるのか目が離せませんね。