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旅と地理のまとめ

音楽の都 オーストリア

オーストリア共和国中欧内陸国で、ドイツ、スイス、リヒテンシュタイン、イタリア、スロベニアハンガリースロバキアチェコと隣接しています。

アルプス山脈の広がる山岳国で、かつてはヨーロッパ随一の大貴族、ハプスブルク家の治める帝国でした。

首都のウィーンは音楽の都として有名。多くの著名な作曲家がウィーンを拠点として活動していました。

それでは、オーストラリアについて詳しくみていきましょう。

 

基本情報

首都 ウィーン
人口 894万人
言語 ドイツ語
民族 ゲルマン系 約90%
宗教 キリスト教カトリック65%)
GDP 4010億USドル(一人当たり44,982USドル)
通貨 ユーロ

 

気候

首都ウィーンなどの位置する国土北東部の低地は西岸海洋性気候(Cfb)、アルプス山脈の広がる標高の高い地域は冷帯湿潤気候(DfbDfc)やツンドラ気候(ET)が広がります。

北東部は大陸製の気候の影響で夏は暑く冬は寒いです。降水量は年間を通して一定で、冬場には降雪が見られ、スキー産業はオーストリアの重要な観光産業の一つ。

地理

オーストリアは8カ国に周囲を囲まれ、国内は9つの州に分かれています。首都ウィーンの人口は190万人超で他のどの州よりも多く、都市単位では第二の都市グラーツでも29万人ほど。

国土面積は北海道と同程度の大きさで、その6割ほどがアルプス山脈で占められています。

アルプス山脈、ウィーン周辺の盆地、ハンガリーとの国境付近の低地と変化に富んだ景観が特徴。

ヨーロッパ第二位の大河・ドナウ川は、曲の題材になるなどヨーロッパを代表する河川で、全長の約8分の1がオーストリア内を流れています。

最高峰のグロスグロックナー山の標高は3,798m。最大の湖であるボーデン湖はスイス、ドイツとの国境を跨ぐ氷河湖*1です。

狭い国境線

ドイツと隣接する小さな村、ユングホルツは四方のほぼ全てをドイツに囲まれています。

オーストラリアの他の街とは幅数mの非常に狭い部分で陸続きとなっているだけで、オーストリア内の他の街へつながる道路はなく、ドイツに一旦入って迂回しなければなりません。

ちなみに、陸続きの部分は山頂となっており、ユングホルツと本土の両方から登頂が可能。

 

歴史

古代〜

ドナウ川流域の平野部は肥沃な土地で、先史時代より居住者がおり、当時の遺物やミイラも発掘されています。

紀元前400年ごろには岩塩や鉄などの豊富な鉱物資源をもとにケルトがこの一帯で繁栄し、ローマ帝国の貿易相手となっていました。

紀元前15年ごろにローマ帝国支配下に置かれ、民族大移動の波に飲まれるまで約500年ほど支配が続き、996年に初めてオーストリアの名がバーベンベルク辺境伯として歴史に現れます。

ハプスブルク家による支配

ハプスブルク家はヨーロッパで長きにわたって覇権を握っていたヨーロッパ随一の名門貴族です。

1273年にルドルフ1世ハプスブルク家として初めてローマ皇帝に選出された時から歴史に名を刻み始めます。

1358年にルドルフ4世オーストリア大公を名乗り、1457年にはローマ帝国の中核をなす神聖ローマ帝国の連邦領としてオーストリア大公国が成立。

一時は別の一族に帝位を譲るものの、1437年にアルブレヒト2世が戴冠して以降、数百年にわたり途切れることなくハプスブルク家による支配が続きました。

その後はオスマン帝国の侵攻を打ち破り、各王家へハプスブルクの人間を嫁がせることでその勢力を拡大していきます。

18世紀後半、マリア・テレジアとその息子ヨーゼフ2世は近代化に向けた大改革を開始。

しかし、ナポレオンの台頭や急進的すぎる改革に対する反発により、1806年に神聖ローマ帝国は消滅しました。

1804年、フランツ2世はローマ皇帝を辞する直前に自らを皇帝とするオーストリア帝国の樹立を宣言。

その後、プロイセンに敗北したことでナショナリズム*2に対する譲歩を余儀なくされ、二重帝国であるオーストリア・ハンガリー帝国が成立しました。

第一次世界大戦後、オーストリア・ハンガリー帝国ナショナリズムの激化によって崩壊、共和制へと移行。ハプスブルク家による支配は終わりを迎えることとなりました。

オーストリア共和国成立〜

1918年の共和制移行後、新たな時代に対応できず国内は困窮を極めていました。

1938年アドルフ・ヒトラー率いるドイツの侵攻によってオーストリアは消滅。第二次世界大戦終結までドイツの統治下にありました。

1955年、永世中立国として再び独立。近代国家としての道を歩み始め、1995年にEUに加盟しました。

オーストリアと世界大戦

オーストリアは二度の世界大戦において、その双方の根幹に関わっている国です。

第一次世界大戦時は、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子がセルビア民族主義者に暗殺*3されたことを発端にセルビアに宣戦布告、戦火が広がり世界大戦に発展しました。

第二次世界大戦については、世界を大戦に導いたアドルフ・ヒトラーオーストリアで出生。ドイツに移住したヒトラーは大戦時に祖国オーストリアへ侵攻、併合しました。

情勢

オーストリアは比較的安全な国で、凶悪犯罪は少ないです。しかし、スリや置き引きなどの軽犯罪は都市を中心に少なからず発生しています。

難民の増加による治安の悪化も懸念されており、実際に強姦事件も発生しているので、特に女性は人気のない場所を一人で歩くのは避けた方が無難です。

経済

オーストリアは世界的に見ても経済は安定しており、トップクラスに豊かな国の一つです。

工業国として発展しており、食品業や自動車産業、鉄鋼業などが主要産業で、観光業も重要な産業の一つ。ガラス細工や陶器などの工芸品や美術品も世界的に有名。

賃金や物価に重点を置いた政策を敷き、社会的弱者への支援も手厚く、自由市場の拡大に焦点を当て、投資家にとっても好条件の国です。

石油や天然ガスを産出する資源国ですが、経済の発展とともにその需要は増しており、不足分を輸入で賄っています。

脱炭素社会を目指しているオーストリアは、水力発電の充実に力を注いでおり、総発電量の約6割が水力発電

ヨーロッパ諸国が主要貿易相手国で、日本もアジア諸国の中では主要な貿易相手国です。輸出品は自動車部品や鉄鋼、輸入品は食品や石油、天然ガスなど。

文化

民族

オーストリア人はゲルマン系民族で、ドイツ語を母語としており、歴史的経緯からドイツ人と同一視する風潮が広がった時代もありました。

しかし現在では、オーストリア人でありドイツ人とは異なる民族であるという独自のアイデンティティが確立されつつあります。

実際、オーストリアのドイツ語は発音や単語などに標準的なドイツ語と異なるものも多いです。

ユーゴスラビアからの移民も多く、東欧からの影響が言語の中に見られます。また、オーストリアの標準的な辞書はドイツやスイスのものとは異なる独自のものです。

国民性

・礼儀正しい

オーストリア人はとても礼儀正しく、道ですれ違う時やオフィスなどで元気よく挨拶してくれる人が多いです。

・散歩やハイキング好き

散歩やハイキングが好きな人が多く、友人をただ散歩に誘うことも多いとか。

・時間厳守

オーストリア人は時間をしっかり守ります。日本人と同様に、5分前行動も珍しくありません。

・日曜日はどこも休み

ドイツでも同様ですが、日曜日はほとんどのお店が閉まっています。買い物は土曜日までに済ませておいた方がいいですね。

料理

オーストリア料理は近隣諸国の影響をよく受けており、他国から取り入れた料理の味付けや使う食材がオーストリアオリジナルとなったものも多いです。

肉類やパンなどがよく食べられ、コーヒーがよく飲まれます。ドイツ料理と似たものも多いですが、オーストリア料理は東欧の影響が強いのが特徴。

牛肉にパン粉をまぶして揚げたヴィナーシュニッツェルオーストリア国民食とも言える料理。イギリスで言うフィッシュ&チップスのようなファストフードです。

クネーデルオーストリア版のダンプリング。じゃがいもを使った生地で作られ、中に果物を入れて甘い味付けにしたものもあります。

リンゴを生地で巻いたアプフェルシュトルーデルオーストリアの代表的なお菓子。ストリートフードとして街中でよく売られており、気軽に食べられます。

スポーツ

サッカーは最も人気のスポーツの一つ。国内リーグは100年以上の歴史があり、ワールドカップへも複数回出場しています。

気候や地形を生かしたウインタースポーツも盛ん。数多くの国際大会の会場にもなっており、スキー競技はオリンピックでいくつものメダルを獲得している強豪国。

アイスホッケーもサッカーほどではないものの人気で、スタジアムはいつも観客で満員になるほど。

モータースポーツ自転車競技も人気で、F1やロードレースにおいて多くの有名選手を輩出しています。

著名人

ハプスブルク家(ヨーロッパ随一の大貴族)

・ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト(音楽家古典派音楽の代表的人物)

ヨハン・シュトラウス1世(音楽家・ワルツの王)

・アルフレッド・アドラー精神科医アドラー心理学を提唱)

アーノルド・シュワルツェネッガー(俳優・政治家)

音楽

オーストリアの音楽と言えばクラシック音楽モーツァルトシューベルトなど著名な音楽家を数多く輩出し、世界各地から音楽家が活動拠点として移り住んできた音楽の都。

国内各地で音楽祭が開かれ、夏にシェーンブルン宮殿で催されるウィーンフィルハーモニー管弦楽団の屋外コンサートは毎年15万人ほどの観客が来場するほど大規模なものです。

ウィーン国立歌劇場は1869年に建設された世界で最も重要な歌劇場で、シーズンである9月から翌年6月までの間に年に300回以上オペラやバレエの公演が行われています。

観光地

渡航基本情報

プラグタイプ C,SE
電圧 230V,50Hz
道路 右側通行
チップ 必要
ビザ 90日以内は不要(シェンゲン協定加盟国)

 

オーストリアは周囲をシェンゲン協定加盟国で囲まれているため、陸路での入国が容易。ただし、2022年末よりETIAS(エティアス)の申請が渡航要件に加わるため注意が必要です。

空路での入国は、ウィーン国際空港への直行便が成田や羽田との間で就航しています。グラーツザルツブルグなどの地方都市もヨーロッパ諸国との間の便が就航。

オーストリアはアルプスの織りなす自然と音楽や芸術品などの文化の2つの面で魅力のある観光立国。

ハルシュタット

湖畔に佇む町並みの美しさが世界中から旅行者を惹きつける、オーストリアの観光の顔とも言える村。

ザルツブルクから電車で2時間ほどの小さな村で、古き良きオーストリアの面影を残す風景は世界遺産にも登録されています。

先史時代より、岩塩坑の存在によって栄えており、かつての採掘場内を探検することも可能。

ウィーン

オーストリアの首都にして音楽の都と呼ばれるウィーンは、オーストリアの文化と芸術を心ゆくまで味わえます。音楽留学の留学先としても人気の都市。

世界遺産に登録されているシェーンブルン宮殿シュテファン大聖堂などの歴史的建造物が主な見所。

ホーフブルク宮殿内にある国立図書館は、世界一美しい図書館ともいわれています。

ウィーン国立歌劇場ではオペラやバレエなどのオーストリアを象徴する芸術が上演され、音楽の都たる所以が垣間見える場所。

ザルツブルク

ザルツブルク州の州都にして、モーツァルト生誕の地として有名。オーストリアの歴史と音楽を感じられ、街歩きを楽しめます。

旧市街は世界遺産に登録されており、バロック様式の建造物の残る歴史的価値のある街です。

モーツァルトを記念するザルツブルク音楽祭が毎年夏に開催され、100年以上開催され続けています。

国際関係

オーストリアは周囲を8カ国に囲まれていますが、そのいずれもがシェンゲン協定加盟国であるため、国境の管理があまり必要ありません。

地理的、歴史的な観点から、東欧と西欧のどちらとも交流が深いです。

東欧に関しては、オーストリア=ハンガリー帝国の一部だったことが旧ユーゴスラビア諸国からの移民の多さの要因です。

争い事に関して基本的に中立の立場を取り、冷戦時もどちらの陣営にもつかず、NATOワルシャワ条約機構のどちらにも参加していません。

最も親密な国はドイツで、中でも特にバイエルン州との結びつきが強いです。文化や伝統が非常に似ており、オーストリアのドイツ語はバイエルン方言と一致しています。

国際機関

ウィーンは国連都市として、世界に四ヶ所ある国連事務局のうち一つが置かれています。(他はニューヨーク、ジュネーブ、ナイロビ)

他にも、OPECなどいくつかの国際機関の本部が置かれており、世界的にも重要な国際都市の一つです。

まとめ

ハプスブルク家や世界大戦など、オーストリアは世界の歴史に大きく関わっている国と言っても過言ではありません。

現在は華やかな音楽と芸術の都として発展し、豊かな経済大国であり、国際社会における役割も大きい国です。

観光地としての見所もたくさんあり、世界各地から人を惹きつける要素をふんだんに持つ国・オーストリア

これからもその魅力が失われることはないでしょう。

*1:氷河の動きによって形成された湖

*2:民族主義

*3:サラエボ事件