洪水と繊維産業 バングラデシュ
バングラデシュ人民共和国はインド、ミャンマーと隣接する南アジアの国で、イギリス連邦の加盟国です。
人口一億人を超えるイスラム教国で、人口密度が非常に高いことで知られています。
国土の大部分が三角州*1にあたる土地で、その豊かさからかつては黄金のベンガルと呼ばれていました。
しかし、豊かな水資源がもたらすのは恩恵ばかりではありません。バングラデシュは毎年当然のように洪水に見舞われる国です。
そんな日本より人口が多く、豊かな土地を持ったバングラデシュがどんな国なのか見ていきましょう。
基本情報
気候
国土の大半がサバナ気候(Aw)および熱帯モンスーン気候(Am)にあたる年中温暖な南国。北部一部地域のみ温帯夏雨気候(Cw)です。
雨季と乾季があり、毎年雨季になると洪水が発生。サイクロンもよく発生し、洪水だけでなく高潮*2ももたらします。
最寒月は1月で、最低気温は13℃前後。4月から5月にかけて最も暑くなり、40℃を超える日も珍しくありません。
夏場のモンスーンシーズンは強風と大雨による自然災害が頻発、多くの都市で月当たり350〜800mmの降水量となります。
乾季となる冬場はほとんど雨が降らず、過ごしやすい気候となるので、12月から2月は観光客にとってベストシーズン。
地理
国土の大半をインドで囲まれ、南東に少しだけミャンマーと隣接。南にはベンガル湾が広がっています。
バングラデシュの地形は、標高の低いデルタ地帯と、北部および北東部に広がる小さな丘陵地帯に大別。
耕作可能面積の割合が高く、ジャングルの広がる一帯はバングラデシュの国獣であるベンガルトラが生息。
デルタ地帯
国土を南北に貫くパドマ川をはじめ、数多くの河川がベンガルデルタを血流の如く流れ、国土の80%は標高の低い沖積平野です。
この水資源に恵まれた肥沃な土地の大半は、海抜10mを下回る標高しかありません。
標高が低く河川の多い地形であるため、モンスーンの時期になると恒常的な洪水が発生します。
丘陵
南東のチッタゴン丘陵や、北東のシレットなど、一部地域のみ標高の高い丘陵地帯を形成。最高峰はケオクラドン山の1230m。
チッタゴン丘陵地帯はインドやミャンマーの国境と隣接するヒマラヤ山脈の一部で、標高600〜900mの高さです。
行政区画
以下の8つの管区が最上位の行政単位
飛び地
かつてバングラデシュとインドの間には、飛び地が入り乱れる極めて複雑な国境が形成されていました。
インドの飛び地の中のバングラデシュの飛び地の中のインドの飛び地・・・といったように二重三重に入り組んだものも。
合計162の飛地があり、そこに住む人々は実質的に無国籍状態でした。この状態の解決のため、2015年に領地の交換を実施。
複雑な国境は解消され、住人は国籍を変えるか、別の土地に移住するか選ぶことができ、多くの住人が国籍を変えて残ることを選んでいます。
自然災害
バングラデシュは自然災害の非常に多い国で、特に雨季にはサイクロン、高潮、洪水など多くの水害が発生。
特に洪水はバングラデシュの直面する最大の問題と言っても過言ではありません。
国土の3分の2が毎年洪水に見舞われ、家屋や農作物の破壊、疫病の蔓延などさまざまな被害をもたらしています。
また、恒常的な洪水の発生は経済への影響も大きく、発展や成長の大きな阻害要因の一つです。
人々は洪水をボンナとボルシャに呼びわけ、ボンナは水害をもたらすもの、ボルシャは恵みをもたらすものと考えています。
乾季はほとんど雨が降らないため、雨季とは反対に旱魃が発生。特に北西部のインドとの国境付近でよく見られます。
歴史
古代〜
バングラデシュの位置する地方は、マウリヤ朝からムガル帝国まで、長くさまざまな王朝の支配下にありました。
ヒンドゥー教や仏教など統治していた王朝によって、いくつかの宗教の影響下にあり、イスラム教が普及したのは12世紀以降です。
ムガル帝国の滅亡後は、イギリスによる統治の時代が始まります。
イギリス統治時代〜
ヨーロッパ人は15世紀からこの地を訪れており、18世紀になり植民地として完全に統治下に置かれました。
もともと自然災害の多い地域性に加え、イギリスによる搾取が行われた結果、大飢饉が発生し1000万人以上の死者を出したとされています。
1905年にはベンガル分割令が発令。これは民族運動の盛んなベンガル地方を分割統治するといったものです。
しかし、激しい反対運動にあって断念。結局、言語ごとに区切る形で分割されました。
東パキスタン〜
1947年にイギリスからの独立を達成。しかし、この時は宗教上の理由からインドと分離して東パキスタンという形でパキスタンの一地方として独立。
独立後、言語や民族が異なることによる東パキスタン軽視の政策や、や政情不安によりパキスタン本土と対立。
東パキスタンで独立派のアワミ連盟が政権を獲得したことで独立を宣言。独立を認めないパキスタンとの戦争に発展します。
インドが東パキスタン側についたことで勝利し、1971年にバングラデシュとして独立を達成しました。
パキスタンからの独立後は、何度かクーデターや首相の暗殺が発生、現在でも依然として政情不安定な状態が続いています。
情勢
2016年に日本人7人を含む22人が犠牲になったイスラム国によるテロが発生し、当時は治安面の懸念がありました。
現在では治安面も落ち着き、旅行者は必要最低限防犯対策を怠らなければ安全に観光できるでしょう。
ただし、宗教感の強い国なので、モスクなど宗教施設では不用意な真似は避けるべきです。
衛生状況
バングラデシュは治安面よりも大きな問題なのは衛生面。一言で言うと衛生面は劣悪な状況です。
自然災害が多く、高温多湿な熱帯の国であるためさまざまな感染症が蔓延しています。
水資源は豊富なものの、清潔な水は貴重で、トイレのない家庭も珍しくありません。また、トイレ自体があっても不衛生なものも多いです。
特に衛生的な環境で育った日本人がバングラデシュを訪れると、不衛生な環境に体が対応できず体調を崩す人も少なくありません。
経済
現在のバングラデシュは後発発展途上国*3に分類され、アジア最貧国の一つ。国内に多くの貧困層を抱えています。
しかし、十分な労働人口、恵まれた土地など経済大国になりうるポテンシャルのある国。
それでも貧困から脱しきれないのは、政治的汚職、度重なる自然災害とそれによるインフラ整備の遅れなど多くの要因が重なっているためです。
ただし、経済成長率は周辺国と比較しても高く、今後数年のうちに後発発展途上国から脱却すると言われています。
主要産業は農業や繊維業。国民の4割が農業に従事し、主な農作物は米やジュート。穀物の自給率は100%を超えています。
繊維産業
繊維業はバングラデシュ経済を支える重要な産業で、輸出品目の中で縫製品が8割を占める繊維大国です。
繊維業が労働集約型の産業であることから、労働力の豊富なバングラデシュの状況にマッチしたことで、国の一大産業となりました。
安価で労働力を賄えることから世界各地のアパレル企業が進出。日本で言えばユニクロやGUが工場を構えています。
文化
文化的特徴
バングラデシュはイスラム教国であるため、その文化はイスラム教に根差しています。
ラマダン後にはイスラム教最大の祭りイードが開催されたり、豚肉は食べなかったり、女性はヒジャブで顔を覆っていたりなど。
肯定の意を示す際は、首を傾げる動作をするため、日本人が初めて見た時は困惑してしまいそうですね。
料理
農業大国であるバングラデシュは米の生産量が世界屈指で、主食として食され、消費量は世界一です。
隣国インドと同様にカレーもよく食べられ、具材に魚を使用する魚カレーが人気。魚は米と同様によく獲れ、よく食べられています。
ビリヤニは結婚式などのお祝い事の際によく食べられる代表的な料理。肉や米などの具材と香辛料を混ぜ合わせた炊き込みご飯です。
スパイスやハーブを牛肉やラム肉と混ぜ合わせて串で刺したシークカバブも定番料理の一つ。
スポーツ
クリケットは国内で最も盛んなスポーツ。20世紀末ごろから広がり始め、街中でも人々がクリケットをしている姿が見られます。
ワールドカップなどの国際大会でも好成績を収めており、クリケットの強豪国の一つです。
カバディは国技でもある伝統的なスポーツ。国際大会にも参加していますが、近年はクリケットやサッカーの台頭でやや人気に翳りが見えつつあります。
観光
渡航基本情報
バングラデシュの空の玄関口は、首都ダッカにあるシャージャラル空港。日本からの直行便はなく、バンコクやクアラルンプールで乗り継ぎます。
インドからバスや鉄道を使っての陸路越境も可能。入国にはビザが必要で、事前に取得していなくてもアライバルビザがあります。
バングラデシュ観光の際は、他の国以上に体調を崩さないよう衛生面の管理を徹底するべきです。
水道水はもちろん飲めず、店に売られているミネラルウォーターも買う前に開封されてないかなど、確認を怠らないようにしましょう。
コックスバザール
コックスバザールは世界最長のビーチとして知られており、その長さは125km。バングラデシュ人のハネムーン先としても人気。
バングラデシュ最南端の人気観光地である珊瑚島、セントマーティン島へも日帰りで訪れることが可能。
シュンドルボン
インドとバングラデシュの2カ国に跨る、総面積100万haの世界最大のマングローブ林。自然遺産として世界遺産に登録。
総面積の6割ほどがバングラデシュ側にあり、ベンガルトラなど数多くの野生動物が棲息しています。
バングラデシュの首都ダッカは、多くの人が行き交い、カオスと称される場所。街を歩いているだけでも面白いのではないでしょうか。
旧市街であるオールド・ダッカは特に色濃くカオスな世界が味わえます。植民地時代の建物の残る、迷路のように入り組んだ街並みです。
オールド・ダッカ内にはスターモスクやアーシャン・モンジールなど、ダッカの定番の観光スポットが点在。
バングラデシュ第二の都市にして最大の港町。ミャンマーとの国境沿いにあるチッタゴン丘陵地帯は多くの少数民族が居住。
彼らの生活を垣間見たり、トレッキングなど手付かずの豊かな自然を堪能できる地域です。
国際関係
バングラデシュは広く多くの国とバランスよく外交関係を築く、所謂全方位外交を展開。
特に近隣諸国とは南アジア地域協力連合(SAARC)を組織し、経済的な発展を目的として深い協力関係を築いています。
ネパール
利害が一致することが多く、その関係性を重視。ネパールは海へのアクセスのため、バングラデシュは洪水の制御にネパールの協力が重要です。
スリランカの初代王はバングラデシュにルーツを持つと言われています。バングラデシュ内の仏教徒コミュニティもスリランカと良好な関係性です。
ミャンマーからバングラデシュへ、多くのロヒンギャ族が難民として避難しています。
ベンガル系のイスラム教徒であるロヒンギャ族を、ミャンマー政府はバングラデシュからの不法移民と見做し迫害。
ミャンマー政府とロヒンギャ族の間で長きにわたって衝突が繰り返され、多くのロヒンギャ族が難民としてバングラデシュに逃れることとなりました。
アメリカ
アメリカは最大の貿易相手国で、繊維製品を数多く輸出。また、さまざまな面で支援を受けています。
イギリス
バングラデシュはイギリスの植民地であったことから、その名残がいくつか見られます。
クリケットが人気スポーツであったり、道路が左側通行であること、英語も実質的な公用語であることなど。
インド
バングラデシュの独立を最初に承認し、独立戦争にバングラデシュ側で参戦したりと独立当初から密接な関係性にあります。
現在でも、経済面や外交面などで緊密な連携をとっており、最も親密な国の一つです。
日本
日本はバングラデシュへ経済的な支援を続けており、先進国で最初に独立を認めたこともありバングラデシュ人の対日感情は非常に良好。
また、初代首相はバングラデシュの国旗を決定する際、日本の国旗を参考にしたとされています。
まとめ
アジア最貧国とも言われるバングラデシュですが、近年は安定した経済成長をみせ続けています。
大の親日国で、国旗も日本に似ていたりと、なにかと親近感の湧く一面の多い国です。
洪水など多くの自然災害に見舞われたり、衛生面など課題の多い国ですが、魅力も同じくらい多い国なのではないでしょうか。