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旅と地理のまとめ

カリブ海のイギリス バルバドス

バルバドスはカリブ海最東端に位置する国で、イギリス連邦*1の構成国です。去年11月に共和制に移行して英連邦王国*2を脱退しました。

全体がサンゴ礁に囲まれており、観光業が盛んな国。カリブ海諸国で最も裕福な国の一つです。

リトルイングランドと称されるほど、建築物など文化的な面で旧宗主国のイギリスの雰囲気が強く残っています。

日本から遠く離れた島国であまり馴染みがなく、名前すら聞いたことがない人もいるかもしれません。

そこで、バルバドスがどんな国なのか詳しく見ていきましょう。

 

基本情報

首都 ブリッジタウン
人口 28.7万人
言語 英語
民族 アフリカ系 90%
宗教 キリスト教
GDP 48.71億USドル(一人当たり16,875USドル)
通貨 バルバドス・ドル

 

気候

バルバドスは全体が熱帯モンスーン気候(Am)に属する南国。年間を通して雨季と乾季に分かれています。

年間を通して平均最高気温が30℃程で温暖。ただ、北東から貿易風が吹き付けるためそこまで暑くはありません。

カリブ海は基本的にハリケーンの被害が多い地域ですが、バルバドスはハリケーンの進行ルートから外れることが多く、直撃することは数十年に一度程度。

雨季は6月から11月で、乾季は12月から5月まで。乾季と言っても全く雨が降らないわけではなく、適度な降雨が見られます。

地理

バルバドスは小アンティル諸島最東端に位置する国です。本島一つのみで構成されていて、他に国土となる島はありません。

セントビンセントの東160kmに位置し、南北に最大34km、東西に最大23km、海岸線の長さは97kmです。

国土面積は種子島と同程度で、島全体の85%が珊瑚石灰岩で覆われた平坦な地形をしており、最高峰はヒラビー山の314m。

その立地や成り立ちから、他の小アンティル諸島の島々とは一線を画した特徴を持っています。

カリブ海の島の一つとされていますが、地理的には大西洋上の島で、カリブ海の島には含まれません。

近隣の他の島々が火山の噴火やプレートの衝突によって生まれたのと違い、バルバドスは珊瑚礁の隆起によって生まれました。

他の島々と比べて東側に位置していることから、自然災害が少ないのが特徴。火山はなく、ハリケーンも滅多に直撃しません。

行政区画

バルバドスは大きく11の行政教区に分けられます。

首都ブリッジタウンのあるセント・マイケル地区が最も人口が多く、クライスト・チャーチ地区以外全て地名がセント〜教区です。

歴史

バルバドスの最初の定住者はアラワク族とされています。4世紀ごろに定住し、漁業やキャッサバ等を育てて生活を営んでいました。

ヨーロッパ人到来〜

15世紀になり、スペイン人がバルバドスに到達。この時スペイン人は先住民を奴隷として他の島に連行したためバルバドスは無人になりました。

その後、ポルトガル人のペドロ・カンポスがこの島に上陸した際、顎髭のような見た目のイチジクをみて、島をロスバルバドス命名

この「顎髭を生やしたもの」を意味するロスバルバドスが現在のバルバドスの国名の由来とされています。

スペイン人はバルバドスの支配権を得てプランテーション農園を作ったものの、他の大きな島々を制圧したことで放棄しました。

入植開始〜

1627年に最初のイギリス人入植者が到着。これが、バルバドスにおける初めての永続的な入植となりました。

この時90人が入植、現在のホールタウンに当たる場所に集落を形成してジェームズタウン命名

1640年にサトウキビの生産技術が導入され、一気に拡大。労働力確保のため、アフリカから黒人奴隷が連れて来られました。

この時に白人の多くが島を去り、プランテーション農園主など一部の支配者のみが島に残っています。

19世紀〜

1807年にイギリスで奴隷貿易が禁止されたものの、奴隷制度自体は未だ続いていました。

1816年にはアフリカ人奴隷ブッサによる大規模な反乱が発生。農園主打倒を目指しましたが鎮圧されてしまいます。

1834年にようやくイギリスで奴隷廃止法が可決され、奴隷解放がなされました。

独立〜

1958年にカリブ海地域のイギリス領の島々は西インド連邦を結成。独立国となることを目指しますが、各島の方針が合わず数年で瓦解。

バルバドスも西インド連邦の一員でしたが、瓦解と共にイギリス領に復帰、その後1966年に改めて独立を果たしました。

独立後もイギリス連邦や英連邦王国の一員としてイギリスとの深い関係性を維持します。

2021年に英連邦王国を脱退し共和制に移行。サンドラ・メイソンが初代大統領に選出されました。

情勢

治安

バルバドスは観光立国で、外国人観光客が多く、カリブ諸国の中で政情が最も安定。治安面も大きな問題はありません。

政治的権利や市民自由度を評価する自由度ランキングでは世界第14位と先進国レベルの評価を受けています。

もちろん窃盗やスリなどの軽犯罪は発生しているので、最低限の防犯意識を持つことは大切です。

経済

観光業が国の基幹産業で、2020年にはコロナウイルスの影響で大きなマイナス成長となったものの、カリブ地域で最も経済的に安定した国の一つ。

一人当たりのGDPカリブ海域の独立国の中ではバハマに次ぐ高さで、高所得国*3に位置付けられます。

しかし、観光業によって大きく賄われているバルバドス経済は外部からの影響へ脆弱性が懸念事項です。

コロナウイルスの影響で経済的に大きな打撃を受けたことは、その大きな例と言えます。

国内の耕作可能面積は広く、農業面ではサトウキビの栽培が盛んで、主要輸出品目の一つ。主な貿易相手国はアメリカや周囲のカリブ諸国です。

自国通貨であるバルバドスドルは1USドル=2バルバドスドルの固定相場制を採用。

2022年の経済自由度指数*4は世界第28位と日本を上回っており南北アメリカ地域ではカナダ、チリ、アメリカに次ぐ第4位です。

文化

料理

バルバドス人がかつてアフリカから連れてこられた人々の末裔にあることから、西アフリカにルーツを持ちます。

そのほかにも、イギリスやクレオール料理の影響も受け、それらが混ざり合ってバルバドス料理を形成。

代表的な伝統料理として知られているのがカウカウコーンミールとオクラを混ぜて作る、シチューのような料理です。

周辺の海でよく獲れるトビウオも、人気の食材。ハーブやスパイスで味付けをして、グレイビーソースで揚げてフライにします。

バルバドスののみものと言えばラム酒世界最古の醸造があるとされ、マウントゲイなど著名なブランドのラム酒が製造されています。

スポーツ

クリケットは国内で最も人気のスポーツ。国際大会には、周辺諸国と共に西インド諸島として出場し、優勝経験もあります。

競馬は1845年から長く行われ続けている伝統的な競技です。ブリッジタウンにあるギャリソンサバンナで毎年3シーズンに分けてレースが開催されます。

ロードテニスは1930年代に、バルバドスで庶民が気軽に楽しめるスポーツとして誕生。現在ではアメリカや他のカリブ諸国にも普及しています。

建築

バルバドスの文化はイギリスの影響が大きく残っており、特に建築物にその様子がよく見て取れます。

ビクトリア様式など、イギリスの建築様式の建物が主流で、素材として木材や石材のほか、珊瑚も使用。

また、植民地時代の奴隷の家屋は簡単に移動できる簡素なもので、西アフリカの影響を感じさせる色彩の鮮やかな建造物です。

観光地

渡航基本情報

プラグタイプ A,B
電圧 110V,50Hz
道路 左側通行
チップ 料金に含まれてない場合は必要
ビザ 3ヶ月以内の滞在は不要

 

バルバドスにある国際空港は、グラントレー・アダムス国際空港の一つのみ。日本からの直行便はありません。

日本から訪れる場合、基本的にアメリカを経由することとなり、所要時間は最短でも丸一日程かかります。

バルバドスは車で1日あれば一周できる程度の小さな島。南国らしく美しい海と、イギリスの雰囲気の残る街並みが大きな特徴。

ブリッジタウン

首都ブリッジタウンは、イギリスの雰囲気の残る街並みで、旧市街は世界遺産に登録されています。

ダウンタウン内にある主要な観光地は狭い範囲に収まっているものが多く、徒歩での観光が可能。

可動橋であるチェンバレンとその周辺にある、国立英雄広場や独立記念公園が観光の中心地。

カーライルベイ

ブリッジタウンの南部に位置するカーライルベイ。べプルスビーチなどいくつかのビーチが広がる美しい海域です。

浜辺でリラックスしたり、さまざまなマリンアクティビティに参加したりとターコイズブルーの海で思うがままに楽しめます。

海岸近くに沈んでいる沈没船の残骸を見学できるツアーもあり、観光客に人気のあるツアーです。

アニマルフラワーケープ

島の北端の崖下にある絶景スポット。崖下の洞窟内の海に向けて開けた入り口からカリブ海の美しい景色を堪能できます。

崖の上にはレストランや土産物店、展望台があり、展望台からの眺望も見応えのある絶景です。

2月から4月にかけてはザトウクジラが見られるチャンスがあり、20分程度のガイド付きツアーが開催されています。

ハリソン洞窟

地下に広がる広大なハリソン洞窟は、石灰岩の侵食作用によって形成された鍾乳洞です

小川や差し込む光などの見どころのほか、暑さを逃れて涼む場所としてもぴったり。ガイドによる案内のもと見学することとなります。

国際関係

バルバドスは特にカリブ共同体(CARICOM)との協調を基軸に据えた外交を展開しています。

カリブ共同体創設メンバー4か国*5のうちの一つであり、域内の交流は政治的、文化的に深く、近隣諸国に身内がいるバルバドス人も少なくありません。

欧米諸国とも友好的な関係性を築いている一方、中国や北朝鮮キューバとも国交を有しています。

イギリスとの関係

旧宗主国であるイギリスとは、独立後も良好な関係性を維持。経済的、文化的にイギリスの影響が色濃く残っています。

イギリス連邦の一員であり、公用語が英語であることや、左側通行であることなどイギリスとの共通点が多いです。

カリブ諸国内におけるイギリス人の割合は最も高く、南北アメリカ全ての国家の中でも上位に位置しています。

トリニダード・トバゴとの関係

トリニダード・トバゴとは同じカリブ共同体の創設メンバーとして経済的に繋がりが深い一方、領海の境界をめぐって対立。

経済面や民間レベルでは良好な関係性にあるものの、政治的にやや対立関係にある一面が見られます。

二国間を結ぶ天然ガスのパイプラインを敷設したり、互いに相手国からの観光客も多く、切っても切れない関係性です。

まとめ

カリブ海に浮かぶ小国バルバドスは、カリブ諸国の中では比較的安定していて豊かな、優等生といえる国。

イギリスの面影が色濃く残る文化と美しい海に囲まれ、訪れる価値の十分にあると思います。

日本人にあまり馴染みのない国ですが、とても魅力的でカリブとイギリスの両方の雰囲気を感じられる国です。

*1:旧イギリス領間の経済同盟

*2:イギリスの国王を君主とする主権国家

*3:一人当たりのGNIが12,695USドル以上の国

*4:国家の自由経済度を表す指数

*5:バルバドス、ジャマイカガイアナトリニダード・トバゴの4カ国

洪水と繊維産業 バングラデシュ

バングラデシュ人民共和国はインド、ミャンマーと隣接する南アジアの国で、イギリス連邦の加盟国です。

人口一億人を超えるイスラム教国で、人口密度が非常に高いことで知られています。

国土の大部分が三角州*1にあたる土地で、その豊かさからかつては黄金のベンガルと呼ばれていました。

しかし、豊かな水資源がもたらすのは恩恵ばかりではありません。バングラデシュは毎年当然のように洪水に見舞われる国です。

そんな日本より人口が多く、豊かな土地を持ったバングラデシュがどんな国なのか見ていきましょう。

 

基本情報

首都 ダッカ
人口 1億6468万人
言語 ベンガル語
民族 ベンガル人
宗教 イスラム教 90%
GDP 3242億USドル(一人当たり 2362USドル)
通貨 タカ

 

気候

国土の大半がサバナ気候(Aw)および熱帯モンスーン気候(Am)にあたる年中温暖な南国。北部一部地域のみ温帯夏雨気候(Cw)です。

雨季と乾季があり、毎年雨季になると洪水が発生。サイクロンもよく発生し、洪水だけでなく高潮*2ももたらします。

最寒月は1月で、最低気温は13℃前後。4月から5月にかけて最も暑くなり、40℃を超える日も珍しくありません。

夏場のモンスーンシーズンは強風と大雨による自然災害が頻発、多くの都市で月当たり350〜800mmの降水量となります。

乾季となる冬場はほとんど雨が降らず、過ごしやすい気候となるので、12月から2月は観光客にとってベストシーズン。

地理

国土の大半をインドで囲まれ、南東に少しだけミャンマーと隣接。南にはベンガル湾が広がっています。

バングラデシュの地形は、標高の低いデルタ地帯と、北部および北東部に広がる小さな丘陵地帯に大別。

耕作可能面積の割合が高く、ジャングルの広がる一帯はバングラデシュの国獣であるベンガルトラが生息。

デルタ地帯

国土を南北に貫くパドマをはじめ、数多くの河川がベンガルデルタを血流の如く流れ、国土の80%は標高の低い沖積平野です。

この水資源に恵まれた肥沃な土地の大半は、海抜10mを下回る標高しかありません。

標高が低く河川の多い地形であるため、モンスーンの時期になると恒常的な洪水が発生します。

丘陵

南東のチッタゴン丘陵や、北東のシレットなど、一部地域のみ標高の高い丘陵地帯を形成。最高峰はケオクラドンの1230m。

チッタゴン丘陵地帯はインドやミャンマーの国境と隣接するヒマラヤ山脈の一部で、標高600〜900mの高さです。

行政区画

以下の8つの管区が最上位の行政単位

飛び地

かつてバングラデシュとインドの間には、飛び地が入り乱れる極めて複雑な国境が形成されていました。

インドの飛び地の中のバングラデシュの飛び地の中のインドの飛び地・・・といったように二重三重に入り組んだものも。

合計162飛地があり、そこに住む人々は実質的に無国籍状態でした。この状態の解決のため、2015年に領地の交換を実施。

複雑な国境は解消され、住人は国籍を変えるか、別の土地に移住するか選ぶことができ、多くの住人が国籍を変えて残ることを選んでいます。

自然災害

バングラデシュ自然災害の非常に多い国で、特に雨季にはサイクロン、高潮、洪水など多くの水害が発生。

特に洪水バングラデシュの直面する最大の問題と言っても過言ではありません。

国土の3分の2が毎年洪水に見舞われ、家屋や農作物の破壊、疫病の蔓延などさまざまな被害をもたらしています。

また、恒常的な洪水の発生は経済への影響も大きく、発展や成長の大きな阻害要因の一つです。

人々は洪水をボンナボルシャに呼びわけ、ボンナは水害をもたらすもの、ボルシャは恵みをもたらすものと考えています。

乾季はほとんど雨が降らないため、雨季とは反対に旱魃が発生。特に北西部のインドとの国境付近でよく見られます。

歴史

古代〜

バングラデシュの位置する地方は、マウリヤ朝からムガル帝国まで、長くさまざまな王朝の支配下にありました。

ヒンドゥー教や仏教など統治していた王朝によって、いくつかの宗教の影響下にあり、イスラム教が普及したのは12世紀以降です。

ムガル帝国の滅亡後は、イギリスによる統治の時代が始まります。

イギリス統治時代〜

ヨーロッパ人は15世紀からこの地を訪れており、18世紀になり植民地として完全に統治下に置かれました。

もともと自然災害の多い地域性に加え、イギリスによる搾取が行われた結果、大飢饉が発生し1000万人以上の死者を出したとされています。

1905年にはベンガル分割令が発令。これは民族運動の盛んなベンガル地方を分割統治するといったものです。

しかし、激しい反対運動にあって断念。結局、言語ごとに区切る形で分割されました。

パキスタン

1947年にイギリスからの独立を達成。しかし、この時は宗教上の理由からインドと分離してパキスタンという形でパキスタンの一地方として独立。

独立後、言語や民族が異なることによる東パキスタン軽視の政策や、や政情不安によりパキスタン本土と対立。

パキスタンで独立派のアワミ連盟が政権を獲得したことで独立を宣言。独立を認めないパキスタンとの戦争に発展します。

インドが東パキスタン側についたことで勝利し、1971年にバングラデシュとして独立を達成しました。

パキスタンからの独立後は、何度かクーデターや首相の暗殺が発生、現在でも依然として政情不安定な状態が続いています。

情勢

2016年に日本人7人を含む22人が犠牲になったイスラムによるテロが発生し、当時は治安面の懸念がありました。

現在では治安面も落ち着き、旅行者は必要最低限防犯対策を怠らなければ安全に観光できるでしょう。

ただし、宗教感の強い国なので、モスクなど宗教施設では不用意な真似は避けるべきです。

衛生状況

バングラデシュは治安面よりも大きな問題なのは衛生面。一言で言うと衛生面は劣悪な状況です。

自然災害が多く、高温多湿な熱帯の国であるためさまざまな感染症が蔓延しています。

水資源は豊富なものの、清潔な水は貴重で、トイレのない家庭も珍しくありません。また、トイレ自体があっても不衛生なものも多いです。

特に衛生的な環境で育った日本人がバングラデシュを訪れると、不衛生な環境に体が対応できず体調を崩す人も少なくありません。

経済

現在のバングラデシュ後発発展途上国*3に分類され、アジア最貧国の一つ。国内に多くの貧困層を抱えています。

しかし、十分な労働人口、恵まれた土地など経済大国になりうるポテンシャルのある国。

それでも貧困から脱しきれないのは、政治的汚職、度重なる自然災害とそれによるインフラ整備の遅れなど多くの要因が重なっているためです。

ただし、経済成長率は周辺国と比較しても高く、今後数年のうちに後発発展途上国から脱却すると言われています。

主要産業は農業や繊維業。国民の4割が農業に従事し、主な農作物はジュート穀物自給率は100%を超えています。

繊維産業

繊維業はバングラデシュ経済を支える重要な産業で、輸出品目の中で縫製品が8割を占める繊維大国です。

繊維業が労働集約型の産業であることから、労働力の豊富なバングラデシュの状況にマッチしたことで、国の一大産業となりました。

安価で労働力を賄えることから世界各地のアパレル企業が進出。日本で言えばユニクロやGUが工場を構えています。

文化

文化的特徴

バングラデシュイスラム教国であるため、その文化はイスラム教に根差しています。

ラマダン後にはイスラム教最大の祭りイードが開催されたり、豚肉は食べなかったり、女性はヒジャブで顔を覆っていたりなど。

肯定の意を示す際は、首を傾げる動作をするため、日本人が初めて見た時は困惑してしまいそうですね。

料理

農業大国であるバングラデシュは米の生産量が世界屈指で、主食として食され、消費量は世界一です。

隣国インドと同様にカレーもよく食べられ、具材に魚を使用する魚カレーが人気。魚は米と同様によく獲れ、よく食べられています。

ビリヤニは結婚式などのお祝い事の際によく食べられる代表的な料理。肉や米などの具材と香辛料を混ぜ合わせた炊き込みご飯です。

スパイスやハーブを牛肉やラム肉と混ぜ合わせて串で刺したシークカバブも定番料理の一つ。

スポーツ

クリケットは国内で最も盛んなスポーツ。20世紀末ごろから広がり始め、街中でも人々がクリケットをしている姿が見られます。

ワールドカップなどの国際大会でも好成績を収めており、クリケットの強豪国の一つです。

カバディは国技でもある伝統的なスポーツ。国際大会にも参加していますが、近年はクリケットやサッカーの台頭でやや人気に翳りが見えつつあります。

観光 

渡航基本情報

プラグタイプ BF,C,D,K
電圧 220V 50Hz
道路 左側通行
チップ 基本不要
ビザ 必要(オンライン、アライバルどちらも可)

 

 

バングラデシュの空の玄関口は、首都ダッカにあるシャージャラル空港。日本からの直行便はなく、バンコクやクアラルンプールで乗り継ぎます。

インドからバスや鉄道を使っての陸路越境も可能。入国にはビザが必要で、事前に取得していなくてもアライバルビザがあります。

バングラデシュ観光の際は、他の国以上に体調を崩さないよう衛生面の管理を徹底するべきです。

水道水はもちろん飲めず、店に売られているミネラルウォーターも買う前に開封されてないかなど、確認を怠らないようにしましょう。

 

コックスバザール

コックスバザールは世界最長のビーチとして知られており、その長さは125kmバングラデシュ人のハネムーン先としても人気。

バングラデシュ最南端の人気観光地である珊瑚島、セントマーティン島へも日帰りで訪れることが可能。

シュンドルボン

インドとバングラデシュの2カ国に跨る、総面積100万ha世界最大のマングローブ。自然遺産として世界遺産に登録。

総面積の6割ほどがバングラデシュ側にあり、ベンガルトラなど数多くの野生動物が棲息しています。

ダッカ

バングラデシュの首都ダッカは、多くの人が行き交い、カオスと称される場所。街を歩いているだけでも面白いのではないでしょうか。

旧市街であるオールド・ダッカは特に色濃くカオスな世界が味わえます。植民地時代の建物の残る、迷路のように入り組んだ街並みです。

オールド・ダッカ内にはスターモスクアーシャン・モンジーなど、ダッカの定番の観光スポットが点在。

チッタゴン

バングラデシュ第二の都市にして最大の港町。ミャンマーとの国境沿いにあるチッタゴン丘陵地帯は多くの少数民族が居住。

彼らの生活を垣間見たり、トレッキングなど手付かずの豊かな自然を堪能できる地域です。

国際関係

バングラデシュは広く多くの国とバランスよく外交関係を築く、所謂全方位外交を展開。

特に近隣諸国とは南アジア地域協力連合(SAARC)を組織し、経済的な発展を目的として深い協力関係を築いています。

ネパール

利害が一致することが多く、その関係性を重視。ネパールは海へのアクセスのため、バングラデシュは洪水の制御にネパールの協力が重要です。

スリランカ

スリランカ初代王はバングラデシュにルーツを持つと言われています。バングラデシュ内の仏教徒コミュニティもスリランカと良好な関係性です。

ミャンマー

ミャンマーからバングラデシュへ、多くのロヒンギャ族が難民として避難しています。

ベンガル系のイスラム教徒であるロヒンギャ族を、ミャンマー政府はバングラデシュからの不法移民と見做し迫害。

ミャンマー政府とロヒンギャ族の間で長きにわたって衝突が繰り返され、多くのロヒンギャ族が難民としてバングラデシュに逃れることとなりました。

アメリ

アメリカは最大の貿易相手国で、繊維製品を数多く輸出。また、さまざまな面で支援を受けています。

イギリス

バングラデシュはイギリスの植民地であったことから、その名残がいくつか見られます。

クリケットが人気スポーツであったり、道路が左側通行であること、英語も実質的な公用語であることなど。

インド

バングラデシュ独立を最初に承認し、独立戦争バングラデシュ側で参戦したりと独立当初から密接な関係性にあります。

現在でも、経済面や外交面などで緊密な連携をとっており、最も親密な国の一つです。

日本

日本はバングラデシュへ経済的な支援を続けており、先進国で最初に独立を認めたこともありバングラデシュ人の対日感情は非常に良好。

また、初代首相はバングラデシュの国旗を決定する際、日本の国旗を参考にしたとされています。

まとめ

アジア最貧国とも言われるバングラデシュですが、近年は安定した経済成長をみせ続けています。

大の親日国で、国旗も日本に似ていたりと、なにかと親近感の湧く一面の多い国です。

洪水など多くの自然災害に見舞われたり、衛生面など課題の多い国ですが、魅力も同じくらい多い国なのではないでしょうか。

*1:河川によって運ばれてきた土砂で形成された土地

*2:台風などによって海面が高まる現象

*3:特に発展が遅れている途上国

海に浮かぶ砂漠の王国 バーレーン

バーレーン王国は、ペルシャ湾に浮かぶ立憲君主制の島国です。周囲はサウジアラビアカタール、イランに囲まれています。

国土全体が砂漠に覆われたアラブ国家で、オイルマネーによって潤い、首都マナーマは中東を代表する都市の一つ。

カタールUAEと同様に、出稼ぎに来ている外国人労働者が多く、人口の過半数を占めています。

33の島からなる国で、観光業にも力を入れている国ですが、日本人にとってはあまり馴染みのない国かもしれません。

そんなバーレーンがどんな国なのか、見ていきましょう。

 

基本情報

首都 マナーマ
人口 170.2万人
言語 アラビア語
民族 アラブ人70%(うちバーレーン人60%)
宗教 イスラム教(シーア派70%、スンニ派30%)
GDP 347.3億USドル(一人当たり29,103USドル)
通貨 バーレーン・ディナール

 

気候

国土全体が砂漠に追われた砂漠気候(BWh)であり、夏場は気温が40℃を超える酷暑が続くことも珍しくありません。

夏場は湿度が高いのも相まって過ごしづらい環境です。また、気温の日較差が大きく、夜は肌寒くなる日もあります。

また、北西からシャマール*1が吹き付けるのも夏場の大きな特徴。

冬場は気温20度前後で推移し、カラッとした快適な空気。雨は滅多に降りませんが、稀に激しい雨が降り鉄砲水を引き起こすことも。

春と秋が観光のベストシーズン。暑すぎず、夜も寒すぎず、雨の心配もほとんどありません。

地理

33の島からなる砂漠に覆われた島国で、最高標高はドゥハーン山の134mと全体的に平坦な国です。

国土面積は785㎢ほどで、海上の埋め立てによる人工島の建設により、その面積は年々拡大しています。

最大の面積を誇るバーレーンでも南北に最大48km、東西に最大16kmで面積は香川県の3分の1程度しかありません。

行政区画

行政区画は、首都県、南部県、北部県、ムハッラク県の4つの県に区分されます。2014年までは中部県も存在、現在は吸収合併されて4つになりました。

南部県は圧倒的に面積が広いものの、人口は4つの県の中で最小。政府は行政ごとの人口の偏りを是正するためさまざまな施策を実施しています。

その一つがほぼ南端にあるバーレーン第3位の面積の人工島、ドゥラット・アル・バーレーン。魚や三日月のような形をしているのが特徴的。

地理的特徴

バーレーンペルシャ湾の中でも比較的浅瀬の入江にあたるバーレーンに位置しています。

島の周囲は岩礁で覆われ、北部の沖合には広大な珊瑚礁も存在。

バーレーンは国内に河川、自然湖が全くありません。国土の92%が砂漠に覆われ、湿潤な土地は西海岸に一部あるのみです。

そのため水資源が限られ、地下水や海水淡水化くらいしかありません。ペルシャ湾には帯水層*2があり、これが地下水をもたらしてくれています。

島は砂漠のほか、石灰岩で覆われ、露出した石灰岩が起伏の低い丘陵や浅い峡谷を形成。

砂が塩分を含んでいることもあって、植物にとって非常に過酷な環境であり、ごく一部の植生しかありません。

ハワール諸島

ハワール諸島はカタールから2kmも離れていない場所に浮かぶ島々で、最大のハワール島は国内第二の大きさです。

30ほどの島で構成され、ラムサール条約に登録されており、かつてカタールとの領土係争地でした。

最南端にあるジナン島のみ、ハワール諸島に帰属しないと判断され、カタール領となっています。

歴史

古代〜

古代バーレーンにはディルムン文明が築かれていたとされ、メソポタミア文明インダス文明との交易地として栄えていました。

紀元前6世紀ごろにはアケメネス朝ペルシャ支配下に置かれ、イスラム教の到来までイラン王朝がバーレーンを統治。

ギリシャ人はこの頃のバーレーンのことを真珠取引の中心地として、タイロスと呼んでいました。

7世紀になると、イスラム教が普及。15世紀末まで、アラブ系の王朝が代わる代わる支配下に置き続けます。

15世紀〜

15世紀末になると、ポルトガルバーレーン一帯に進出。その後、80年間ポルトガルによる支配が続きます。

1602年、サファヴィー朝ペルシャアッバース一世ポルトガルバーレーンから追放。シーア派が影響力を強めることになりました。

18世紀初頭、イランやオマーンが侵攻。その結果、サファヴィー朝は崩壊、戦争の影響で、バーレーンに当時あった360の市町村のうち300が崩壊しました。

1782年、リーファカタールから移住し実権を掌握。1820年にはイギリスと条約を締結し、国王としてバーレーンを統治することについて承認を受けました。

19世紀半ば以降、バーレーンペルシャ湾における貿易の中心地として繁栄。近代的な国家へと変貌を遂げます。

1880年にはイギリスの保護国となり、ペルシャ湾で最初の女子学校が開校されるなど、さまざまな改革が行われました。

石油の発見〜

1931年、アメリカの石油会社の子会社であるバーレーンの石油会社が油田を発見、急速な近代化が進みます。

1968年、イギリスの撤退を機にペルシャ湾岸の首長国連邦結成協定を締結。

1971年、国連の開催した国民投票の結果、大多数の島民が独立を支持したためイギリスよりバーレーンとして独立を果たしました。

1990年台以降、民主化を求める国民による暴動が発生。その結果、2002年に立憲君主制へ移行し国名もバーレーン王国に改称。

2011年にはシーア派住人による反政府デモ、バーレーン騒乱*3が発生。多数の死傷者や逮捕者を出しました。

情勢

バーレーンは中東諸国の中では比較的治安の良い国とされています。しかし、シーア派スンニ派の対立は懸念すべき問題です。

2011年にアラブの春に触発されたバーレーン騒乱が発生しており、現在でも両宗派の対立が終息したとはいえません。

現在は落ち着いてはいますが、シーア派住民の居住する地区では2021年に爆破テロ未遂が発生しています。

ただし、これら事件は突発的なものなので、普段は最低限の防犯対策をしておけば安全に過ごせるでしょう。

経済

かつては貿易の中継地として、真珠の産地として栄えていました。石油の発見により、近代的な都市の開発が始まります。

現在のバーレーンは、他の中東諸国にアクセスしやすいという地理的条件を活かした金融センターとして発展。

インフラの整備が進み、多くの外国企業が進出してきたことで、世界的な金融センターの一つとなりました。

アラブ諸国で最初に油田を発見し、産油国として発展を遂げた国で、現在も石油への経済の依存度は高いです。

石油やアルミニウム製品が主な輸出品目で、サウジアラビアUAEアメリカが主要貿易相手国。

しかし、他の近隣産油国と比べ生産量が少ないこと、枯渇の懸念があることから、近年は産業の多角化に向けた経済政策を推進。

特に観光業に力を入れており、2004年には中東初のF1グランプリを開催するなど、外国人旅行者の受け入れに積極的です。

バーレーンの経済を支えているのは人口の過半数を占める外国人労働者たち。インド人が最も多くの割合を占めています。

文化

文化的特徴

バーレーンの国名の由来は、アラビア語で海を意味するバハルから。

男性の多くは、ソーブと呼ばれる伝統的なローブを着用。富裕層は西欧風のソーブを着る傾向にあります。頭はグトォラと言うスカーフ状のものを着用。

女性はアバヤと言う黒い衣装を着用し、頭まで覆うのが一般的。たまに頭や顔を覆っていない女性もいます。

かつては絶対君主制で、2002年に立憲君主制に移行。民主化を図っていますが、未だに世界的に見ると独裁的な国家という位置付けです。

公用語アラビア語ですが、外国籍住民が過半数を占めることや、観光客が多いことから英語も広く浸透しています。

宗教

バーレーンイスラム教国家で、多数のシーア派と少数のスンナ派に分かれています。

王室がスンナ派であるため、政治や職業などにおいて優遇されており、多数派のシーア派国民に不満が募り時には暴動に発展。

周囲のアラブ諸国と比べ自由度が高く、アルコールも好きなように飲めるし、音楽も好きに聞くことが可能。

宗教の自由も認められており、外国籍の国民が多数を占めることもあって、イスラム教徒以外の国民も少なからずいます。

女性の社会進出も比較的進んでおり、就職や大学に進学する女性も少なくありません。

料理

バーレーン料理はアラビア料理、インド料理、ペルシャ料理などが融合したもの。多民族国家故、いろいろな国の文化が入り混じっています。

代表的な料理の例として、三角形の生地に肉や野菜などの具材を詰めたサモサ。屋台などでよく見られ、メインディッシュの前菜としても提供されます。

マクブースはピラフのような料理で、肉や魚と香辛料をサフランライスと混ぜ合わせて炊いたもの。

ハリースは鶏肉やラム肉などと小麦を混ぜたお粥。ラマダンの月のイフタール*4としてよく食べられています。

スポーツ

サッカーが国内で最も人気のスポーツ。ワールドカップ出場歴はないものの、国内プロサッカーリーグがあります。

モータースポーツも盛んで、バーレーンインターナショナルサーキットは世界有数のサーキットの一つ。

中東初のF1グランプリは、バーレーンで開催されました。現在も毎年バーレーングランプリが開催されています。

乗馬も娯楽として人気があり、厩舎や乗馬施設が国内各地に点在。乗馬だけでなく、競馬も盛んです。

観光地

渡航基本情報

プラグタイプ BF
電圧 230V, 50Hz
道路 右側通行
チップ 不要
ビザ 必要(空港、インターネットで取得可)

 

バーレーン入国の玄関口となる、バーレーン国際空港への日本からの直行便はありません。ドバイやバンコクで乗り継ぐことになります。

入国にはビザが必要。空港到着時にアライバルビザを取得可能です。もしくはインターネットで事前取得も可。

観光に適した季節は暑さの和らぐ春や秋。夏場に渡航すると、暑すぎて観光どころではないかもしれません。

お金について、自国通貨以外にサウジアラビアサウジアラビア・リヤルも流通しています。

マナーマ

首都マナーマはドバイのように砂漠の中に近代的なビルの建ち並ぶ都市。伝統的な商店の並ぶスークなど、近代的な都市の中にアラブの空気を感じられます。

バーレーン国立博物館は、国の辿ってきた歴史を知ることができる人気スポットの一つ。

バーレーン最大規模のアハマド・アル・テファフ・モスクは7000人収容可能な巨大モスク。礼拝の時間外であれば内部の見学が可能。

バーレーン要塞

バーレーン要塞は、マナーマ中心から10分ほどのの郊外にある世界遺産に登録されている要塞です。

古代ディルムン文明の中心都市だったとされる場所で、アラブやポルトガルの要塞など様式の異なる建築物が積み重なっているのが大きな特徴。

生命の樹

砂漠の中に一本だけ生えている10m超のアカシアの巨木。周囲数キロにわたって他の植物がない中、400年以上生き続けています。

水源が不明なため、どうやって生命を維持しているかが謎なため生命の樹と呼ばれるようになりました。

キング・ハファド・コーズウェイ

バーレーンサウジアラビアを結ぶ全長25kmの海上橋。サウジアラビア全額出資で1986年に完成しました。

どちら側にも出入国管理所手前に展望タワーがあり、そこで食事を取ったり眺望を楽しんだりできます。

国際関係

対イラン

バーレーンは外交面において、国家の安全保障を最も重視。具体的にはイランからの政治的影響を懸念しています。

シーア派の国であるイランがバーレーン国内のシーア派を扇動することを危惧し、サウジアラビア君主制の周辺国と緊密な関係性を維持。

イランがかつて、バーレーンはイランの一部であると主張していたことが、バーレーン側が警戒心を抱く原因です。

サウジアラビアとの関係

サウジアラビア王家が同部族出身なこともあり、最友好国かつバーレーンに大きな影響を与えています。

両国はキング・ハファド・コーズウェイという名の橋で繋がれ、週末には多くのサウジアラビア人が娯楽を求めてバーレーン渡航

2016年にはサウジアラビアがイランと断交したことで、これに追随してバーレーンもイランと断交しました。

2020年、多くのアラブ諸国と対立しているイスラエルと国交正常化に合意。これもまた、イランの脅威に対抗することが主な目的です。

その他アラブ諸国との関係

ペルシャ湾岸地域の協力機構である湾岸協力理事会(GCC*5の一員として域内における経済的、政治的協力関係を構築。

UAEとは、同時にイスラエルとの国交正常化に踏み切るなど、外交的に足並みを揃え良好な関係性にあります。

カタールとはかつてハワール諸島をめぐって領土問題を抱えていました。また、2017年にはUAEサウジアラビア、エジプトと共に国交を断絶。

ムスリム同胞団*6を支援していることが断交の主な理由です。2021年に他3カ国と共に国交を回復しました。

西側諸国との関係

アメリカやイギリス、日本などの西側諸国との関係は良好。旧宗主国のイギリスとは独立後も密接な関係性にあります。

バーレーン親米国であり、アメリカのはバーレーンに第5艦隊の司令部を設置。アメリカはイスラエルとの国交正常化の際の仲介も行いました。

まとめ

バーレーンは比較的世俗的なイスラム教国で、異文化にも寛容な国です。小さなドバイとも呼べるような国で、観光地としての魅力も豊富。

音楽やアルコールを楽しめるのも旅行者にとってはありがたいですね。

比較的安全に、のんびりとアラブ世界を楽しみたいならバーレーンはうってつけの国ではないでしょうか。

*1:中東で見られる砂塵を伴った強風

*2:地下水によって飽和している地層

*3:シーア派住民による政治的自由、格差是正を求める反政府デモ

*4:ラマダン中の断食後に食べる最初の食事

*5:バーレーンUAEカタールオマーンサウジアラビアクウェートの6カ国が加盟

*6:イスラム原理主義を唱える組織

カリブの海賊とタックスヘイブン バハマ

バハマ国は、イギリス連邦に加盟するカリブ海の島国です。

フロリダ半島の東部、キューバの北部に位置しており、国土は700以上の島で構成されています。

観光地として人気の国で、美しいカリブの海が広がる、欧米人観光客がたくさん訪れるリゾート地です。

タックスヘイブンとして知られており、2016年にはバハマ文書*1によってバハマ国内のペーパーカンパニーが公開され注目を浴びました。

また、その歴史を語るにおいて、カリブの海賊の存在を無視することはできません。

金融と観光の島国であるバハマについて、詳しく見ていきましょう。

 

基本情報

首都 ナッソー
人口 39.3万人
言語 英語
民族 アフリカ系 90%
宗教 キリスト教
GDP 112.5億USドル(一人当たり 28,579USドル)
通貨 バハマドル

 

気候

バハマは気候区分上サバナ気候(Aw)や熱帯モンスーン気候(Am)にあたり、メキシコ湾流の影響もあって年間を通して温暖な気候です。

雨季と乾季があり、11月から4月が乾季、5月から10月が雨季にあたります。また、雨季にはハリケーンが襲来し、年間降水量の7割が雨季に発生。

乾季にあたる月は比較的涼しく、降水量も少なく過ごしやすいため観光のベストシーズンです。

雨季は曇りの日が多く湿度が高いものの、北東からの貿易風が吹くため比較的過ごしやすいです。

地理

バハマは661の島と2387の岩礁からなり、そのうち有人島は29島のみ。

首都ナッソーのあるニュープロビデンスは、国内最大の面積のアンドロス島10分の1以下の大きさしかないものの、人口の7割以上がこの島に集中しています。

国土は非常に平坦で、最大標高はキャット島にあるアルバニア山の63m。国土の大半は海面から数m程の標高しかありません。

地理的にはカリブ海に属すものの、その島々は大西洋上にあります。国土は東西に800km以上に渡って広がり、フロリダ半島と最も近い地点でその距離は約80kmです。

バハマ諸島は、サンゴ礁とそこから作られる石灰岩で形成されているため、国内に河川はありません

世界のサンゴ礁約5%バハマ海域にあり、世界で三番目に大きいバリアリーフを形成しています。

島々の特徴

バハマを構成する島々は、珍しい景観を見られる場所も多く、例えば、二番目に大きいエルーセラ島では、ピンク色の砂浜のピンクビーチが見られます。

ピンク色の貝殻が砕けて砂と混じり合ったことで、このような一面にピンク色の砂浜が作られました。

最大の面積を誇るアンドロス島は、マングローブが広がるの湿地帯を形成。

グランド・バハマは、第二の人口を誇る島で、住宅や道路網、運河などの開発が進められ国内第二の都市として開発が進行中です。

イナグア島は、多数のフラミンゴが生息しており、生息地は国立公園に指定されラムサール条約に指定。

歴史

先史時代〜

西暦300年ごろ、現在のキューバから渡ってきた人々が定住し、漁業などをしながら暮らしていました。

西暦900年ごろになると、ルカヤン族がこの地に定住。政治、宗教などの社会システムを構築し、発展していきました。

1492年、クリストファー・コロンブスサンサルバドル島に上陸。この地を奴隷の供給源として、ルカヤン人を他の島々に連れ去ります。

その結果、4万人ほどいたルカヤン人は病気や過酷な労働などによってたった25年で全滅してしまいました。

イギリス人の入植

17世紀、イギリスのピューリタン*2たちが宗教的な自由を求めて移住。

しかし、食糧難に見舞われたため、彼らを率いていたウィリアム・セイルアメリカへ向けて出向、マサチューセッツ湾岸の植民地に到着し物資を受け取ります。

この時アメリカ側が得た収益は後にハーバード大学となる土地の購入に充てられました。

海賊たちの時代

17世紀後半ごろから、バハマ諸島周辺で多くの私掠船*3や海賊が見られるようになります。

浅い海域に無数の島があるため、財宝の隠し場所として最適なこと、海上交通の要所であるため商船が多く、略奪の機会に恵まれていたことが大きな理由です。

黒髭の異名で知られるエドワード・ティーバハマを海賊活動の拠点としていました。

ナッソーは海賊が集まることで、彼ら独自の海賊の掟が誕生。無政府状態になったことも相まって、1706年から11年間海賊たちが自治する私掠船共和国と呼ばれる状態となります。

1718年ウッド・ロジャースバハマの総督に任命されるまで、海賊たちの栄華は続きました。

ロジャースは降伏した海賊に恩赦を与えると宣言、多くの海賊が降伏、抵抗したものも処刑されるか逃亡したため、バハマにおける海賊の時代は終わりを迎えます。

奴隷の輸入〜独立

18世紀後半、アメリカ独立戦争におけるロイヤリスト*4たちが入植、アフリカ人奴隷を輸入し、プランテーションの労働力としました。

19世紀になって奴隷解放が行われた後もバハマに住み続け、現代のバハマ人は彼らの末裔です。

南北戦争時は、連合国側の貿易拠点として繁栄するものの、戦争終了と共に再び衰退。

1950年ごろからは観光業と金融業で徐々に発展、1973年にイギリスから独立を果たしました。

情勢

バハマの治安は比較的安定しています。しかし、観光大国であるため渡航者が多く、彼らを狙った軽犯罪は少なくありません。

重大犯罪は少ないですが、防犯対策を怠らず犯罪に巻き込まれないように対策をしておくべきでしょう。

経済

バハマカリブ諸国一裕福な国家で、その財源は主にタックスヘイブンによる金融業によってもたらされています。

一人当たりの名目GDP先進諸国と並びうるほどであり、外国企業の誘致や観光客などからの外貨収入が主な収入源です。

バハマに限らず、ケイマン諸島などカリブ海島嶼部は観光業以外の産業の発展が見込めないため、税率を抑え、企業を誘致してきました。

その結果、多くの企業が投資、参入し、国内経済は潤ったものの、大企業や富裕層の税逃れに利用されており、2016年のパナマ文書*5の漏洩は世界的なニュースになりましたね。

これは違法ではないものの、国家にとっては税収が減り、犯罪組織の資金洗浄に使われる危険性も孕んでいます。

主要貿易相手国はアメリカやEU諸国で、工業製品等を輸出し、燃料や鉱物を輸入。バハマドルは、1USドル=1バハマドルの固定相場制を採用。

観光業もバハマ経済の屋台骨であり、地理的に近いことや公用語が英語であることからアメリカからの観光客がその大半を占めています。

GDPの半分以上を観光業に依存し、観光客の大半がアメリカから来ることからアメリカの情勢に依存傾向にあるのがバハマ経済の特徴。

ビーチリゾートやマリンスポーツだけでなく、カジノなどの娯楽施設も充実させ、観光客の誘致に力を入れています。

文化

バハマの国名は、スペイン語干潮を意味するバハ・マール(Baja Mar)に由来。カリブ語で浅い環礁を意味するという説もあります。

島ごとに言語や生活習慣、文化などに多少の違いがあり、例えば、人口の過半数が白人で占められる島や、アフリカの文化が色濃く島などなど。

言語

バハマ公用語は英語ですが、アフリカの言語とイギリス英語が混ざったいわばバハマ方言言える英語。

これはイギリスによる植民地支配と、アフリカから人々が奴隷として連れてこられた歴史に由来するものです。

また、ハイチからの移民はクレオール言語を使用。バハマ方言もバハマクレオール語と言われることがあります。

料理

バハマ料理は、西アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ、先住民などさまざまな文化が融合して形成された料理です。

カリブ海で採れる新鮮なシーフードはもちろんのこと、果物や野菜もよく使用されます。

特にバハマ近海で採れるコンク貝は、バハマの名物と言えるシーフードで、いろんな料理に使用される定番の食材。

例えば、コンク貝サラダバハマの定番料理の一つ。さいの目切りにした巻き貝を野菜や果物と共に盛り付けたサラダです。

ホットソースをかけたり、パイナップルやマンゴーなどの果物を加えたりと食べ方は人によってさまざま。

他にもフリッターとして揚げたり、魚介類のマリネであるセビチェの材料にしたりとレパートリーが非常に豊富。

その他の人気料理としては、グアバなどの果物を甘いソースでトッピングしたダフ、スープなどの添え物として出される甘いパンのジョニーケーキなど。

音楽

バハマでは、カリブ地域や国内発祥の音楽が人気。トリニダード・トバゴ発祥のカリプソや、アフリカ奴隷の子孫が生み出したジャンカヌーなどがその代表例。

その他の国内の伝統的な音楽として、アコーディオンなどの楽器を使うキャット島発祥のレークン・ストラップも人気です。

スポーツ

バハマで最も人気のスポーツはバスケットボール。ワールドカップへの出場歴はありませんが、NBAプレイヤーを複数輩出。

セーリングバハマ国技であり、人気も非常に高いスポーツです。多くの島でセーリングの大会やイベントが催されています。

観光地

基本観光情報

プラグタイプ A
電圧 120V 60Hz
道路 左側通行
チップ 必要
ビザ 3ヶ月以内の滞在は不要

バハマクルーズ船の寄港地として、多くの会社のクルーズ船が立ち寄ります。

飛行機で訪れる場合、ニュープロビデンス島にあるリンデン・ピントリング空港が空の玄関口。

基本はアメリカ経由となりますが、カナダやイギリスからの直行便も存在します。

主な観光地はもちろん、カリブ海の美しい海を楽しむビーチやマリンスポーツです。

キャスタウェイ・ケイ

キャスタウェイ・ケイはディズニーグループが所有するリゾートアイランドで、ディズニークルーズに参加しないと訪れることができません。

アメリカの、主にマイアミ発のクルーズラインの寄港地の一つで、その旅程の途中で訪問する島です。

ディズニーとビーチリゾートが融合した島で、さまざまなマリンアクティビティを楽しんだり、お馴染みのディズニーキャラクターにも会えます。

ナッソー

首都ナッソーはカリブ海クルーズにおける最も人気の寄港地の一つ。飛行機でバハマを訪れる際も大抵はここにに降り立つので、ほとんどの観光客が一度は訪れるでしょう。

ビーチリゾートを楽しむだけでなく、かつての海賊の様子を知れるパイレーツオブナッソーや、対海賊用のシャーロット砦などバハマの歴史も知れる施設が多いです。

フェリーで30分ほどのブルーラグーンは島全体がリゾートとなっており、イルカなどの海洋生物と触れ合うことも可能。

巨大レジャー施設であるアトランティスパラダイス・アイランドではプールやビーチ、水族館など広大な敷地内にさまざまな施設が完備されています。

エグズーマ

エグズーマ諸島の特徴はなんと言っても海を泳ぐ豚の姿を見られること。ここの豚たちは、ビッグ・メジャー・ケイに住み着いている野生の豚。

豚たちがここに住み着いている理由は、食用の豚が輸送中に船から逃げ出してここに住み着いたと言われています。

この島はナッソーからツアーで訪れることが可能。透明度の高い海で、スノーケリングやダイビングも楽しめます。

国際関係

バハマは小国でありながら、さまざまな国際機関に加盟し、世界や地域の発展や安定に寄与しています。

その結果、バハマは国際的に比較的高い地位にあり、国際的に重要な国家の一つです。

バハマの加盟する主な国際機関

国際連合

・カリブ共同体(CARICOM)

米州機構OAS

カリブ海初銀行(CDB)

各国との関係

キューバとはかつて漁業権を巡って争っており、険悪な関係にありました。

そんな中、1980年にキューバの軍用機がバハマの巡回船を沈める事件があり、バハマはこの件について、キューバ側に謝罪と賠償を求めます。

この時、キューバ側が非を認め謝罪と賠償を行ったため、それ以降二国間の関係性は改善されました。

ハイチからは、不法入国者が後を絶たず大きな問題となっています。しかし、両国の関係性は良好で、外交的にも経済的にも結びつきが強いです。

最も関係性が深いのがアメリカとイギリスの2カ国。特にイギリスとは、かつてバハマはイギリスの植民地で現在でもイギリス連邦の加盟国です。

アメリカにとって、バハマはハワイと並ぶアメリカ人にとっての一大リゾート地。

バハマへの観光客の8割ほどがアメリカ人であることからも、その人気ぶりが伺えます。

バハマにはアメリカに関連する会社も非常に多く、バハマの経済状況はアメリカに左右されると言っても過言ではありません。

まとめ

バハマは「カリブの海賊」の拠点となった歴史を持ち、アフリカから奴隷として連れてこられた人々の末裔が住む国です。

今では観光地として、金融の中心地としてカリブ海随一の裕福な国へと発展しました。

そんな今でも、島ごとに異なる文化や習慣の中にかつての歴史の名残を見ることができます。

観光地としての魅力も十分なバハマ。訪れたら海賊の隠し財宝を見つけられるかもしれませんね。

*1:バハマ国内のペーパーカンパニーなどについてまとめられたファイル

*2:イングランド国教会に反発し、改革を訴えたプロテスタントグループ

*3:戦争相手国の船を襲撃、略奪許可を得た個人の船

*4:アメリカ独立戦争時、イギリスを支持したアメリカの住人

*5:租税回避行為に関する機密文書

コーカサスの火の国 アゼルバイジャン

アゼルバイジャン共和国は、ロシア、ジョージアアルメニア、イラン、トルコと隣接するイスラム教国家です。

世界最大の湖、カスピ海に面する旧ソ連の構成国の一つ。世界有数の産油国で、バクー油田では古代より石油の生産が行われていました。

その石油によってもたらされたオイルマネーをもとに発展した首都バクーは第二のドバイとも呼ばれ、近未来的な都市が広がっています。

そんなアゼルバイジャンについて、詳しく見ていきましょう。

 

基本情報



首都 バクー
人口 1020万人
言語 アゼルバイジャン
民族 アゼルバイジャン系90%
宗教 イスラムシーア派
GDP 426億USドル(一人当たり4232ドル)
通貨 アゼルバイジャンマナト

 

気候

アゼルバイジャンの気候は夏は暑く冬は寒い大陸性の気候で、首都バクーなどの低地はステップ気候(BSk)に分類される乾燥した地域です。

バクーは強い風の吹く都市で、降水量は少なく寒い冬でも雪は降りません。

内陸部や山間部には温暖湿潤気候(Cfa)や冷帯湿潤気候(Dfb)が広がり、さらに細かく分類すると、9つの気候帯が国内に存在します。

地理

アゼルバイジャンコーカサス地方に位置しており、東部で世界最大の湖カスピ海に面しています。

5カ国と隣接し、そのうちトルコとは飛び地であるナヒチェヴァン共和国と隣接。アラス川に沿った僅か9kmほどの国境線です。

国土の半分は山岳地帯で、最高峰はバザルドゥズ山の4467m。国土を東西に走るコーカサス山脈に冷気団が遮られているため、亜寒帯気候と亜熱帯気候の地域が隣接しています。

コーカサス山脈は降水量、降雪量が多く、周辺地域にとって重要な水資源です。標高の高い地域は針葉樹林、低い地域には落葉樹林が広がります。

クラ川流域の低地は半乾燥地帯が広がっていますが、灌漑されており比較的肥沃。

カスピ海は、ビーチリゾートや油田としてアゼルバイジャンにとって非常に重要な湖。国内を流れる川は全てカスピ海に流れ込んでいます。

歴史

紀元前〜

紀元前2千年ごろ、現在のアゼルバイジャン領域にはアルバニア人の治めるカフカスアルバニア王国がありました。

ちなみに、このアルバニア人は現在の東欧アルバニアの住民とは全くの別民族

3世紀になると、サーサーン朝イラン支配下に入り、イスラム世界の一部となりました。

13世紀にはモンゴル帝国、15世紀にはペルシアのサファヴィー朝支配下に置かれます。このサファヴィー朝支配下にあったことが、現在のアゼルバイジャン人の大多数がシーア派であることの要因です。

18世紀〜

18世紀にロシアの侵攻が始まり、ゴレスタン条約トルコマンチャーイ条約の二つの条約によりロシアに併合されました。

20世紀初頭には世界の石油使用量の半分を供給する一大産油国として繁栄。

第一次世界大戦末期に起きた二がk津革命でロシア帝国が崩壊すると、アルメニアジョージアと共にカフカース民主連邦共和国を形成。

しかし、2ヶ月もしないうちに3カ国に分裂。アゼルバイジャンイスラム世界初の議会制の共和国であるアゼルバイジャン民主共和国として独立しました。

独立後すぐにナゴルノ・カラバフをめぐってアルメニア第一共和国との戦争が勃発。その後、独立から2年でソ連に組み込まれることとなりました。

第二次世界大戦時には、ナチスドイツが豊富な石油を狙ってバクー侵攻を試みるも失敗。

1991年、ソ連の崩壊に伴い、アゼルバイジャン共和国として独立を果たしました。

情勢 

治安は比較的安定しており、テロ等も今の所発生していません。もちろん、最低限の防犯対策は必要です。

しかし、2020年のアルメニアとの紛争以降テロの発生に対する注意喚起がなされており、その脅威が高まってきています。

特にアルメニアとの国境付近では、停戦に至った現在でも安全とは言えず、近づかない方が無難です。

経済

アゼルバイジャン火の国と呼ばれており、その理由は豊富な埋蔵量を誇る石油や天然ガスなどの天然資源。

アゼルバイジャンはこれら天然資源をもとに2000年代には急速な経済発展を遂げました。

首都バクーからトルコのジェイハンまで伸びるパイプラインも2006年に完成し、世界第二位の規模の石油パイプラインとしてヨーロッパ方面への石油輸出の役割を担っています。

近年は天然ガスの生産、輸出にも力を入れており、アゼルバイジャン経済は天然資源への依存度が高いです。

主な貿易相手国はヨーロッパ諸国で、石油や石油関連のものを輸出。

西側諸国にとってアゼルバイジャンの油田は、ロシアに干渉されないことから重要視され、多くの石油関連会社が出資しています。

観光地としての魅力も高い国で、観光業は一時期紛争の影響で陰りが出たものの、2010年代以降は再び観光客が増加していきました。

紛争

隣国アルメニアとは、現在停戦しているものの、未だに紛争状態にあります。2020年に本格的な軍事衝突があり、この時は事実上アゼルバイジャンの勝利という形で停戦に至りました。

その舞台となっているのが、ナゴルノ・カラバフ地方アゼルバイジャン領内にあるものの、アルメニア人比率が高い地域です。

国際的にはアゼルバイジャン領とされている同地域のアルメニア系住民が、アルツァフ共和国として独立宣言をしたことで紛争に発展。

アルメニア事実上支配していたアルツァフ共和国は、2020年の紛争の結果、その領土の大部分がアゼルバイジャンに返還されました。

文化

文化的特徴

アゼルバイジャンの文化は、何千年にもわたる歴史の中で形成され、さまざまな文化の入り混じる中で独特の文化が形作られました。

遊牧民の伝統やペルシャ、アラブ世界の文化が融合して現在のアゼルバイジャンの文化となっています。

これらの文化は音楽やダンス、芸術品、映画などによく表れており、音楽などはユネスコ無形文化遺産にも登録されているほどです。

アゼルバイジャンの伝統的なライフスタイルは地域ごとに異なり、各地のフェスティバルに参加してその伝統を味わうこともできます。

料理

アゼルバイジャン料理は、イランなど中東の影響を受けており、さまざまなハーブやスパイスを使うのが特徴。

また、ワインの産地としても有名。他の二つのコーカサス諸国と同様に、ワインの発祥地と言われています。

プロフアゼルバイジャンの代表的な料理の一つで、肉や野菜類にハーブを加え、サフラン風のご飯と混ぜたもの。

ドルマアゼルバイジャンの伝統的な料理で、肉や豆類などさまざまな具材とスパイスを混ぜ合わせブドウの葉で包んだもの。野菜に詰めるものもあります。

ラム肉のシチューであるブグラマは、ヘルシーなアゼルバイジャン料理。ラム肉をトマトや黒胡椒などと共に煮込む料理です。

建築

アゼルバイジャンの建築物は、東西双方の文化が混ざり合っているのが特徴。首都バクーにある乙女の塔などがその代表的な例の一つ。

現在のアゼルバイジャンでは、近代的な建物が建設されており、フレイムタワーは現代アゼルバイジャンの建築を象徴する建造物。

バクーの街並みは、旧市街の歴史的な建造物と、それらと対照的な近代的な建造物が建ち並んでいるのが大きな特徴です。

スポーツ

アゼルバイジャンは他の多くの国と同様に、サッカーが最も人気のスポーツです。

ワールドカップへ出場したことはないものの、ヨーロッパリーグでは好成績を収めたこともあります。

格闘技も盛んで、フリースタイルのレスリンは国内における伝統的なスポーツ。日本で言う相撲のような国技に当たります。

チェスの強豪国でもあり、著名なチェスプレイヤーを数多く輩出。国を挙げてチェスに取り組んでいます。

観光地

渡航基本情報

プラグタイプ C,F
電圧 220V 50Hz
道路 右側通行
チップ 不要
ビザ 必要(空港、インターネットで取得可)

 

アゼルバイジャンの空の玄関口となるのはヘイダル・アリエフ空港。ヨーロッパ諸国や中東との路線が多く、日本から訪れる場合はドバイや北京で乗り継ぎとなります。

陸路で国境を越える場合は、ジョージアかイランからの入国となり、紛争状態にあるアルメニアからの入国はできません

印象的な建造物や、天然資源の作り出した景観がアゼルバイジャンの観光地としての魅力。

バクー

アゼルバイジャンの首都バクーはカスピ海に面した油田の街で、コーカサス地方最大の都市。

三棟建ち並ぶフレイムタワーが印象的。炎をイメージしたこの建物は、火の国と呼ばれるアゼルバイジャンを象徴しています。

城壁で囲まれた旧市街は、城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔として世界遺産に登録されている歴史ある街並み。

戦争や紛争で亡くなった人々を祀った殉教者の小道もまた、アゼルバイジャンの歴史を感じられる場所。

ヤナルダグ

バクーから車で30分ほどの場所にあるヤナルダグは、噴出する天然ガスが自然発火して燃え続けている場所。

ヤナルダグは燃える山という意味で、2000年以上燃え続けていると言われています。特に夜は揺らめく炎が神秘的。

この燃え続ける炎は、火を崇拝するゾロアスター教の信仰に影響を与えたと言われています。

ゴブスタン

ゴブスタンの岩絵の文化的景観として世界遺産に登録されているで、古代彫刻や泥火山*1が見られる国立保護区です。

60万を超える数の岩絵があり、先史時代の生活を読み取れる考古学的にも非常に重要な場所。

また、全世界にある泥火山過半数がこのゴブスタンやカスピ海にあると言われています。

国際関係

紛争と国際関係

アゼルバイジャンと周辺国との関係性は、ナゴルノ・カラバフ紛争に大きく影響されています。

ロシアはこの紛争においてアルメニア側を支援する立場にあり、一定の関係性を維持しているものの、良好とは言えません。

パキスタンアゼルバイジャンを支持しており、関係性は良好。むしろ、アルメニアに対しては国家承認すらしていません

紛争相手国のアルメニアとは当然外交関係を結んでおらず、現在は停戦状態にあるものの、まだ問題の根本的な解決には程遠いです。

その他国際関係

アゼルバイジャンは、イスラム教国でありながらイスラエルとの関係が良好です。

貿易面では、イスラエルへ天然資源を輸出し、イスラエルからは農作物などを輸入。また、紛争においてもイスラエル製の兵器が多く使用されました。

アゼルバイジャン国内にはユダヤ人コミュニティがあり、これまで迫害や虐殺の歴史がなく、長きに渡りユダヤ人が平和に暮らすことができています。

トルコは最友好国とも言える国。文化的、人種的、言語的に近しく、外交的な結びつきも強固なものです。

紛争においても、常にトルコはアゼルバイジャンを支援してきました。

西側諸国とはロシアへの対抗目的もあり、外交的、経済的関係性を強めつつあります。

まとめ

アゼルバイジャンは、イスラム教国でありながら気軽にワインが飲めたり、イスラエルとの関係も悪くなかったりと、他にはない独自の特徴を持つ国です。

過去と近未来が融合したかのような街並み、豊かな自然景観など人々の目を惹きつけるものも数多くあります。

他にはない独自の魅力を持った火の国、それがアゼルバイジャンという国です。

*1:泥水が噴出する場所

音楽の都 オーストリア

オーストリア共和国中欧内陸国で、ドイツ、スイス、リヒテンシュタイン、イタリア、スロベニアハンガリースロバキアチェコと隣接しています。

アルプス山脈の広がる山岳国で、かつてはヨーロッパ随一の大貴族、ハプスブルク家の治める帝国でした。

首都のウィーンは音楽の都として有名。多くの著名な作曲家がウィーンを拠点として活動していました。

それでは、オーストラリアについて詳しくみていきましょう。

 

基本情報

首都 ウィーン
人口 894万人
言語 ドイツ語
民族 ゲルマン系 約90%
宗教 キリスト教カトリック65%)
GDP 4010億USドル(一人当たり44,982USドル)
通貨 ユーロ

 

気候

首都ウィーンなどの位置する国土北東部の低地は西岸海洋性気候(Cfb)、アルプス山脈の広がる標高の高い地域は冷帯湿潤気候(DfbDfc)やツンドラ気候(ET)が広がります。

北東部は大陸製の気候の影響で夏は暑く冬は寒いです。降水量は年間を通して一定で、冬場には降雪が見られ、スキー産業はオーストリアの重要な観光産業の一つ。

地理

オーストリアは8カ国に周囲を囲まれ、国内は9つの州に分かれています。首都ウィーンの人口は190万人超で他のどの州よりも多く、都市単位では第二の都市グラーツでも29万人ほど。

国土面積は北海道と同程度の大きさで、その6割ほどがアルプス山脈で占められています。

アルプス山脈、ウィーン周辺の盆地、ハンガリーとの国境付近の低地と変化に富んだ景観が特徴。

ヨーロッパ第二位の大河・ドナウ川は、曲の題材になるなどヨーロッパを代表する河川で、全長の約8分の1がオーストリア内を流れています。

最高峰のグロスグロックナー山の標高は3,798m。最大の湖であるボーデン湖はスイス、ドイツとの国境を跨ぐ氷河湖*1です。

狭い国境線

ドイツと隣接する小さな村、ユングホルツは四方のほぼ全てをドイツに囲まれています。

オーストラリアの他の街とは幅数mの非常に狭い部分で陸続きとなっているだけで、オーストリア内の他の街へつながる道路はなく、ドイツに一旦入って迂回しなければなりません。

ちなみに、陸続きの部分は山頂となっており、ユングホルツと本土の両方から登頂が可能。

 

歴史

古代〜

ドナウ川流域の平野部は肥沃な土地で、先史時代より居住者がおり、当時の遺物やミイラも発掘されています。

紀元前400年ごろには岩塩や鉄などの豊富な鉱物資源をもとにケルトがこの一帯で繁栄し、ローマ帝国の貿易相手となっていました。

紀元前15年ごろにローマ帝国支配下に置かれ、民族大移動の波に飲まれるまで約500年ほど支配が続き、996年に初めてオーストリアの名がバーベンベルク辺境伯として歴史に現れます。

ハプスブルク家による支配

ハプスブルク家はヨーロッパで長きにわたって覇権を握っていたヨーロッパ随一の名門貴族です。

1273年にルドルフ1世ハプスブルク家として初めてローマ皇帝に選出された時から歴史に名を刻み始めます。

1358年にルドルフ4世オーストリア大公を名乗り、1457年にはローマ帝国の中核をなす神聖ローマ帝国の連邦領としてオーストリア大公国が成立。

一時は別の一族に帝位を譲るものの、1437年にアルブレヒト2世が戴冠して以降、数百年にわたり途切れることなくハプスブルク家による支配が続きました。

その後はオスマン帝国の侵攻を打ち破り、各王家へハプスブルクの人間を嫁がせることでその勢力を拡大していきます。

18世紀後半、マリア・テレジアとその息子ヨーゼフ2世は近代化に向けた大改革を開始。

しかし、ナポレオンの台頭や急進的すぎる改革に対する反発により、1806年に神聖ローマ帝国は消滅しました。

1804年、フランツ2世はローマ皇帝を辞する直前に自らを皇帝とするオーストリア帝国の樹立を宣言。

その後、プロイセンに敗北したことでナショナリズム*2に対する譲歩を余儀なくされ、二重帝国であるオーストリア・ハンガリー帝国が成立しました。

第一次世界大戦後、オーストリア・ハンガリー帝国ナショナリズムの激化によって崩壊、共和制へと移行。ハプスブルク家による支配は終わりを迎えることとなりました。

オーストリア共和国成立〜

1918年の共和制移行後、新たな時代に対応できず国内は困窮を極めていました。

1938年アドルフ・ヒトラー率いるドイツの侵攻によってオーストリアは消滅。第二次世界大戦終結までドイツの統治下にありました。

1955年、永世中立国として再び独立。近代国家としての道を歩み始め、1995年にEUに加盟しました。

オーストリアと世界大戦

オーストリアは二度の世界大戦において、その双方の根幹に関わっている国です。

第一次世界大戦時は、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子がセルビア民族主義者に暗殺*3されたことを発端にセルビアに宣戦布告、戦火が広がり世界大戦に発展しました。

第二次世界大戦については、世界を大戦に導いたアドルフ・ヒトラーオーストリアで出生。ドイツに移住したヒトラーは大戦時に祖国オーストリアへ侵攻、併合しました。

情勢

オーストリアは比較的安全な国で、凶悪犯罪は少ないです。しかし、スリや置き引きなどの軽犯罪は都市を中心に少なからず発生しています。

難民の増加による治安の悪化も懸念されており、実際に強姦事件も発生しているので、特に女性は人気のない場所を一人で歩くのは避けた方が無難です。

経済

オーストリアは世界的に見ても経済は安定しており、トップクラスに豊かな国の一つです。

工業国として発展しており、食品業や自動車産業、鉄鋼業などが主要産業で、観光業も重要な産業の一つ。ガラス細工や陶器などの工芸品や美術品も世界的に有名。

賃金や物価に重点を置いた政策を敷き、社会的弱者への支援も手厚く、自由市場の拡大に焦点を当て、投資家にとっても好条件の国です。

石油や天然ガスを産出する資源国ですが、経済の発展とともにその需要は増しており、不足分を輸入で賄っています。

脱炭素社会を目指しているオーストリアは、水力発電の充実に力を注いでおり、総発電量の約6割が水力発電

ヨーロッパ諸国が主要貿易相手国で、日本もアジア諸国の中では主要な貿易相手国です。輸出品は自動車部品や鉄鋼、輸入品は食品や石油、天然ガスなど。

文化

民族

オーストリア人はゲルマン系民族で、ドイツ語を母語としており、歴史的経緯からドイツ人と同一視する風潮が広がった時代もありました。

しかし現在では、オーストリア人でありドイツ人とは異なる民族であるという独自のアイデンティティが確立されつつあります。

実際、オーストリアのドイツ語は発音や単語などに標準的なドイツ語と異なるものも多いです。

ユーゴスラビアからの移民も多く、東欧からの影響が言語の中に見られます。また、オーストリアの標準的な辞書はドイツやスイスのものとは異なる独自のものです。

国民性

・礼儀正しい

オーストリア人はとても礼儀正しく、道ですれ違う時やオフィスなどで元気よく挨拶してくれる人が多いです。

・散歩やハイキング好き

散歩やハイキングが好きな人が多く、友人をただ散歩に誘うことも多いとか。

・時間厳守

オーストリア人は時間をしっかり守ります。日本人と同様に、5分前行動も珍しくありません。

・日曜日はどこも休み

ドイツでも同様ですが、日曜日はほとんどのお店が閉まっています。買い物は土曜日までに済ませておいた方がいいですね。

料理

オーストリア料理は近隣諸国の影響をよく受けており、他国から取り入れた料理の味付けや使う食材がオーストリアオリジナルとなったものも多いです。

肉類やパンなどがよく食べられ、コーヒーがよく飲まれます。ドイツ料理と似たものも多いですが、オーストリア料理は東欧の影響が強いのが特徴。

牛肉にパン粉をまぶして揚げたヴィナーシュニッツェルオーストリア国民食とも言える料理。イギリスで言うフィッシュ&チップスのようなファストフードです。

クネーデルオーストリア版のダンプリング。じゃがいもを使った生地で作られ、中に果物を入れて甘い味付けにしたものもあります。

リンゴを生地で巻いたアプフェルシュトルーデルオーストリアの代表的なお菓子。ストリートフードとして街中でよく売られており、気軽に食べられます。

スポーツ

サッカーは最も人気のスポーツの一つ。国内リーグは100年以上の歴史があり、ワールドカップへも複数回出場しています。

気候や地形を生かしたウインタースポーツも盛ん。数多くの国際大会の会場にもなっており、スキー競技はオリンピックでいくつものメダルを獲得している強豪国。

アイスホッケーもサッカーほどではないものの人気で、スタジアムはいつも観客で満員になるほど。

モータースポーツ自転車競技も人気で、F1やロードレースにおいて多くの有名選手を輩出しています。

著名人

ハプスブルク家(ヨーロッパ随一の大貴族)

・ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト(音楽家古典派音楽の代表的人物)

ヨハン・シュトラウス1世(音楽家・ワルツの王)

・アルフレッド・アドラー精神科医アドラー心理学を提唱)

アーノルド・シュワルツェネッガー(俳優・政治家)

音楽

オーストリアの音楽と言えばクラシック音楽モーツァルトシューベルトなど著名な音楽家を数多く輩出し、世界各地から音楽家が活動拠点として移り住んできた音楽の都。

国内各地で音楽祭が開かれ、夏にシェーンブルン宮殿で催されるウィーンフィルハーモニー管弦楽団の屋外コンサートは毎年15万人ほどの観客が来場するほど大規模なものです。

ウィーン国立歌劇場は1869年に建設された世界で最も重要な歌劇場で、シーズンである9月から翌年6月までの間に年に300回以上オペラやバレエの公演が行われています。

観光地

渡航基本情報

プラグタイプ C,SE
電圧 230V,50Hz
道路 右側通行
チップ 必要
ビザ 90日以内は不要(シェンゲン協定加盟国)

 

オーストリアは周囲をシェンゲン協定加盟国で囲まれているため、陸路での入国が容易。ただし、2022年末よりETIAS(エティアス)の申請が渡航要件に加わるため注意が必要です。

空路での入国は、ウィーン国際空港への直行便が成田や羽田との間で就航しています。グラーツザルツブルグなどの地方都市もヨーロッパ諸国との間の便が就航。

オーストリアはアルプスの織りなす自然と音楽や芸術品などの文化の2つの面で魅力のある観光立国。

ハルシュタット

湖畔に佇む町並みの美しさが世界中から旅行者を惹きつける、オーストリアの観光の顔とも言える村。

ザルツブルクから電車で2時間ほどの小さな村で、古き良きオーストリアの面影を残す風景は世界遺産にも登録されています。

先史時代より、岩塩坑の存在によって栄えており、かつての採掘場内を探検することも可能。

ウィーン

オーストリアの首都にして音楽の都と呼ばれるウィーンは、オーストリアの文化と芸術を心ゆくまで味わえます。音楽留学の留学先としても人気の都市。

世界遺産に登録されているシェーンブルン宮殿シュテファン大聖堂などの歴史的建造物が主な見所。

ホーフブルク宮殿内にある国立図書館は、世界一美しい図書館ともいわれています。

ウィーン国立歌劇場ではオペラやバレエなどのオーストリアを象徴する芸術が上演され、音楽の都たる所以が垣間見える場所。

ザルツブルク

ザルツブルク州の州都にして、モーツァルト生誕の地として有名。オーストリアの歴史と音楽を感じられ、街歩きを楽しめます。

旧市街は世界遺産に登録されており、バロック様式の建造物の残る歴史的価値のある街です。

モーツァルトを記念するザルツブルク音楽祭が毎年夏に開催され、100年以上開催され続けています。

国際関係

オーストリアは周囲を8カ国に囲まれていますが、そのいずれもがシェンゲン協定加盟国であるため、国境の管理があまり必要ありません。

地理的、歴史的な観点から、東欧と西欧のどちらとも交流が深いです。

東欧に関しては、オーストリア=ハンガリー帝国の一部だったことが旧ユーゴスラビア諸国からの移民の多さの要因です。

争い事に関して基本的に中立の立場を取り、冷戦時もどちらの陣営にもつかず、NATOワルシャワ条約機構のどちらにも参加していません。

最も親密な国はドイツで、中でも特にバイエルン州との結びつきが強いです。文化や伝統が非常に似ており、オーストリアのドイツ語はバイエルン方言と一致しています。

国際機関

ウィーンは国連都市として、世界に四ヶ所ある国連事務局のうち一つが置かれています。(他はニューヨーク、ジュネーブ、ナイロビ)

他にも、OPECなどいくつかの国際機関の本部が置かれており、世界的にも重要な国際都市の一つです。

まとめ

ハプスブルク家や世界大戦など、オーストリアは世界の歴史に大きく関わっている国と言っても過言ではありません。

現在は華やかな音楽と芸術の都として発展し、豊かな経済大国であり、国際社会における役割も大きい国です。

観光地としての見所もたくさんあり、世界各地から人を惹きつける要素をふんだんに持つ国・オーストリア

これからもその魅力が失われることはないでしょう。

*1:氷河の動きによって形成された湖

*2:民族主義

*3:サラエボ事件

オセアニアの大陸国家 オーストラリア

オーストラリア連邦は、オセアニアにあるオーストラリア大陸を丸ごと領土とする大陸国家です。周囲にはパプアニューギニアソロモン諸島などのメラネシアの島々、ニュージーランドなどの国があります。

日本人のワーキングホリデー留学先として非常に人気の国で、永住者も含め多くの日本人が渡航、居住している国です。

広大な国土は地域によって気候が異なり、多様な生態系が見られます。オーストラリアの生き物といえば、カンガルーやコアラが真っ先に思い浮かびますね。

では、オーストラリアがどんな国か詳しく見ていきましょう。

 

基本情報

首都 キャンベラ
人口 2590万人
言語 英語(オーストラリア英語)
民族 白人 90%
宗教 キリスト教 50%, 無宗教 30%
GDP 1兆3593億USドル(一人当たり 52,825USドル)
通貨 オーストラリアドル

 

 

気候

サバナ気候(Aw) ケアンズ
ステップ気候(BSh) アリススプリングス
温暖湿潤気候(Cfa) ブリスベンゴールドコースト
西岸海洋性気候(Cfb) シドニーメルボルンアデレード
地中海性気候(Csa) パース

 

主要都市の多くは、東海岸側の過ごしやすい西岸海洋性気候や温暖湿潤気候に区分される地域に発展しています。

また、大陸の北端のヨーク岬熱帯雨林気候(Af)、内陸部には広大な砂漠が広がっており、気候は砂漠気候(BWh)です。

また、南半球に位置するため季節は日本と真逆。12月〜2月が夏で台風もこの時期に発生、6月〜8月が冬にあたり一年で最も寒くなります。

地理

行政区分

オーストラリアは6つの州といくつかの準州、特別地域に分かれています。

ニューサウスウェールズ州

ビクトリア州

クイーンズランド州

南オーストラリア州

西オーストラリア州

タスマニア州

準州

・首都特別地域

ジャービス

ノーザンテリトリー

ジャービス湾は、沿岸部にキャンベラの直轄地を設けるために準州に制定されました。現在はキャンベラとは別の準州となってますが、選挙区など一部キャンベラと同一にされている面も残っています。

ノーザンテリトリーにはアボリジニの聖地ウルルがあり、首都ダーウィンの人口の4分の1ほどをアボリジニが占めるなど、先住民の多く居住する地域です。

その他、6つの海外領土(特別地域)を領有しています。

アシュモア・カルティエ諸島無人島)

クリスマス島有人島

ココス諸島有人島

ノーフォーク島有人島

・コーラルシー諸島(無人島)

ハード島及びマクドナルド諸島無人島)

クリスマス島無数のアカガニが道路を埋め尽くす光景が有名です。

この他にも、国内には8000を超える島々があり、オーストラリア全体の海外線の全長の40%島嶼部に当たります。(本土35.877km、島嶼部23.859km)

地理

オーストラリアは世界第6位の面積を誇り、世界で唯一大陸全土を単一国家で占めています。

オーストラリア大陸総面積の35%程が乾燥地帯であり、全大陸の中で最も乾燥している大陸です。

総人口の85%が沿岸部から50km以内に居住しており、内陸部に広がる広大な乾燥地帯の人口はごく僅かにすぎません。

特に東海岸や南東部に人口が集中しており、国土西部の西オーストラリア州は国土面積の3分の1を占める最大の州で、日本の6.6倍の広さですが人口は約250万人。さらにそのうち約200万人は州都パースに集中しています。

人口希薄地域はアウトバックと呼ばれ、砂漠など居住には向かないものの観光地としてはウルルをはじめ魅力の多い地域です。

また、全体的に平坦な地形で、最高峰はコジアスコ山の2229m。古期造山帯*1に含まれるグレートディバイディング山脈の一部です。

生態系

オーストラリアは地理的に隔絶した場所に位置しているため、独自の生態系を形成しています。

哺乳類、爬虫類、昆虫類などあらゆる種類の生物の8〜9割が固有種です。しかし、ヨーロッパ人の入植以降、持ち込まれた外来種の影響で絶滅に追い込まれた生物も少なくありません。

オーストラリアに生息する生き物をいくつかご紹介

哺乳類

ディンゴ(オオカミのような野犬。先住民が移住時に一緒に連れてきたとされている)

タスマニアデビル(最大の肉食有袋類。野生種はタスマニア島にのみ生息)

鳥類

エミュー(オーストラリアの国章に描かれている飛べない鳥。)

ヒクイドリ(脚に鋭い爪があり、蹴りで人を殺傷できるほどの脚力がある)

・ワライカセミ(世界最大級のカワセミ。人の笑い声のような鳴き声を出す)

有袋類

・カンガルー(国章に描かれている国の象徴。国内に5000万匹以上生息している)

・コアラ(1日16時間以上睡眠をとる。1日に食べるユーカリの量は1kg程)

ウォンバット(夜行性で昼間は地面に穴を掘って休む。冬場は昼でも外に出ることがある)

爬虫類

・オーストラリアワニ(体長2〜3m程のワニ。河川や湖など淡水に生息)

・ペレンオオトカゲ(体長2m程のオーストラリア最大のトカゲ。肉食で毒を持つ)

単孔類

・カモノハシ(卵生の哺乳類。後ろ足に毒があり、その強さは犬程度の大きさの動物を殺傷できるほど)

・ハリモグラ(針に体が覆われ、危険を感じると体を丸めて身を守る)

歴史

数万年前〜

オーストラリアに最初に人類が定住したのは、4〜6万年前と言われています。このオーストラリアの先住民となった人々、アボリジニは数百もの部族があり、言語の数も250ほどあ。

ヨーロッパ人入植前のアボリジニの人々は、狩猟を行いつつ生活を営み、国家や政治といった概念は存在しません

17世紀〜

1606年、オランダ人のウィリアム・ヤンスゾーンがヨーロッパ人として初めてオーストラリア大陸に到達しました。

その後160年ほど、ヨーロッパ人の探検家たちがこの一帯を探索し、開拓していきます。

1770年にイギリス人のジェームズ・クック東海岸の現在のシドニーにあたるボタニー湾に到達、その領有を宣言。

1788年に流刑地として最初の囚人が到着、その後80年で約165,000人以上の囚人が送られたとされています。

この時代以降、ヨーロッパ人の入植によってもたらされた伝染病や、スポーツハンティングの標的としたことで、アボリジニの人口は激減することになりました。

1851年〜

1851年、ビクトリア州で金が発見されたことによりゴールドラッシュが到来。イギリスを含め、ヨーロッパ諸国や中国から金を求める人々が大挙してきました。

その結果、人口は爆増、急速に発展していき大陸全土をまとめた連邦国家の樹立に向けて歩み始めます。

1901年〜

1901年、すべての州を同一の憲法によって統一しオーストラリア連邦が成立、事実上の独立を果たします。

シドニーメルボルンのどちらを首都とするかで争い、妥協案として二都市の中間にあるキャンベラが首都として制定されました。

また、ゴールドラッシュ時代から蔓延っていた白豪主義*2が移民制限法の制定により、正式に国家の方針となります。

1950年以降、2度の大戦による人口減少や経済疲弊の影響もあり、徐々に多民族国家としての道を歩み始め、1972年に白豪主義を撤廃。

1985年にはウルルをアボリジニに返還、1993年にアボリジニに対する先住権を認めました。

情勢

オーストラリアは世界的に見ると安全な国です。しかし、日本と比較すると犯罪率は高く、油断しているとスリなどの軽犯罪に遭う可能性は十分に考えられます。薬物常習者も存在し、薬物がらみの犯罪も少なくありません。

また、オーストラリアには危険生物が数多く生息。茂みには毒蜘蛛、海には毒クラゲやサメなどが潜んでおり、襲われて怪我をしたり命を落としたりといったことも起きています。

経済

オーストラアリアは世界的な経済大国で、現在も毎年(2020年を除く)経済成長を続けています。その要因としては、アメリカやインドを上回る人口増加率や、総人口に占める生産年齢人口*3が高く、経済活動が活発なことなど。

金や鉄鉱石、ボーキサイトなど鉱物資源が豊富で、鉱業が盛ん。観光業や小売業などの第三次産業は全体の7割を占め、オーストラリア経済の根幹を担っています。

主要貿易相手国は中国、アメリカ、日本。主な輸出品は鉄鉱石や天然ガスなどの資源で、鉱業はオーストラリアの貿易面を支えています。牛肉や小麦などの農作物も輸出品目の一つ。

環境問題

オーストラリアの国土は厳しい環境下にあり、抱える環境問題も少なくありません。最もよく知られているのがオゾン層の破壊による紫外線問題。

オーストラリアは皮膚癌の発生率が諸外国と比較して高く、オゾン層の破壊によってできたオゾンホールが原因とされています。渡航の際は日焼け止めなど紫外線対策を怠らないようにしましょう。

降水量が少なく、水不足や森林火災も深刻な問題の一つ。大規模な旱魃が発生することもあり、2019年に発生した大規模な森林火災では大量のコアラが命を落とすなど、生態系にも深刻な影響を及ぼしました。

生態系に関しては、外来種による在来種の生態系破壊や農作物への被害も大きな問題となっています。

文化

 

民族

オーストラリアは様々な民族が生活する多民族共生国家です。ヨーロッパ系白人が大半を占めるものの、先住民のアボリジニの他、アジア系やアフリカ系も多く見られます。

また、全人口の4分の1が外国からの移民で占められており、その2世、3世も数多く存在します。

料理

旧宗主国であるイギリスの影響を受けており、フィッシュアンドチップスミートパイなどがよく食べられています。

また、オーストラリアと言えばベジマイトという調味料が有名。野菜に酵母エキスなどを混ぜて発酵させたもので味は塩辛く、強烈なニオイを発するので外国人受けはかなり悪いのだとか。

バーベキューが大好きな国民性で、オーストラリアではバーベキューのことをバービーと呼び、週末に公園などでやる人が多いです。オージービーフは日本でもよく見かけますね。

牛肉以外にもいろいろな動物を食べる文化があり、ワニ肉や国のシンボルたるカンガルー肉も食べられます。 

スポーツ

スポーツが盛んな国で、テニスや自転車レースなど多くの国際大会の開催国となっています。

クリケットラグビーが人気スポーツで、オーストラリアはどちらの競技においても世界トップクラスの強豪国。

オーストラリア発祥のオーストラリアンフットボールも大人気スポーツの一つ。ラグビーボールと似たボールを手と足どちらも使ってゴールを奪い合うスポーツです。

アボリジニの文化

オーストラリアの先住民、アボリジニは現在都市に居住する人口も多いですが、伝統的な生活様式を続けている方も存在します。

アボリジニの文化として代表的なものがブッシュフードブッシュタッカーと呼ばれるカンガルー肉や木の実、昆虫などのアボリジニの人々が伝統的に食してきた動植物を使った料理です。

ブーメランアボリジニを象徴する文化の一つ。狩猟や儀式に使われていた道具で、用途によって異なる種類のものを使い分けていました。

観光地として有名なウルル、通称エアーズロックアボリジニの聖地。ウルルはアボリジニの人々にとって、信仰の象徴となる場所です。

観光地

渡航基本情報

プラグタイプ O
電圧 220-240V 50Hz
道路 左側通行
チップ 不要
ビザ 必要(ETA

 

 

シドニーメルボルンなど、大都市へは成田空港や関西国際空港から直行便が出ており、時差も小さいため日本人にとって非常に訪れやすい国です。

周囲の島嶼国への直行便もあるので、長期滞在する際はそれらの国に足を伸ばしてみるのもいいですね。

オーストラリアは、広大な国土に豊かな自然と発展した都市が共存する観光大国。各地に見所が点在しており、オーストラリアを一周するオーストラリアラウンドという旅行形態も、主にワーホリ渡航者の間で人気です。

オーストラリアの見所

シドニー

オーストラリア最大の都市であるシドニーには数多くの見所があります。定番スポットは象徴的なハーバーブリッジ世界遺産に登録されたオペラハウスなど。

動物園や植物園でのんびりしたり、大都市なのでショッピングやレストランに困ることもありません。

少し郊外に足を伸ばせば、圧巻の絶景を堪能できるブルーマウンテンズ国立公園や、鮮やかな青い海が広がるボンダイビーチなど大自然を味わえます。

ケアンズ

常夏のケアンズはリゾート地として人気の街で、一番の見所はグレートバリアリーフ。世界最大の珊瑚礁でその全長は2000kmを超え、宇宙からでもその姿を観測できるほど。

熱帯雨林に囲まれた町、キュランダまで絶景の中を通っていく高原列車もケアンズに来たら外せないスポットです。

ウルル(エアーズロック

世界遺産に登録されているウルルはアボリジニの聖地にしてオーストラリアを代表する観光地の一つ。シドニーメルボルンなどから最寄りのエアーズロック空港まで直行便があります。

世界で二番目に大きい一枚岩で、内陸の砂漠の中に佇む姿は圧巻の光景。ちなみに、世界一大きい一枚岩であるマウント・オーガスタスもオーストラリアにあります。

名称について、ウルルよりエアーズロックのが聞き覚えがあるのではないでしょうか。ウルルとはアボリジニの呼び名で、彼らに対する尊重の意味を込めてエアーズロックでなくウルルと呼ぶことが多いのです。

タスマニア島

タスマニア島自然の宝庫で、北海道よりひと回り小さい面積の中に19もの国立公園があり、そのうちいくつかは世界遺産に登録されています。

島の固有種であるタスマニアデビルをはじめ、数多くの動物と出会えるのが大きな魅力。他にも、歴史を知れるポートアーサーもおすすめスポットの一つ。

国際関係

オーストラリアはアジア諸国、欧米諸国、太平洋諸国のいずれの国とも良好な関係性を保っており、経済面、文化面の双方で交流が深いです。

国連などの国際組織への協力に積極的で、アジア太平洋を中心に各地の安定、発展に寄与しています。

ニュージーランドとの関係性が最も深く、歴史的、文化的に似ている面も多く兄弟国と言える関係性です。

日本とも文化面、経済面共に結びつきが強く、在留邦人数はアメリカ、中国に次ぐ第3位でその数は10万以上。

日本人の留学先として人気が高く、1980年に日本が最初にワーキングホリデー協定を結んだ国でもあります。

主な加盟組織

OECD

イギリス連邦

APEC

PIF太平洋諸島フォーラム

G20

まとめ

オーストラリアは旅行や移住先として世界中から人が集まる人気の国。先進国でありながら、現在も安定した成長を続けています。

日本からも気軽に行けるので海外旅行や留学にもおすすめの国です。海外に興味はあるけどまだ行ったことはない、という方は初海外にオーストラリアを選んでみてはどうでしょうか。

 

*1:古生代の造山運動で形成された地形

*2:白人を優先し、その他の人種を排斥しようとする考え方

*3:15〜65歳の労働力になりうる人口層