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旅と地理のまとめ

海に浮かぶ砂漠の王国 バーレーン

バーレーン王国は、ペルシャ湾に浮かぶ立憲君主制の島国です。周囲はサウジアラビアカタール、イランに囲まれています。

国土全体が砂漠に覆われたアラブ国家で、オイルマネーによって潤い、首都マナーマは中東を代表する都市の一つ。

カタールUAEと同様に、出稼ぎに来ている外国人労働者が多く、人口の過半数を占めています。

33の島からなる国で、観光業にも力を入れている国ですが、日本人にとってはあまり馴染みのない国かもしれません。

そんなバーレーンがどんな国なのか、見ていきましょう。

 

基本情報

首都 マナーマ
人口 170.2万人
言語 アラビア語
民族 アラブ人70%(うちバーレーン人60%)
宗教 イスラム教(シーア派70%、スンニ派30%)
GDP 347.3億USドル(一人当たり29,103USドル)
通貨 バーレーン・ディナール

 

気候

国土全体が砂漠に追われた砂漠気候(BWh)であり、夏場は気温が40℃を超える酷暑が続くことも珍しくありません。

夏場は湿度が高いのも相まって過ごしづらい環境です。また、気温の日較差が大きく、夜は肌寒くなる日もあります。

また、北西からシャマール*1が吹き付けるのも夏場の大きな特徴。

冬場は気温20度前後で推移し、カラッとした快適な空気。雨は滅多に降りませんが、稀に激しい雨が降り鉄砲水を引き起こすことも。

春と秋が観光のベストシーズン。暑すぎず、夜も寒すぎず、雨の心配もほとんどありません。

地理

33の島からなる砂漠に覆われた島国で、最高標高はドゥハーン山の134mと全体的に平坦な国です。

国土面積は785㎢ほどで、海上の埋め立てによる人工島の建設により、その面積は年々拡大しています。

最大の面積を誇るバーレーンでも南北に最大48km、東西に最大16kmで面積は香川県の3分の1程度しかありません。

行政区画

行政区画は、首都県、南部県、北部県、ムハッラク県の4つの県に区分されます。2014年までは中部県も存在、現在は吸収合併されて4つになりました。

南部県は圧倒的に面積が広いものの、人口は4つの県の中で最小。政府は行政ごとの人口の偏りを是正するためさまざまな施策を実施しています。

その一つがほぼ南端にあるバーレーン第3位の面積の人工島、ドゥラット・アル・バーレーン。魚や三日月のような形をしているのが特徴的。

地理的特徴

バーレーンペルシャ湾の中でも比較的浅瀬の入江にあたるバーレーンに位置しています。

島の周囲は岩礁で覆われ、北部の沖合には広大な珊瑚礁も存在。

バーレーンは国内に河川、自然湖が全くありません。国土の92%が砂漠に覆われ、湿潤な土地は西海岸に一部あるのみです。

そのため水資源が限られ、地下水や海水淡水化くらいしかありません。ペルシャ湾には帯水層*2があり、これが地下水をもたらしてくれています。

島は砂漠のほか、石灰岩で覆われ、露出した石灰岩が起伏の低い丘陵や浅い峡谷を形成。

砂が塩分を含んでいることもあって、植物にとって非常に過酷な環境であり、ごく一部の植生しかありません。

ハワール諸島

ハワール諸島はカタールから2kmも離れていない場所に浮かぶ島々で、最大のハワール島は国内第二の大きさです。

30ほどの島で構成され、ラムサール条約に登録されており、かつてカタールとの領土係争地でした。

最南端にあるジナン島のみ、ハワール諸島に帰属しないと判断され、カタール領となっています。

歴史

古代〜

古代バーレーンにはディルムン文明が築かれていたとされ、メソポタミア文明インダス文明との交易地として栄えていました。

紀元前6世紀ごろにはアケメネス朝ペルシャ支配下に置かれ、イスラム教の到来までイラン王朝がバーレーンを統治。

ギリシャ人はこの頃のバーレーンのことを真珠取引の中心地として、タイロスと呼んでいました。

7世紀になると、イスラム教が普及。15世紀末まで、アラブ系の王朝が代わる代わる支配下に置き続けます。

15世紀〜

15世紀末になると、ポルトガルバーレーン一帯に進出。その後、80年間ポルトガルによる支配が続きます。

1602年、サファヴィー朝ペルシャアッバース一世ポルトガルバーレーンから追放。シーア派が影響力を強めることになりました。

18世紀初頭、イランやオマーンが侵攻。その結果、サファヴィー朝は崩壊、戦争の影響で、バーレーンに当時あった360の市町村のうち300が崩壊しました。

1782年、リーファカタールから移住し実権を掌握。1820年にはイギリスと条約を締結し、国王としてバーレーンを統治することについて承認を受けました。

19世紀半ば以降、バーレーンペルシャ湾における貿易の中心地として繁栄。近代的な国家へと変貌を遂げます。

1880年にはイギリスの保護国となり、ペルシャ湾で最初の女子学校が開校されるなど、さまざまな改革が行われました。

石油の発見〜

1931年、アメリカの石油会社の子会社であるバーレーンの石油会社が油田を発見、急速な近代化が進みます。

1968年、イギリスの撤退を機にペルシャ湾岸の首長国連邦結成協定を締結。

1971年、国連の開催した国民投票の結果、大多数の島民が独立を支持したためイギリスよりバーレーンとして独立を果たしました。

1990年台以降、民主化を求める国民による暴動が発生。その結果、2002年に立憲君主制へ移行し国名もバーレーン王国に改称。

2011年にはシーア派住人による反政府デモ、バーレーン騒乱*3が発生。多数の死傷者や逮捕者を出しました。

情勢

バーレーンは中東諸国の中では比較的治安の良い国とされています。しかし、シーア派スンニ派の対立は懸念すべき問題です。

2011年にアラブの春に触発されたバーレーン騒乱が発生しており、現在でも両宗派の対立が終息したとはいえません。

現在は落ち着いてはいますが、シーア派住民の居住する地区では2021年に爆破テロ未遂が発生しています。

ただし、これら事件は突発的なものなので、普段は最低限の防犯対策をしておけば安全に過ごせるでしょう。

経済

かつては貿易の中継地として、真珠の産地として栄えていました。石油の発見により、近代的な都市の開発が始まります。

現在のバーレーンは、他の中東諸国にアクセスしやすいという地理的条件を活かした金融センターとして発展。

インフラの整備が進み、多くの外国企業が進出してきたことで、世界的な金融センターの一つとなりました。

アラブ諸国で最初に油田を発見し、産油国として発展を遂げた国で、現在も石油への経済の依存度は高いです。

石油やアルミニウム製品が主な輸出品目で、サウジアラビアUAEアメリカが主要貿易相手国。

しかし、他の近隣産油国と比べ生産量が少ないこと、枯渇の懸念があることから、近年は産業の多角化に向けた経済政策を推進。

特に観光業に力を入れており、2004年には中東初のF1グランプリを開催するなど、外国人旅行者の受け入れに積極的です。

バーレーンの経済を支えているのは人口の過半数を占める外国人労働者たち。インド人が最も多くの割合を占めています。

文化

文化的特徴

バーレーンの国名の由来は、アラビア語で海を意味するバハルから。

男性の多くは、ソーブと呼ばれる伝統的なローブを着用。富裕層は西欧風のソーブを着る傾向にあります。頭はグトォラと言うスカーフ状のものを着用。

女性はアバヤと言う黒い衣装を着用し、頭まで覆うのが一般的。たまに頭や顔を覆っていない女性もいます。

かつては絶対君主制で、2002年に立憲君主制に移行。民主化を図っていますが、未だに世界的に見ると独裁的な国家という位置付けです。

公用語アラビア語ですが、外国籍住民が過半数を占めることや、観光客が多いことから英語も広く浸透しています。

宗教

バーレーンイスラム教国家で、多数のシーア派と少数のスンナ派に分かれています。

王室がスンナ派であるため、政治や職業などにおいて優遇されており、多数派のシーア派国民に不満が募り時には暴動に発展。

周囲のアラブ諸国と比べ自由度が高く、アルコールも好きなように飲めるし、音楽も好きに聞くことが可能。

宗教の自由も認められており、外国籍の国民が多数を占めることもあって、イスラム教徒以外の国民も少なからずいます。

女性の社会進出も比較的進んでおり、就職や大学に進学する女性も少なくありません。

料理

バーレーン料理はアラビア料理、インド料理、ペルシャ料理などが融合したもの。多民族国家故、いろいろな国の文化が入り混じっています。

代表的な料理の例として、三角形の生地に肉や野菜などの具材を詰めたサモサ。屋台などでよく見られ、メインディッシュの前菜としても提供されます。

マクブースはピラフのような料理で、肉や魚と香辛料をサフランライスと混ぜ合わせて炊いたもの。

ハリースは鶏肉やラム肉などと小麦を混ぜたお粥。ラマダンの月のイフタール*4としてよく食べられています。

スポーツ

サッカーが国内で最も人気のスポーツ。ワールドカップ出場歴はないものの、国内プロサッカーリーグがあります。

モータースポーツも盛んで、バーレーンインターナショナルサーキットは世界有数のサーキットの一つ。

中東初のF1グランプリは、バーレーンで開催されました。現在も毎年バーレーングランプリが開催されています。

乗馬も娯楽として人気があり、厩舎や乗馬施設が国内各地に点在。乗馬だけでなく、競馬も盛んです。

観光地

渡航基本情報

プラグタイプ BF
電圧 230V, 50Hz
道路 右側通行
チップ 不要
ビザ 必要(空港、インターネットで取得可)

 

バーレーン入国の玄関口となる、バーレーン国際空港への日本からの直行便はありません。ドバイやバンコクで乗り継ぐことになります。

入国にはビザが必要。空港到着時にアライバルビザを取得可能です。もしくはインターネットで事前取得も可。

観光に適した季節は暑さの和らぐ春や秋。夏場に渡航すると、暑すぎて観光どころではないかもしれません。

お金について、自国通貨以外にサウジアラビアサウジアラビア・リヤルも流通しています。

マナーマ

首都マナーマはドバイのように砂漠の中に近代的なビルの建ち並ぶ都市。伝統的な商店の並ぶスークなど、近代的な都市の中にアラブの空気を感じられます。

バーレーン国立博物館は、国の辿ってきた歴史を知ることができる人気スポットの一つ。

バーレーン最大規模のアハマド・アル・テファフ・モスクは7000人収容可能な巨大モスク。礼拝の時間外であれば内部の見学が可能。

バーレーン要塞

バーレーン要塞は、マナーマ中心から10分ほどのの郊外にある世界遺産に登録されている要塞です。

古代ディルムン文明の中心都市だったとされる場所で、アラブやポルトガルの要塞など様式の異なる建築物が積み重なっているのが大きな特徴。

生命の樹

砂漠の中に一本だけ生えている10m超のアカシアの巨木。周囲数キロにわたって他の植物がない中、400年以上生き続けています。

水源が不明なため、どうやって生命を維持しているかが謎なため生命の樹と呼ばれるようになりました。

キング・ハファド・コーズウェイ

バーレーンサウジアラビアを結ぶ全長25kmの海上橋。サウジアラビア全額出資で1986年に完成しました。

どちら側にも出入国管理所手前に展望タワーがあり、そこで食事を取ったり眺望を楽しんだりできます。

国際関係

対イラン

バーレーンは外交面において、国家の安全保障を最も重視。具体的にはイランからの政治的影響を懸念しています。

シーア派の国であるイランがバーレーン国内のシーア派を扇動することを危惧し、サウジアラビア君主制の周辺国と緊密な関係性を維持。

イランがかつて、バーレーンはイランの一部であると主張していたことが、バーレーン側が警戒心を抱く原因です。

サウジアラビアとの関係

サウジアラビア王家が同部族出身なこともあり、最友好国かつバーレーンに大きな影響を与えています。

両国はキング・ハファド・コーズウェイという名の橋で繋がれ、週末には多くのサウジアラビア人が娯楽を求めてバーレーン渡航

2016年にはサウジアラビアがイランと断交したことで、これに追随してバーレーンもイランと断交しました。

2020年、多くのアラブ諸国と対立しているイスラエルと国交正常化に合意。これもまた、イランの脅威に対抗することが主な目的です。

その他アラブ諸国との関係

ペルシャ湾岸地域の協力機構である湾岸協力理事会(GCC*5の一員として域内における経済的、政治的協力関係を構築。

UAEとは、同時にイスラエルとの国交正常化に踏み切るなど、外交的に足並みを揃え良好な関係性にあります。

カタールとはかつてハワール諸島をめぐって領土問題を抱えていました。また、2017年にはUAEサウジアラビア、エジプトと共に国交を断絶。

ムスリム同胞団*6を支援していることが断交の主な理由です。2021年に他3カ国と共に国交を回復しました。

西側諸国との関係

アメリカやイギリス、日本などの西側諸国との関係は良好。旧宗主国のイギリスとは独立後も密接な関係性にあります。

バーレーン親米国であり、アメリカのはバーレーンに第5艦隊の司令部を設置。アメリカはイスラエルとの国交正常化の際の仲介も行いました。

まとめ

バーレーンは比較的世俗的なイスラム教国で、異文化にも寛容な国です。小さなドバイとも呼べるような国で、観光地としての魅力も豊富。

音楽やアルコールを楽しめるのも旅行者にとってはありがたいですね。

比較的安全に、のんびりとアラブ世界を楽しみたいならバーレーンはうってつけの国ではないでしょうか。

*1:中東で見られる砂塵を伴った強風

*2:地下水によって飽和している地層

*3:シーア派住民による政治的自由、格差是正を求める反政府デモ

*4:ラマダン中の断食後に食べる最初の食事

*5:バーレーンUAEカタールオマーンサウジアラビアクウェートの6カ国が加盟

*6:イスラム原理主義を唱える組織