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旅と地理のまとめ

世界で最初のキリスト教国 アルメニア

アルメニア共和国は、ジョージアアゼルバイジャン、トルコ、イランと隣接する内陸国です。黒海カスピ海に挟まれたコーカサス地方を構成する国の一つで、旧ソ連の構成国の一つでした。

最近では隣国アゼルバイジャンとの領土紛争による軍事衝突が起きたことでニュースにもなりましたね。

現在でも紛争の終結していない国ですが、その歴史は長く、首都エレバン世界最古の都市の一つです。それでは、アルメニアがどんな国なのか詳しく見ていきましょう。

 

基本情報

首都 エレバン
人口 297万人
言語 アルメニア
民族 アルメニア人(98%)
宗教 キリスト教アルメニア使徒教会
GDP 126.5億USドル(一人当たり 4,701ドル)
通貨 ドラム

 

人口

アルメニアの人口は約300万人ですが、アルメニア国外に居住するアルメニア人は800万人以上になると推定されています。

気候

国土の大半が亜寒帯湿潤気候(Dfb)であり、一部地域はステップ気候(BSk)四季も存在します。年間を通して降水量が少なく乾燥しており、気温の年較差が大きいのが特徴。

首都エレバンは盆地に位置しているため標高の割に暑く、夏場に最高気温40度越えを記録したこともあります。逆に冬場は寒さが厳しく、氷点下の日が年平均で100日ほどあり、降雪量は少ないものの一度積もると長い間溶けることがありません。

地理

行政区画

アルメニアの行政区画は首都エレバンを含む11の地方に分けられます。エレバンは100万人超の人口を擁し、これはアルメニアの全人口の3分の1程です。

領土内にアゼルバイジャン飛び地がいくつか存在し、アルメニアも、アルツヴァシェン村アゼルバイジャン領土内に飛び地として領有していますが、アゼルバイジャン側が実効支配しています。

 

地理

アルメニアの国土はアルメニア高原上にあり、平均標高が1800m程で平地はほとんどありません。

最高峰はアラガツ山の4090m、最大の湖セヴァン湖は琵琶湖の1.4倍ほどの大きさで、ゲガルクニク地方の総面積の4分の1を占めています。

周囲を3000mを超える山々に囲まれ、死火山や大地で構成された国土は野菜や穀物などの栽培に適した火山性の土壌です。また、造山運動*1が活発なため、日本と同様に頻繁に地震が発生しています。

 

ナゴルノ・カラバフ

ナゴルノ・カラバフアゼルバイジャンに囲まれた地域で、住民の大半がアルメニア人で占められている地域です。

アルメニアの一部とされていますが、旧ソ連崩壊にアルツァフ共和国としてアゼルバイジャンから独立を宣言しました。しかし、国際社会からは認められておらず、アルツァフ共和国を国家承認している主権国家はありません。

30年以上にわたってアルメニアアゼルバイジャンの間での領土紛争の舞台となっており、近年では、2020年に本格的な軍事衝突が発生しました。

この戦闘はアゼルバイジャン側が事実上勝利し、一部領土をアゼルバイジャンに返還する結果となりましたが、あくまで停戦に至っただけであり、ナゴルノ・カラバフの帰属などの問題については解決していません。

歴史

先史時代
アルメニアは世界最古の国の一つと言われており、四大文明の一つ、メソポタミアの一部として文明の発祥地ともされています。

この時代アルメニア高原には、ハヤサ・アジ族と言う先住民が居住しており、インド・ヨーロッパ系のアルメン人が移住して来るまでこの地を支配していました。

このアルメン人と、先住民が混じり合い現在のアルメニア人が誕生、その後高度に発達したアララト王国*2が成立し、数百年間続く王国となります。

BC190年〜

その後、いくつかの王朝の支配を経て、紀元前190年にアルメニア王国が誕生。1世紀頃には別王朝アルメニア王国が誕生し、301年に世界で初めてキリスト教国教として定めます。

その後、ビサンツ帝国ペルシアなどからの侵略で、何世紀にも渡って別の民族の支配下に置かれることとなりました。

しかし、そんな中でもアルメニア人たちは独自のアイデンティティを維持し続け、発展させてきました。

19世紀〜

当時アルメニア人を支配していたオスマン帝国は、当初アルメニア人に一定の自由を与えていたものの、政治的、文化的問題によりアルメニア問題が発生。その結果、アルメニア人に対する民族浄化に発展、各地で虐殺が行われました。

20世紀になり、実権を握った青年トルコ党第一次世界大戦の最中、アルメニア問題の解決策として大虐殺を決行、150万人以上が犠牲になったとされています。

この事件は、現代のアルメニアートルコ間の対立の要因となっており、未だに大きな問題として尾を引いています。

1918年にアルメニア第一共和国が現在のアルメニアの位置に成立するも、わずか2年でソ連編入、71年間その統治下にありました。

1991年〜

1991年9月21日、ソ連の崩壊に伴いアルメニア共和国として独立を果たします。独立前から紛糾していたナゴルノ・カラバフ問題が本格化、その帰属をめぐる対立は現在に至るまで続いています。

情勢

治安は比較的良好で、凶悪犯罪も少なく最低限の防犯対策をしていれば犯罪に巻き込まれる可能性は少ないと言える安全で平穏な国です。

ただ、隣国アゼルバイジャンとの緊張状態はいまだに続いているので、国境付近や、紛争当該地域のナゴルノ・カラバフ地方にはなるべく近づかないのが賢明でしょう。

経済

アルメニアの一人当たりのGDPは世界平均の半分以下で、経済的に豊かな国ではありません。鉱物資源が豊富なため、金や銅など鉱石類が主な輸出品です。

農業や畜産業も盛んで、果物類、野菜類、穀物類をそれぞれ栽培しており、畜産業に関しては、肉牛や乳牛の他、山岳地帯では羊の飼育も行われています。

ロシアが最大の貿易相手国で、アルメニア内の企業はロシア企業の傘下にある企業も多く、旧ソ連から独立した今でも経済的な依存状態を拭いきれていません。

エネルギー

アルメニアはエネルギー資源に乏しく、石油や天然ガスが主な輸入品で、国内の電力の半分近くを設計寿命を過ぎたメツァモール原子力発電所に頼っている状況です。

メツァモール原子力発電所世界一危険な原発とも言われており、地震国である故大事故が発生する危険性があり、世界各国から停止要請が届いています。

しかし、アルメニアは隣国のアゼルバイジャンやトルコと険悪な関係性で、エネルギー資源に乏しいため、この原発を止めるわけにはいきません。

この状況の脱却のため、アルメニア政府が推し進めているのが、日射量の多い土地柄を生かした太陽光発電の導入です。国内最大太陽光発電所の建設を始めるなど、着々と電力問題解決のための準備を行なっています。

文化

 

宗教

アルメニアは301年に当時のアルメニア王国が世界で初めてキリスト教国教として定めました。メインの宗派はアルメニア使徒教会で、これはアルメニアで生まれた独自の宗派です。

この宗派の特徴としては

・トップがローマ教皇ではなくアルメニア総主教

・シンボルである十字架にイエス・キリストが描かれていない

・クリスマスが1月6日

などがあります。

料理

アルメニアの料理は歴史上この地域を支配した国々の影響を受けており、ハーブが使われている料理が多いのが特徴。

代表的な料理としては、アルメニアの伝統的なパンラヴァッシュ、ひき肉や米などをスパイスでまぶしてキャベツの葉で包んだドルマ、カボチャの中にドライフルーツや米などを詰めて柔らかくなるまで焼くガパマ、小麦と鶏肉などの肉類を混ぜてバターを溶かしてお粥のようにするハリッサなど。

また、アルメニアワインの発祥の地*3と言われており、ブランデーの製造などが盛んです。

スポーツ

アルメニアレスリングや重量挙げの強豪国で多くのメダリストを輩出しています。そのため、旧ソ連時代のレスリング選手の代表には多くのアルメニア人が選ばれていました。サッカーも人気のスポーツですが、まだW杯への出場経験はありません。

また、チェスが非常に盛んで、数多くの選手がいくつもの大会で好成績を収めている世界最強豪国の一つです。さらに2011年にチェスを義務教育に取り入れ、単なるスポーツとしてだけでなく、論理的思考や戦略的思考の発達に役立てています。

観光地

渡航基本情報

プラグタイプ C,F
電圧 220V, 50Hz
道路 右側通行
チップ 基本不要(要求される場合もある)
ビザ 180日以内の滞在は不要

 

アルメニアの空の玄関口となるのはズヴァルトノッツ国際空港。日本からの直行便はなく、ドーハやドバイを経由して行くこととなります。ジョージアやイランから陸路での越境も可能。

エレバン

アルメニアの首都にして、多くの旅行者にとってアルメニア旅行のスタート地点となる街。世界最古の街の一つと言われるだけあって、歴史と文化を感じさせる街です。

アルメニアの歴史を知れるアルメニア人虐殺記念館や、国内では数少ないブルーモスクなど、歩いて散策できる範囲に観光地が密集しています。

郊外に足を伸ばせば世界遺産ゲガルド修道院やヘレニズム様式の建築物が残るガルニ神殿などが日帰りで行ける距離に点在。

ギュムリ

アルメニア第二の都市ギュムリは19世紀に建てられた黒基調の建造物が特徴。建築当時の建物がそのまま残っており、本格的なアルメニア建築が見られます。

丘の上に建つブラックフォートレスはその名の通り黒い外観の要塞で、ギュムリの街を一望可能なロケーションです。

ハフパット修道院

ハフパット修道院は、10世紀に建設された世界遺産に登録されている修道院です。地震や戦争に見舞われながら、1000年以上その姿を維持し続けている数少ない建造物の一つ。

規模は大きくないものの、当時の様子を窺い知れる歴史的な価値が高く、観光地としても魅力的な場所です。

国際関係

アルメニアはロシアと同盟を結んでおり、経済面、軍事面などロシアに依存傾向にあるのが現状です。

アルメニアは独立後もロシアとの関係性を維持する道を選び、隣国のアゼルバイジャンやトルコと敵対関係にあることから、脱ロシアを目指しているものの安全保障的な意味合いでもこの関係を簡単に切ることはできません。

ジョージアとの関係性は良好とは言えないものの、歴史的、文化的に近しい面もあることから兄弟国のような関係です。

アゼルバイジャン・トルコとの関係

アルメニアアゼルバイジャン、トルコと長い間対立状態にあります。

アゼルバイジャンとは、ナゴルノ・カラバフの帰属をめぐって両国の独立以降対立し続けています。この対立は紛争にも発展しており、2020年の軍事衝突では、両軍多数の死者を出し、アゼルバイジャン側の事実上勝利という結果で停戦に至りました。

トルコとは、オスマン帝国時代のアルメニア人虐殺に対する歴史認識をめぐって対立、国境も封鎖されています。トルコはアルメニア国家承認しているものの、外交関係は樹立していません。

しかし、2022年に入ってから、国交正常化に向けた協議を開始し、関係改善に向けた一歩を踏み出しました。

まとめ

アルメニアは隣国とのいがみ合い、領土紛争など、後世の歴史に残るであろう出来事が現在進行形で起こり続けています。

古くから続く豊かな歴史と文化を保ちつつ、様々な問題の解決に少しずつ進み続けるこの国が、将来どんな状況になっているのかとても興味深いです。

同時に、古き良きものを残しつつ、今よりも平和で穏やかな国であることを願っています。

*1:山脈などを形成する地殻変動

*2:国民の多くはアルメニア人だが、王族は全く別の民族だった

*3:隣国ジョージアもワイン発祥の地を名乗っている