音楽の都 オーストリア
オーストリア共和国は中欧の内陸国で、ドイツ、スイス、リヒテンシュタイン、イタリア、スロベニア、ハンガリー、スロバキア、チェコと隣接しています。
アルプス山脈の広がる山岳国で、かつてはヨーロッパ随一の大貴族、ハプスブルク家の治める帝国でした。
首都のウィーンは音楽の都として有名。多くの著名な作曲家がウィーンを拠点として活動していました。
それでは、オーストラリアについて詳しくみていきましょう。
基本情報
気候
首都ウィーンなどの位置する国土北東部の低地は西岸海洋性気候(Cfb)、アルプス山脈の広がる標高の高い地域は冷帯湿潤気候(Dfb、Dfc)やツンドラ気候(ET)が広がります。
北東部は大陸製の気候の影響で夏は暑く冬は寒いです。降水量は年間を通して一定で、冬場には降雪が見られ、スキー産業はオーストリアの重要な観光産業の一つ。
地理
オーストリアは8カ国に周囲を囲まれ、国内は9つの州に分かれています。首都ウィーンの人口は190万人超で他のどの州よりも多く、都市単位では第二の都市グラーツでも29万人ほど。
国土面積は北海道と同程度の大きさで、その6割ほどがアルプス山脈で占められています。
アルプス山脈、ウィーン周辺の盆地、ハンガリーとの国境付近の低地と変化に富んだ景観が特徴。
ヨーロッパ第二位の大河・ドナウ川は、曲の題材になるなどヨーロッパを代表する河川で、全長の約8分の1がオーストリア内を流れています。
最高峰のグロスグロックナー山の標高は3,798m。最大の湖であるボーデン湖はスイス、ドイツとの国境を跨ぐ氷河湖*1です。
狭い国境線
ドイツと隣接する小さな村、ユングホルツは四方のほぼ全てをドイツに囲まれています。
オーストラリアの他の街とは幅数mの非常に狭い部分で陸続きとなっているだけで、オーストリア内の他の街へつながる道路はなく、ドイツに一旦入って迂回しなければなりません。
ちなみに、陸続きの部分は山頂となっており、ユングホルツと本土の両方から登頂が可能。
歴史
古代〜
ドナウ川流域の平野部は肥沃な土地で、先史時代より居住者がおり、当時の遺物やミイラも発掘されています。
紀元前400年ごろには岩塩や鉄などの豊富な鉱物資源をもとにケルト人がこの一帯で繁栄し、ローマ帝国の貿易相手となっていました。
紀元前15年ごろにローマ帝国の支配下に置かれ、民族大移動の波に飲まれるまで約500年ほど支配が続き、996年に初めてオーストリアの名がバーベンベルク辺境伯領として歴史に現れます。
ハプスブルク家による支配
ハプスブルク家はヨーロッパで長きにわたって覇権を握っていたヨーロッパ随一の名門貴族です。
1273年にルドルフ1世がハプスブルク家として初めてローマ皇帝に選出された時から歴史に名を刻み始めます。
1358年にルドルフ4世はオーストリア大公を名乗り、1457年にはローマ帝国の中核をなす神聖ローマ帝国の連邦領としてオーストリア大公国が成立。
一時は別の一族に帝位を譲るものの、1437年にアルブレヒト2世が戴冠して以降、数百年にわたり途切れることなくハプスブルク家による支配が続きました。
その後はオスマン帝国の侵攻を打ち破り、各王家へハプスブルクの人間を嫁がせることでその勢力を拡大していきます。
18世紀後半、マリア・テレジアとその息子ヨーゼフ2世は近代化に向けた大改革を開始。
しかし、ナポレオンの台頭や急進的すぎる改革に対する反発により、1806年に神聖ローマ帝国は消滅しました。
1804年、フランツ2世はローマ皇帝を辞する直前に自らを皇帝とするオーストリア帝国の樹立を宣言。
その後、プロイセンに敗北したことでナショナリズム*2に対する譲歩を余儀なくされ、二重帝国であるオーストリア・ハンガリー帝国が成立しました。
第一次世界大戦後、オーストリア・ハンガリー帝国はナショナリズムの激化によって崩壊、共和制へと移行。ハプスブルク家による支配は終わりを迎えることとなりました。
オーストリア共和国成立〜
1918年の共和制移行後、新たな時代に対応できず国内は困窮を極めていました。
1938年アドルフ・ヒトラー率いるドイツの侵攻によってオーストリアは消滅。第二次世界大戦終結までドイツの統治下にありました。
1955年、永世中立国として再び独立。近代国家としての道を歩み始め、1995年にEUに加盟しました。
オーストリアと世界大戦
オーストリアは二度の世界大戦において、その双方の根幹に関わっている国です。
第一次世界大戦時は、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子がセルビア人民族主義者に暗殺*3されたことを発端にセルビアに宣戦布告、戦火が広がり世界大戦に発展しました。
第二次世界大戦については、世界を大戦に導いたアドルフ・ヒトラーはオーストリアで出生。ドイツに移住したヒトラーは大戦時に祖国オーストリアへ侵攻、併合しました。
情勢
オーストリアは比較的安全な国で、凶悪犯罪は少ないです。しかし、スリや置き引きなどの軽犯罪は都市を中心に少なからず発生しています。
難民の増加による治安の悪化も懸念されており、実際に強姦事件も発生しているので、特に女性は人気のない場所を一人で歩くのは避けた方が無難です。
経済
オーストリアは世界的に見ても経済は安定しており、トップクラスに豊かな国の一つです。
工業国として発展しており、食品業や自動車産業、鉄鋼業などが主要産業で、観光業も重要な産業の一つ。ガラス細工や陶器などの工芸品や美術品も世界的に有名。
賃金や物価に重点を置いた政策を敷き、社会的弱者への支援も手厚く、自由市場の拡大に焦点を当て、投資家にとっても好条件の国です。
石油や天然ガスを産出する資源国ですが、経済の発展とともにその需要は増しており、不足分を輸入で賄っています。
脱炭素社会を目指しているオーストリアは、水力発電の充実に力を注いでおり、総発電量の約6割が水力発電。
ヨーロッパ諸国が主要貿易相手国で、日本もアジア諸国の中では主要な貿易相手国です。輸出品は自動車部品や鉄鋼、輸入品は食品や石油、天然ガスなど。
文化
民族
オーストリア人はゲルマン系民族で、ドイツ語を母語としており、歴史的経緯からドイツ人と同一視する風潮が広がった時代もありました。
しかし現在では、オーストリア人でありドイツ人とは異なる民族であるという独自のアイデンティティが確立されつつあります。
実際、オーストリアのドイツ語は発音や単語などに標準的なドイツ語と異なるものも多いです。
旧ユーゴスラビアからの移民も多く、東欧からの影響が言語の中に見られます。また、オーストリアの標準的な辞書はドイツやスイスのものとは異なる独自のものです。
国民性
・礼儀正しい
オーストリア人はとても礼儀正しく、道ですれ違う時やオフィスなどで元気よく挨拶してくれる人が多いです。
・散歩やハイキング好き
散歩やハイキングが好きな人が多く、友人をただ散歩に誘うことも多いとか。
・時間厳守
オーストリア人は時間をしっかり守ります。日本人と同様に、5分前行動も珍しくありません。
・日曜日はどこも休み
ドイツでも同様ですが、日曜日はほとんどのお店が閉まっています。買い物は土曜日までに済ませておいた方がいいですね。
料理
オーストリア料理は近隣諸国の影響をよく受けており、他国から取り入れた料理の味付けや使う食材がオーストリアオリジナルとなったものも多いです。
肉類やパンなどがよく食べられ、コーヒーがよく飲まれます。ドイツ料理と似たものも多いですが、オーストリア料理は東欧の影響が強いのが特徴。
牛肉にパン粉をまぶして揚げたヴィナーシュニッツェルはオーストリアの国民食とも言える料理。イギリスで言うフィッシュ&チップスのようなファストフードです。
クネーデルはオーストリア版のダンプリング。じゃがいもを使った生地で作られ、中に果物を入れて甘い味付けにしたものもあります。
リンゴを生地で巻いたアプフェルシュトルーデルはオーストリアの代表的なお菓子。ストリートフードとして街中でよく売られており、気軽に食べられます。
スポーツ
サッカーは最も人気のスポーツの一つ。国内リーグは100年以上の歴史があり、ワールドカップへも複数回出場しています。
気候や地形を生かしたウインタースポーツも盛ん。数多くの国際大会の会場にもなっており、スキー競技はオリンピックでいくつものメダルを獲得している強豪国。
アイスホッケーもサッカーほどではないものの人気で、スタジアムはいつも観客で満員になるほど。
モータースポーツや自転車競技も人気で、F1やロードレースにおいて多くの有名選手を輩出しています。
著名人
・ハプスブルク家(ヨーロッパ随一の大貴族)
・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(音楽家・古典派音楽の代表的人物)
・ヨハン・シュトラウス1世(音楽家・ワルツの王)
・アーノルド・シュワルツェネッガー(俳優・政治家)
音楽
オーストリアの音楽と言えばクラシック音楽。モーツァルトやシューベルトなど著名な音楽家を数多く輩出し、世界各地から音楽家が活動拠点として移り住んできた音楽の都。
国内各地で音楽祭が開かれ、夏にシェーンブルン宮殿で催されるウィーンフィルハーモニー管弦楽団の屋外コンサートは毎年15万人ほどの観客が来場するほど大規模なものです。
ウィーン国立歌劇場は1869年に建設された世界で最も重要な歌劇場で、シーズンである9月から翌年6月までの間に年に300回以上オペラやバレエの公演が行われています。
観光地
渡航基本情報
オーストリアは周囲をシェンゲン協定加盟国で囲まれているため、陸路での入国が容易。ただし、2022年末よりETIAS(エティアス)の申請が渡航要件に加わるため注意が必要です。
空路での入国は、ウィーン国際空港への直行便が成田や羽田との間で就航しています。グラーツやザルツブルグなどの地方都市もヨーロッパ諸国との間の便が就航。
オーストリアはアルプスの織りなす自然と音楽や芸術品などの文化の2つの面で魅力のある観光立国。
湖畔に佇む町並みの美しさが世界中から旅行者を惹きつける、オーストリアの観光の顔とも言える村。
ザルツブルクから電車で2時間ほどの小さな村で、古き良きオーストリアの面影を残す風景は世界遺産にも登録されています。
先史時代より、岩塩坑の存在によって栄えており、かつての採掘場内を探検することも可能。
ウィーン
オーストリアの首都にして音楽の都と呼ばれるウィーンは、オーストリアの文化と芸術を心ゆくまで味わえます。音楽留学の留学先としても人気の都市。
世界遺産に登録されているシェーンブルン宮殿やシュテファン大聖堂などの歴史的建造物が主な見所。
ホーフブルク宮殿内にある国立図書館は、世界一美しい図書館ともいわれています。
ウィーン国立歌劇場ではオペラやバレエなどのオーストリアを象徴する芸術が上演され、音楽の都たる所以が垣間見える場所。
ザルツブルク州の州都にして、モーツァルト生誕の地として有名。オーストリアの歴史と音楽を感じられ、街歩きを楽しめます。
旧市街は世界遺産に登録されており、バロック様式の建造物の残る歴史的価値のある街です。
モーツァルトを記念するザルツブルク音楽祭が毎年夏に開催され、100年以上開催され続けています。
国際関係
オーストリアは周囲を8カ国に囲まれていますが、そのいずれもがシェンゲン協定加盟国であるため、国境の管理があまり必要ありません。
地理的、歴史的な観点から、東欧と西欧のどちらとも交流が深いです。
東欧に関しては、オーストリア=ハンガリー帝国の一部だったことが旧ユーゴスラビア諸国からの移民の多さの要因です。
争い事に関して基本的に中立の立場を取り、冷戦時もどちらの陣営にもつかず、NATOとワルシャワ条約機構のどちらにも参加していません。
最も親密な国はドイツで、中でも特にバイエルン州との結びつきが強いです。文化や伝統が非常に似ており、オーストリアのドイツ語はバイエルン方言と一致しています。
国際機関
ウィーンは国連都市として、世界に四ヶ所ある国連事務局のうち一つが置かれています。(他はニューヨーク、ジュネーブ、ナイロビ)
他にも、OPECなどいくつかの国際機関の本部が置かれており、世界的にも重要な国際都市の一つです。
まとめ
ハプスブルク家や世界大戦など、オーストリアは世界の歴史に大きく関わっている国と言っても過言ではありません。
現在は華やかな音楽と芸術の都として発展し、豊かな経済大国であり、国際社会における役割も大きい国です。
観光地としての見所もたくさんあり、世界各地から人を惹きつける要素をふんだんに持つ国・オーストリア。
これからもその魅力が失われることはないでしょう。
オセアニアの大陸国家 オーストラリア
オーストラリア連邦は、オセアニアにあるオーストラリア大陸を丸ごと領土とする大陸国家です。周囲にはパプアニューギニアやソロモン諸島などのメラネシアの島々、ニュージーランドなどの国があります。
日本人のワーキングホリデーや留学先として非常に人気の国で、永住者も含め多くの日本人が渡航、居住している国です。
広大な国土は地域によって気候が異なり、多様な生態系が見られます。オーストラリアの生き物といえば、カンガルーやコアラが真っ先に思い浮かびますね。
では、オーストラリアがどんな国か詳しく見ていきましょう。
基本情報
気候
主要都市の多くは、東海岸側の過ごしやすい西岸海洋性気候や温暖湿潤気候に区分される地域に発展しています。
また、大陸の北端のヨーク岬は熱帯雨林気候(Af)、内陸部には広大な砂漠が広がっており、気候は砂漠気候(BWh)です。
また、南半球に位置するため季節は日本と真逆。12月〜2月が夏で台風もこの時期に発生、6月〜8月が冬にあたり一年で最も寒くなります。
地理
行政区分
オーストラリアは6つの州といくつかの準州、特別地域に分かれています。
州
・首都特別地域
・ジャービス湾
ジャービス湾は、沿岸部にキャンベラの直轄地を設けるために準州に制定されました。現在はキャンベラとは別の準州となってますが、選挙区など一部キャンベラと同一にされている面も残っています。
ノーザンテリトリーにはアボリジニの聖地ウルルがあり、首都ダーウィンの人口の4分の1ほどをアボリジニが占めるなど、先住民の多く居住する地域です。
その他、6つの海外領土(特別地域)を領有しています。
・アシュモア・カルティエ諸島(無人島)
・コーラルシー諸島(無人島)
クリスマス島は無数のアカガニが道路を埋め尽くす光景が有名です。
この他にも、国内には8000を超える島々があり、オーストラリア全体の海外線の全長の40%が島嶼部に当たります。(本土35.877km、島嶼部23.859km)
地理
オーストラリアは世界第6位の面積を誇り、世界で唯一大陸全土を単一国家で占めています。
オーストラリア大陸の総面積の35%程が乾燥地帯であり、全大陸の中で最も乾燥している大陸です。
総人口の85%が沿岸部から50km以内に居住しており、内陸部に広がる広大な乾燥地帯の人口はごく僅かにすぎません。
特に東海岸や南東部に人口が集中しており、国土西部の西オーストラリア州は国土面積の3分の1を占める最大の州で、日本の6.6倍の広さですが人口は約250万人。さらにそのうち約200万人は州都パースに集中しています。
人口希薄地域はアウトバックと呼ばれ、砂漠など居住には向かないものの観光地としてはウルルをはじめ魅力の多い地域です。
また、全体的に平坦な地形で、最高峰はコジアスコ山の2229m。古期造山帯*1に含まれるグレートディバイディング山脈の一部です。
生態系
オーストラリアは地理的に隔絶した場所に位置しているため、独自の生態系を形成しています。
哺乳類、爬虫類、昆虫類などあらゆる種類の生物の8〜9割が固有種です。しかし、ヨーロッパ人の入植以降、持ち込まれた外来種の影響で絶滅に追い込まれた生物も少なくありません。
オーストラリアに生息する生き物をいくつかご紹介
哺乳類
・ディンゴ(オオカミのような野犬。先住民が移住時に一緒に連れてきたとされている)
・タスマニアデビル(最大の肉食有袋類。野生種はタスマニア島にのみ生息)
鳥類
・エミュー(オーストラリアの国章に描かれている飛べない鳥。)
・ヒクイドリ(脚に鋭い爪があり、蹴りで人を殺傷できるほどの脚力がある)
・ワライカワセミ(世界最大級のカワセミ。人の笑い声のような鳴き声を出す)
・カンガルー(国章に描かれている国の象徴。国内に5000万匹以上生息している)
・コアラ(1日16時間以上睡眠をとる。1日に食べるユーカリの量は1kg程)
・ウォンバット(夜行性で昼間は地面に穴を掘って休む。冬場は昼でも外に出ることがある)
爬虫類
・オーストラリアワニ(体長2〜3m程のワニ。河川や湖など淡水に生息)
・ペレンオオトカゲ(体長2m程のオーストラリア最大のトカゲ。肉食で毒を持つ)
単孔類
・カモノハシ(卵生の哺乳類。後ろ足に毒があり、その強さは犬程度の大きさの動物を殺傷できるほど)
・ハリモグラ(針に体が覆われ、危険を感じると体を丸めて身を守る)
歴史
数万年前〜
オーストラリアに最初に人類が定住したのは、4〜6万年前と言われています。このオーストラリアの先住民となった人々、アボリジニは数百もの部族があり、言語の数も250ほどあ。
ヨーロッパ人入植前のアボリジニの人々は、狩猟を行いつつ生活を営み、国家や政治といった概念は存在しません。
17世紀〜
1606年、オランダ人のウィリアム・ヤンスゾーンがヨーロッパ人として初めてオーストラリア大陸に到達しました。
その後160年ほど、ヨーロッパ人の探検家たちがこの一帯を探索し、開拓していきます。
1770年にイギリス人のジェームズ・クックが東海岸の現在のシドニーにあたるボタニー湾に到達、その領有を宣言。
1788年に流刑地として最初の囚人が到着、その後80年で約165,000人以上の囚人が送られたとされています。
この時代以降、ヨーロッパ人の入植によってもたらされた伝染病や、スポーツハンティングの標的としたことで、アボリジニの人口は激減することになりました。
1851年〜
1851年、ビクトリア州で金が発見されたことによりゴールドラッシュが到来。イギリスを含め、ヨーロッパ諸国や中国から金を求める人々が大挙してきました。
その結果、人口は爆増、急速に発展していき大陸全土をまとめた連邦国家の樹立に向けて歩み始めます。
1901年〜
1901年、すべての州を同一の憲法によって統一しオーストラリア連邦が成立、事実上の独立を果たします。
シドニーとメルボルンのどちらを首都とするかで争い、妥協案として二都市の中間にあるキャンベラが首都として制定されました。
また、ゴールドラッシュ時代から蔓延っていた白豪主義*2が移民制限法の制定により、正式に国家の方針となります。
1950年以降、2度の大戦による人口減少や経済疲弊の影響もあり、徐々に多民族国家としての道を歩み始め、1972年に白豪主義を撤廃。
1985年にはウルルをアボリジニに返還、1993年にアボリジニに対する先住権を認めました。
情勢
オーストラリアは世界的に見ると安全な国です。しかし、日本と比較すると犯罪率は高く、油断しているとスリなどの軽犯罪に遭う可能性は十分に考えられます。薬物常習者も存在し、薬物がらみの犯罪も少なくありません。
また、オーストラリアには危険生物が数多く生息。茂みには毒蜘蛛、海には毒クラゲやサメなどが潜んでおり、襲われて怪我をしたり命を落としたりといったことも起きています。
経済
オーストラアリアは世界的な経済大国で、現在も毎年(2020年を除く)経済成長を続けています。その要因としては、アメリカやインドを上回る人口増加率や、総人口に占める生産年齢人口*3が高く、経済活動が活発なことなど。
金や鉄鉱石、ボーキサイトなど鉱物資源が豊富で、鉱業が盛ん。観光業や小売業などの第三次産業は全体の7割を占め、オーストラリア経済の根幹を担っています。
主要貿易相手国は中国、アメリカ、日本。主な輸出品は鉄鉱石や天然ガスなどの資源で、鉱業はオーストラリアの貿易面を支えています。牛肉や小麦などの農作物も輸出品目の一つ。
環境問題
オーストラリアの国土は厳しい環境下にあり、抱える環境問題も少なくありません。最もよく知られているのがオゾン層の破壊による紫外線問題。
オーストラリアは皮膚癌の発生率が諸外国と比較して高く、オゾン層の破壊によってできたオゾンホールが原因とされています。渡航の際は日焼け止めなど紫外線対策を怠らないようにしましょう。
降水量が少なく、水不足や森林火災も深刻な問題の一つ。大規模な旱魃が発生することもあり、2019年に発生した大規模な森林火災では大量のコアラが命を落とすなど、生態系にも深刻な影響を及ぼしました。
生態系に関しては、外来種による在来種の生態系破壊や農作物への被害も大きな問題となっています。
文化
民族
オーストラリアは様々な民族が生活する多民族共生国家です。ヨーロッパ系白人が大半を占めるものの、先住民のアボリジニの他、アジア系やアフリカ系も多く見られます。
また、全人口の4分の1が外国からの移民で占められており、その2世、3世も数多く存在します。
料理
旧宗主国であるイギリスの影響を受けており、フィッシュアンドチップスやミートパイなどがよく食べられています。
また、オーストラリアと言えばベジマイトという調味料が有名。野菜に酵母エキスなどを混ぜて発酵させたもので味は塩辛く、強烈なニオイを発するので外国人受けはかなり悪いのだとか。
バーベキューが大好きな国民性で、オーストラリアではバーベキューのことをバービーと呼び、週末に公園などでやる人が多いです。オージービーフは日本でもよく見かけますね。
牛肉以外にもいろいろな動物を食べる文化があり、ワニ肉や国のシンボルたるカンガルー肉も食べられます。
スポーツ
スポーツが盛んな国で、テニスや自転車レースなど多くの国際大会の開催国となっています。
クリケットやラグビーが人気スポーツで、オーストラリアはどちらの競技においても世界トップクラスの強豪国。
オーストラリア発祥のオーストラリアンフットボールも大人気スポーツの一つ。ラグビーボールと似たボールを手と足どちらも使ってゴールを奪い合うスポーツです。
アボリジニの文化
オーストラリアの先住民、アボリジニは現在都市に居住する人口も多いですが、伝統的な生活様式を続けている方も存在します。
アボリジニの文化として代表的なものがブッシュフード。ブッシュタッカーと呼ばれるカンガルー肉や木の実、昆虫などのアボリジニの人々が伝統的に食してきた動植物を使った料理です。
ブーメランもアボリジニを象徴する文化の一つ。狩猟や儀式に使われていた道具で、用途によって異なる種類のものを使い分けていました。
観光地として有名なウルル、通称エアーズロックはアボリジニの聖地。ウルルはアボリジニの人々にとって、信仰の象徴となる場所です。
観光地
渡航基本情報
シドニーやメルボルンなど、大都市へは成田空港や関西国際空港から直行便が出ており、時差も小さいため日本人にとって非常に訪れやすい国です。
周囲の島嶼国への直行便もあるので、長期滞在する際はそれらの国に足を伸ばしてみるのもいいですね。
オーストラリアは、広大な国土に豊かな自然と発展した都市が共存する観光大国。各地に見所が点在しており、オーストラリアを一周するオーストラリアラウンドという旅行形態も、主にワーホリ渡航者の間で人気です。
オーストラリアの見所
オーストラリア最大の都市であるシドニーには数多くの見所があります。定番スポットは象徴的なハーバーブリッジや世界遺産に登録されたオペラハウスなど。
動物園や植物園でのんびりしたり、大都市なのでショッピングやレストランに困ることもありません。
少し郊外に足を伸ばせば、圧巻の絶景を堪能できるブルーマウンテンズ国立公園や、鮮やかな青い海が広がるボンダイビーチなど大自然を味わえます。
常夏のケアンズはリゾート地として人気の街で、一番の見所はグレートバリアリーフ。世界最大の珊瑚礁でその全長は2000kmを超え、宇宙からでもその姿を観測できるほど。
熱帯雨林に囲まれた町、キュランダまで絶景の中を通っていく高原列車もケアンズに来たら外せないスポットです。
ウルル(エアーズロック)
世界遺産に登録されているウルルはアボリジニの聖地にしてオーストラリアを代表する観光地の一つ。シドニーやメルボルンなどから最寄りのエアーズロック空港まで直行便があります。
世界で二番目に大きい一枚岩で、内陸の砂漠の中に佇む姿は圧巻の光景。ちなみに、世界一大きい一枚岩であるマウント・オーガスタスもオーストラリアにあります。
名称について、ウルルよりエアーズロックのが聞き覚えがあるのではないでしょうか。ウルルとはアボリジニの呼び名で、彼らに対する尊重の意味を込めてエアーズロックでなくウルルと呼ぶことが多いのです。
タスマニア島は自然の宝庫で、北海道よりひと回り小さい面積の中に19もの国立公園があり、そのうちいくつかは世界遺産に登録されています。
島の固有種であるタスマニアデビルをはじめ、数多くの動物と出会えるのが大きな魅力。他にも、歴史を知れるポートアーサーもおすすめスポットの一つ。
国際関係
オーストラリアはアジア諸国、欧米諸国、太平洋諸国のいずれの国とも良好な関係性を保っており、経済面、文化面の双方で交流が深いです。
国連などの国際組織への協力に積極的で、アジア太平洋を中心に各地の安定、発展に寄与しています。
ニュージーランドとの関係性が最も深く、歴史的、文化的に似ている面も多く兄弟国と言える関係性です。
日本とも文化面、経済面共に結びつきが強く、在留邦人数はアメリカ、中国に次ぐ第3位でその数は10万以上。
日本人の留学先として人気が高く、1980年に日本が最初にワーキングホリデー協定を結んだ国でもあります。
主な加盟組織
・OECD
・APEC
・G20
まとめ
オーストラリアは旅行や移住先として世界中から人が集まる人気の国。先進国でありながら、現在も安定した成長を続けています。
日本からも気軽に行けるので海外旅行や留学にもおすすめの国です。海外に興味はあるけどまだ行ったことはない、という方は初海外にオーストラリアを選んでみてはどうでしょうか。
世界で最初のキリスト教国 アルメニア
アルメニア共和国は、ジョージア、アゼルバイジャン、トルコ、イランと隣接する内陸国です。黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス地方を構成する国の一つで、旧ソ連の構成国の一つでした。
最近では隣国アゼルバイジャンとの領土紛争による軍事衝突が起きたことでニュースにもなりましたね。
現在でも紛争の終結していない国ですが、その歴史は長く、首都エレバンは世界最古の都市の一つです。それでは、アルメニアがどんな国なのか詳しく見ていきましょう。
基本情報
人口
アルメニアの人口は約300万人ですが、アルメニア国外に居住するアルメニア人は800万人以上になると推定されています。
気候
国土の大半が亜寒帯湿潤気候(Dfb)であり、一部地域はステップ気候(BSk)四季も存在します。年間を通して降水量が少なく乾燥しており、気温の年較差が大きいのが特徴。
首都エレバンは盆地に位置しているため標高の割に暑く、夏場に最高気温40度越えを記録したこともあります。逆に冬場は寒さが厳しく、氷点下の日が年平均で100日ほどあり、降雪量は少ないものの一度積もると長い間溶けることがありません。
地理
行政区画
アルメニアの行政区画は首都エレバンを含む11の地方に分けられます。エレバンは100万人超の人口を擁し、これはアルメニアの全人口の3分の1程です。
領土内にアゼルバイジャンの飛び地がいくつか存在し、アルメニアも、アルツヴァシェン村をアゼルバイジャン領土内に飛び地として領有していますが、アゼルバイジャン側が実効支配しています。
地理
アルメニアの国土はアルメニア高原上にあり、平均標高が1800m程で平地はほとんどありません。
最高峰はアラガツ山の4090m、最大の湖セヴァン湖は琵琶湖の1.4倍ほどの大きさで、ゲガルクニク地方の総面積の4分の1を占めています。
周囲を3000mを超える山々に囲まれ、死火山や大地で構成された国土は野菜や穀物などの栽培に適した火山性の土壌です。また、造山運動*1が活発なため、日本と同様に頻繁に地震が発生しています。
ナゴルノ・カラバフ
ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャンに囲まれた地域で、住民の大半がアルメニア人で占められている地域です。
アルメニアの一部とされていますが、旧ソ連崩壊にアルツァフ共和国としてアゼルバイジャンから独立を宣言しました。しかし、国際社会からは認められておらず、アルツァフ共和国を国家承認している主権国家はありません。
30年以上にわたってアルメニアとアゼルバイジャンの間での領土紛争の舞台となっており、近年では、2020年に本格的な軍事衝突が発生しました。
この戦闘はアゼルバイジャン側が事実上勝利し、一部領土をアゼルバイジャンに返還する結果となりましたが、あくまで停戦に至っただけであり、ナゴルノ・カラバフの帰属などの問題については解決していません。
歴史
先史時代
アルメニアは世界最古の国の一つと言われており、四大文明の一つ、メソポタミアの一部として文明の発祥地ともされています。
この時代アルメニア高原には、ハヤサ・アジ族と言う先住民が居住しており、インド・ヨーロッパ系のアルメン人が移住して来るまでこの地を支配していました。
このアルメン人と、先住民が混じり合い現在のアルメニア人が誕生、その後高度に発達したアララト王国*2が成立し、数百年間続く王国となります。
BC190年〜
その後、いくつかの王朝の支配を経て、紀元前190年にアルメニア王国が誕生。1世紀頃には別王朝のアルメニア王国が誕生し、301年に世界で初めてキリスト教を国教として定めます。
その後、ビサンツ帝国やペルシアなどからの侵略で、何世紀にも渡って別の民族の支配下に置かれることとなりました。
しかし、そんな中でもアルメニア人たちは独自のアイデンティティを維持し続け、発展させてきました。
19世紀〜
当時アルメニア人を支配していたオスマン帝国は、当初アルメニア人に一定の自由を与えていたものの、政治的、文化的問題によりアルメニア問題が発生。その結果、アルメニア人に対する民族浄化に発展、各地で虐殺が行われました。
20世紀になり、実権を握った青年トルコ党は第一次世界大戦の最中、アルメニア問題の解決策として大虐殺を決行、150万人以上が犠牲になったとされています。
この事件は、現代のアルメニアートルコ間の対立の要因となっており、未だに大きな問題として尾を引いています。
1918年にアルメニア第一共和国が現在のアルメニアの位置に成立するも、わずか2年でソ連に編入、71年間その統治下にありました。
1991年〜
1991年9月21日、ソ連の崩壊に伴いアルメニア共和国として独立を果たします。独立前から紛糾していたナゴルノ・カラバフ問題が本格化、その帰属をめぐる対立は現在に至るまで続いています。
情勢
治安は比較的良好で、凶悪犯罪も少なく最低限の防犯対策をしていれば犯罪に巻き込まれる可能性は少ないと言える安全で平穏な国です。
ただ、隣国アゼルバイジャンとの緊張状態はいまだに続いているので、国境付近や、紛争当該地域のナゴルノ・カラバフ地方にはなるべく近づかないのが賢明でしょう。
経済
アルメニアの一人当たりのGDPは世界平均の半分以下で、経済的に豊かな国ではありません。鉱物資源が豊富なため、金や銅など鉱石類が主な輸出品です。
農業や畜産業も盛んで、果物類、野菜類、穀物類をそれぞれ栽培しており、畜産業に関しては、肉牛や乳牛の他、山岳地帯では羊の飼育も行われています。
ロシアが最大の貿易相手国で、アルメニア内の企業はロシア企業の傘下にある企業も多く、旧ソ連から独立した今でも経済的な依存状態を拭いきれていません。
エネルギー
アルメニアはエネルギー資源に乏しく、石油や天然ガスが主な輸入品で、国内の電力の半分近くを設計寿命を過ぎたメツァモール原子力発電所に頼っている状況です。
メツァモール原子力発電所は世界一危険な原発とも言われており、地震国である故大事故が発生する危険性があり、世界各国から停止要請が届いています。
しかし、アルメニアは隣国のアゼルバイジャンやトルコと険悪な関係性で、エネルギー資源に乏しいため、この原発を止めるわけにはいきません。
この状況の脱却のため、アルメニア政府が推し進めているのが、日射量の多い土地柄を生かした太陽光発電の導入です。国内最大の太陽光発電所の建設を始めるなど、着々と電力問題解決のための準備を行なっています。
文化
宗教
アルメニアは301年に当時のアルメニア王国が世界で初めてキリスト教を国教として定めました。メインの宗派はアルメニア使徒教会で、これはアルメニアで生まれた独自の宗派です。
この宗派の特徴としては
・シンボルである十字架にイエス・キリストが描かれていない
・クリスマスが1月6日
などがあります。
料理
アルメニアの料理は歴史上この地域を支配した国々の影響を受けており、ハーブが使われている料理が多いのが特徴。
代表的な料理としては、アルメニアの伝統的なパンラヴァッシュ、ひき肉や米などをスパイスでまぶしてキャベツの葉で包んだドルマ、カボチャの中にドライフルーツや米などを詰めて柔らかくなるまで焼くガパマ、小麦と鶏肉などの肉類を混ぜてバターを溶かしてお粥のようにするハリッサなど。
また、アルメニアはワインの発祥の地*3と言われており、ブランデーの製造などが盛んです。
スポーツ
アルメニアはレスリングや重量挙げの強豪国で多くのメダリストを輩出しています。そのため、旧ソ連時代のレスリング選手の代表には多くのアルメニア人が選ばれていました。サッカーも人気のスポーツですが、まだW杯への出場経験はありません。
また、チェスが非常に盛んで、数多くの選手がいくつもの大会で好成績を収めている世界最強豪国の一つです。さらに2011年にチェスを義務教育に取り入れ、単なるスポーツとしてだけでなく、論理的思考や戦略的思考の発達に役立てています。
観光地
渡航基本情報
アルメニアの空の玄関口となるのはズヴァルトノッツ国際空港。日本からの直行便はなく、ドーハやドバイを経由して行くこととなります。ジョージアやイランから陸路での越境も可能。
アルメニアの首都にして、多くの旅行者にとってアルメニア旅行のスタート地点となる街。世界最古の街の一つと言われるだけあって、歴史と文化を感じさせる街です。
アルメニアの歴史を知れるアルメニア人虐殺記念館や、国内では数少ないブルーモスクなど、歩いて散策できる範囲に観光地が密集しています。
郊外に足を伸ばせば世界遺産のゲガルド修道院やヘレニズム様式の建築物が残るガルニ神殿などが日帰りで行ける距離に点在。
ギュムリ
アルメニア第二の都市ギュムリは19世紀に建てられた黒基調の建造物が特徴。建築当時の建物がそのまま残っており、本格的なアルメニア建築が見られます。
丘の上に建つブラックフォートレスはその名の通り黒い外観の要塞で、ギュムリの街を一望可能なロケーションです。
ハフパット修道院
ハフパット修道院は、10世紀に建設された世界遺産に登録されている修道院です。地震や戦争に見舞われながら、1000年以上その姿を維持し続けている数少ない建造物の一つ。
規模は大きくないものの、当時の様子を窺い知れる歴史的な価値が高く、観光地としても魅力的な場所です。
国際関係
アルメニアはロシアと同盟を結んでおり、経済面、軍事面などロシアに依存傾向にあるのが現状です。
アルメニアは独立後もロシアとの関係性を維持する道を選び、隣国のアゼルバイジャンやトルコと敵対関係にあることから、脱ロシアを目指しているものの安全保障的な意味合いでもこの関係を簡単に切ることはできません。
ジョージアとの関係性は良好とは言えないものの、歴史的、文化的に近しい面もあることから兄弟国のような関係です。
アゼルバイジャン・トルコとの関係
アルメニアはアゼルバイジャン、トルコと長い間対立状態にあります。
アゼルバイジャンとは、ナゴルノ・カラバフの帰属をめぐって両国の独立以降対立し続けています。この対立は紛争にも発展しており、2020年の軍事衝突では、両軍多数の死者を出し、アゼルバイジャン側の事実上勝利という結果で停戦に至りました。
トルコとは、オスマン帝国時代のアルメニア人虐殺に対する歴史認識をめぐって対立、国境も封鎖されています。トルコはアルメニアを国家承認しているものの、外交関係は樹立していません。
しかし、2022年に入ってから、国交正常化に向けた協議を開始し、関係改善に向けた一歩を踏み出しました。
まとめ
アルメニアは隣国とのいがみ合い、領土紛争など、後世の歴史に残るであろう出来事が現在進行形で起こり続けています。
古くから続く豊かな歴史と文化を保ちつつ、様々な問題の解決に少しずつ進み続けるこの国が、将来どんな状況になっているのかとても興味深いです。
同時に、古き良きものを残しつつ、今よりも平和で穏やかな国であることを願っています。
かつての経済大国 アルゼンチン
南アメリカ大陸南部に位置するアルゼンチン共和国は、チリ、ボリビア、ブラジル、ウルグアイ、パラグアイ、と国境を接する世界で第8位の面積を誇る国です。広大な国土は地域によって異なる様相を見せ、南極への玄関口となる街もあります。また、アルゼンチンと言えばサッカー大国というイメージを持つ人も多いのではないでしょうか。
日本の反対側にある国で、かつては世界トップクラスの経済大国でした。首都のブエノスアイレスは南米屈指の大都市であり、南部に広がるパタゴニアは圧巻の自然を感じられる広大な大地です。パタゴニアのみならず、地域によって異なる自然景観の中には、目を奪われるような絶景が数多く存在します。そんな大都市と大自然が共存する国の姿と魅力について、みていきましょう。
基本情報
気候:国土が南北に長く、大きく分けて亜熱帯気候、砂漠気候、温帯気候、寒帯気候の4つ気候帯に区分されます。首都ブエノスアイレスを含む北部沿岸部は温暖湿潤気候(Cfa)、パタゴニアは偏西風がアンデス山脈に遮られることによって乾燥しており、区分としてはステップ気候(Bsk)です。そして、アンデス山脈や南端はツンドラ気候(ET)となっています。
アルゼンチンでは、過去に最高気温49.1℃、最低気温マイナス39℃が観測されており、それぞれ南アメリカ大陸における観測史上最高気温、最低気温です。
地理
アルゼンチンの地域区分は、は23の州と特別区である首都のブエノスアイレスに分けられます。隣国との国境はたいてい山脈や河川などによって隔てられた自然的国境です。また、マルティン・ガルシア島というウルグアイ領海内にある島の飛び地として領有しており、かつてはウルグアイとの領土係争地でした。
アルゼンチンの地理的特徴は地域によって異なります。また、南米最高峰のアコンカグア(6960m)、流域面積が世界第4位のラプラタ川、世界第3位の面積を誇る氷原の南パタゴニア氷原など規模の大きい自然景観が数多く存在。
国立公園も数多く存在し、世界遺産にも登録されているイグアス国立公園は南米で最初に指定された国立公園です。自然保護に力を入れている一方、地震や洪水などの自然災害、大気汚染や砂漠化などの環境問題も抱えています。牛肉大国であり、肉牛の生産過程で発生する温室効果ガスも大きな課題の一つです。
アルゼンチンは地理的に6つの地域に区分され、それぞれの地域で異なる特徴があります。
パタゴニア
有名なアウトドアブランド・パタゴニアの由来となった地で、アンデス山脈に隔てられているためアルゼンチン側とチリ側で環境が異なっており、アルゼンチン側は台風並みの強風が吹き、乾燥した半砂漠地帯であることが大きな特徴です。南緯40以南の地域をパタゴニアと呼び、アルゼンチンの総面積の4分の1ほどを占めています。
パタゴニアの乾燥地帯は雨陰砂漠と呼ばれ、雨陰*1が乾燥の原因となる砂漠のことを言い、アンデス山脈を挟んでチリ側は湿潤な気候となっているのも雨陰砂漠の特徴です。
ちなみにアルゼンチン北部でも同様の現象があるものの立場が逆転し、チリ側が乾燥してアタカマ砂漠を形成しています。
多くの国立公園や南極への玄関口となる街ウシュアイアもこの地域にあり、氷河の作り出した絶景、無数のハイキングコースなど大自然の生み出した見どころにつきません。
パンパ
アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルにかけてまたがる草原地帯で、温暖湿潤気候の湿潤パンパとステップ気候の乾燥パンパに区分され、ブエノスアイレスはこの地域の中心に位置しています。
平坦な草原地帯で、肥沃な土壌も持っているため、アルゼンチンの農業の中心地であり、アルゼンチンの人口の過半数がこの一帯に集中しており、工業生産の大半も行われている、アルゼンチン経済の中心地です。
グラン・チャコ
北東部のブラジル、ウルグアイ、ボリビアとまたがる亜熱帯の乾燥地帯です。洪水と旱魃を繰り返す地域で、人口希薄地帯で野生動物が多く生息しています。
メソポタミア
高温多湿な沖積平野*2で、場所によっては年間降水量が2000mmを超え、気温が40℃に達することもある地域です。冬も基本的に温暖ですが、稀に南からの寒気団の影響で気温が氷点下を下回ることもあります。
クージョ
中西部に位置するクージョは気温の日較差の大きい国内で最も乾燥した地域です。南米最高峰のアコンカグアをはじめ、観光資源に恵まれており、また乾燥している地域特性を活かしてブドウ栽培を行っており、ワインの名産地でもあります。
北西部
文字通り北西部の地域を指し、アンデス山脈の高山、肥沃な渓谷地帯、高原など地域内でも特徴が異なります。温暖で乾季と雨季があり、国内でも特にケチュアやアイマラなどの先住民が多く居住し、文化的にその様相がよくみられる地域です。
ウシュアイア
フエゴ島にある世界最南端の都市と言われているウシュアイアは、南極への玄関口ということもあり、観光客で賑わう街です。しかし、現在は最南端の都市ではありません。ウシュアイアより南に位置するチリのプエルトウィリアムズが2019年に市に昇格したことで、世界最南端の都市はこちらに変わりました。ちなみに、さらに南にプエルトトロという集落もあり、民間人の居住する集落としてはこちらが最南端です。
歴史
15世紀後半〜
インカ帝国の一部であったアルゼンチンは16世紀にスペイン人に発見されて以来、植民地化が進んでいきます。インカ帝国は最初こそ侵略に対し抵抗していたものの、最終的には敗北、最初の接触から十数年でインカ帝国は滅亡しました。
19世紀〜
イギリスが2度に渡って侵攻を試みるものの、アルゼンチン側はこれを撃退。その後、1810年にブエノスアイレスにてアルゼンチンの独立運動の発端となる五月革命が発生、1816年に正式に独立を宣言します。この時南米連合州として独立したため、その領土は現在のウルグアイなども含まれており、独立後も国内における幾つかの派閥による内戦状態にありました。
1861年にようやく内戦が終結し国家が統一、国の方針として西欧化に舵を切り多くのヨーロッパ人が移民として大量に移住してきたことで、現在のアルゼンチンは国民の8割以上を白人で占める民族構成を形成しています。この時期に農作物の輸出によって著しい経済発展を遂げました。
当初、一部支配層による寡頭支配が行われていましたが、民衆はこれに反発、徐々に民主化が進み政治が安定、経済も良好な状態を維持しており、1920年代には世界トップクラスの経済大国となりました。
1929年(世界恐慌)〜
1929年、世界規模で発生した世界恐慌の煽りを受けアルゼンチンは徐々に政情不安に陥ります。その後は、大統領に就任したホセ・フェリクス・ウリブルがファシズム体制を敷こうとして失敗したり、イギリスに植民地のような扱いを受けたりと、1930年代は「忌まわしき10年間」と呼ばれる時代でした。
1940年〜
第二次世界大戦時、中立国としての立場をとっていた中フアン・ペロン大佐が政治的に台頭、1946年に大統領に就任します。しかし、彼の人気の根幹とも言える妻のエバ・ペロンが亡くなるとともに体制は不安定化。フアン・ペロンの政策は労働者にとって聞こえの良いポピュリズムであり、これが後に経済的に不安定な状況に陥る原因となります。その結果、フアン・ペロンは軍部によるクーデターによって追放されるも、政情不安定な状態が続きました。
1973年フアン・ペロンは帰国し再び大統領に返り咲くも病死。後妻のイザベル・ペロンが跡を継ぐも、失政を重ねハイパーインフレを引き起こし、軍部のクーデターによってかつての夫と同様に追放されました。
1976年〜
1976年、実権を握った軍部は反体制派を徹底的に弾圧。「汚い戦争」と称された一連の事件はいジャーナリストや活動家を中心に犠牲者は万単位に上っています。1982年に勃発したフォークランド紛争*3をきっかけに、すでに瓦解寸前であった軍事政権は崩壊、アルゼンチンは再び民主統治へと戻りました。
2000年〜
2000年以降も経済状況は安定せず、2001年、2014年、2020年と三度のデフォルトを行なっています。
政治面では20世紀と比較すると安定し、2007年にはクリスティーナ・キルチネルが大統領選に勝利し、アルゼンチンで初の選挙による女性大統領が誕生しました。また、2013年にはフランシスコがアメリカ大陸初のローマ教皇として選出されています。
唯一の衰退国
アメリカの経済学者クズネッツは「世界には4つの国しかない、先進国、発展途上国、日本、アルゼンチンだ」という言葉を残しています。日本は世界で唯一途上国から先進国の仲間入りを果たした国で、対照的にアルゼンチンは世界で唯一先進国から途上国に衰退した国です。
アルゼンチンは20世紀前半に移民の増加による労働力の安定と農作物輸出によって一気に経済大国へと躍り出ました。当時は日本の2倍以上のGDPを誇り、国情は安定していたもののそう長くは続きません。
経済基盤が農業一本のモノカルチャー経済*4であったため、アルゼンチン経済は徐々に陰りを見せ始め、そんな中世界恐慌が発生、直接的な影響はさほど大きくなかったものの、停滞した経済を立て直せず、結果的にこれをきっかけに衰退期に突入してしまいました。
結局現在に至るまで、かつての経済大国であった頃のように経済状況を持ち直せず、唯一先進国から衰退した国家とされています。
情勢
アルゼンチンの治安はそこまで悪いわけではないものの、特に首都ブエノスアイレスなどの都市では窃盗や強盗に注意が必要です。旅行の際は夜遅くに出歩いたり人通りの少ない場所にむやみに立ち入ったりしないなど、最低限の防犯対策を心がけましょう。
経済
国名が銀の国という意味の通り、銀をはじめとした鉱物資源に恵まれており、銀やアルミニウムなどを輸出しています。その他にも牛肉やワイン、とうもろこしや大豆などの食品も主な輸出品目で、主要な貿易相手国は近隣国のチリやブラジル、EU諸国や中国です。
経済状況は不安定で、近年もアルゼンチンペソの価値は年々下落の一途を辿っています。具体的には、5年前の2017年には1USドルあたり17ペソ程度だったのが、現在では1USドルあたり115ドルペソ程です。また、去年の同時期と比較して物価上昇率55%と物価のインフレ具合からも経済の不安定さが伺えます。
デフォルト
アルゼンチンは2020年にデフォルト*5に陥り、これは通算で9回目のデフォルトとなりました。アルゼンチンは世界の国々の中でも特にデフォルトの回数が多く、昨年は10回目のデフォルトをなんとか回避できたものの、依然として今後の見通しが不透明な状況が続いています。
文化
アルゼンチンの文化はヨーロッパからの影響が大きく、首都のブエノスアイレスはヨーロッパのような街並みから南米のパリと称されるほどです。
民族
アルゼンチン人の大半はヨーロッパ系の白人で、特にイタリア系やスペイン系が多いです。これは19世紀にヨーロッパからの移民が大量に流入し、元々住んでいた黒人やインディヘナなどが近隣諸国に移住していったことに起因します。
また、彼らヨーロッパ系白人の過半数は先住民にもルーツを持つ、ヨーロッパからの移民と先住民の間に生まれた子の末裔です。
ちなみに、現ローマ教皇サンフランシスコはアルゼンチン人でブエノスアイレス出身。
料理
アルゼンチンと言えば肉料理。アサードと呼ばれるバーベキューは、牛肉をメインにラム肉や豚肉などを豪快に焼いて塩を振って食べるアルゼンチンを代表する国民食。ガウチョと呼ばれるパンパで牧畜を営んでいた民族が牛肉を食べて生活していたことに由来する料理です。
飲むサラダと言われているマテ茶は古くから国民に愛されている飲み物。複数人で飲み回す、先住民の文化が今でも受け継がれています。
菓子パンの一種であるエンパナーダは、ジャムやシナモンを詰めたデザートとして食べられるもの、肉類や野菜を入れスパイスを効かせたものもあり、アルゼンチン全土で食べられている料理の一つです。
その他、アルゼンチン料理は地域によって異なる多彩な食材が使われ調理法も異なります。また、ヨーロッパにルーツを持つ料理も多数。
スポーツ
サッカー大国で、ワールドカップやオリンピックをはじめ数多くの国際大会で優勝した実績のある、常にFIFAランキングで上位に位置する強豪国。ディエゴ・マラドーナやリオネル・メッシなど数多くの名だたるサッカー選手を輩出しています。
馬に乗ってボールを奪い合うパトはアルゼンチンの国技。取っ手のついた皮に入ったボールを使う競技で、元々はガウチョが仕事の合間に遊んでいたものがスポーツとして発展しました。
19世紀にブエノスアイレスで生まれたタンゴは、ヨーロッパからの移民、先住民、アフリカからの奴隷などが共存する中で彼らの文化が混ざり合ったダンスで、労働者階級の間で広まっていきました。
アルゼンチンの文化形成に貢献し、現在ではアルゼンチンを象徴する伝統として世界中に広がっています。
観光地
渡航基本情報
日本からの直行便はなく、基本的に北米を経由することとなり、最低でも丸一日はかかります。空の玄関口となるのはブエノスアイレス近郊にあるエセイサ国際空港。その他いくつかの地方都市も国際空港があり、近隣の南米諸国から乗り入れることが可能。チリやボリビアからはバスなどを利用して陸路での入国も可能です。
アルゼンチンは見どころがとても多い国で、多くの観光客が訪れます。特に圧倒的なスケールの大自然。熱帯林から砂漠、氷河と地域によって全く異なる自然の姿が形作られています。
ナイアガラの滝、ヴィクトリアの滝と並んで世界三大瀑布の一つである世界遺産に登録されているイグアスの滝。ブラジルとの国境沿いにあり、ブラジルとアルゼンチンのどちらからでも訪問可能。約4kmに渡って、150以上の連なる滝は毎秒65000トンもの水を放出、最大落差80mを越える悪魔の喉笛と呼ばれる一番の名所は、圧巻のスケール。
滝以外にも、トレッキングコースや周囲のジャングルに生息する生物たちも大きな見どころです。
ウマワカ渓谷
アルゼンチン北西部、フフイ州にある渓谷で、7色の断層が大きな特徴。南米のグランドキャニオンとも呼ばれ、2003年に世界遺産に登録されました。
古くからキャラバンロードとして重要な地域で、現在でも周囲には集落が点在しています。また渓谷内にあるオルノカルは、7色どころか14色の丘と呼ばれておりウマワカ渓谷における特に見応えのあるの景勝地です。
南米のパリとも称される首都ブエノスアイレス内には多くの見どころが点在しています。タンゴ発祥の地であるボカ地区、その中にあるカラフルな街並みのエリア・カミニート、街の中心地とも言える五月広場、著名人や有名人が埋葬される美しい墓地・レコレータ墓地など歴史と文化を感じられます。
大自然が生み出す絶景が盛りだくさんのパタゴニア。トレッキングやラフティングができる、ロス・グラシアレス国立公園は世界遺産にも登録されている氷河の絶景。
パタゴニアの氷河は南極、グリーンランドに次いで世界第3位の規模と言われており、特にペリト・モレノ氷河は現在でも活発に活動する氷河で人気の観光名所の一つ。
最南端の街、ウシュアイアも多くの観光客の訪れる地でブエノスアイレスから飛行機で約3時間で訪問できます。南極へのツアーもここからスタート。パタゴニアは自然好きなら一生に一度は訪れてみたい場所ではないでしょうか。
国際関係
アルゼンチンはチリやボリビアなどの近隣諸国と歴史上争った過去があるものの、現在ではその関係性を重視しており、主要な貿易相手でもあります。ブラジルやパラグアイなどと共にメルコスール*6の一員でもあり、経済的な繋がりが強いです。
その中では文化的に近しいウルグアイとは特に良好な関係性で、ヨーロッパ諸国においては、イタリア系の民族が国民の過半数を占めることからイタリア、言語が共通しており、アルゼンチン人の出稼ぎや移住先としても人気のスペインとの関係性が特に深いです。
外交的には西側諸国とも中国ともバランスの良い関係性を維持する方針をとっています。
領土係争地:フォークランド諸島(アルゼンチンーイギリス)
まとめ
アルゼンチンは圧巻の大自然と豊かな文化の共存する魅力溢れる国です。人々は愛国心が強く、その文化に対する情熱と誇りを常に忘れることはありません。
日本の裏側にあり、物理的に遠い国ですが時間をかけて訪れる価値は十分にあると思います。自然、文化、料理、人々などどの面においてでも日本とは全く違う魅力を感じられるはずです。
オンラインカジノ生誕の地 アンティグア・バーブーダ
カリブ海に浮かぶ小さな島国、アンティグア・バーブーダは小アンティル諸島を構成する国で、英連邦王国*1の一つです。周囲は、セントクリストファー・ネービスや英領モントセラトなど同様の小さな島国に囲まれています。
アンティグア島とバーブーダ島の大きな二つの島と、無数の小島で構成されており、美しいビーチが無数に存在する南国です。
日本人にとっては、遠く離れた小さな島国であまり馴染みのない国かもしれません。では、種子島ほどの面積のこの島国が実際にはどんな国なのか見ていきましょう。
基本情報
気候:熱帯雨林気候(Af)に区分され、年間を通して平均最高気温が30℃前後と温暖な常夏の国です。熱帯気候の割に降水量が少なく、湿度が低くカラッとしていますが、時々ハリケーンが襲来します。
2017年に発生したハリケーン・イルマは甚大な被害をもたらし、特にバーブーダ島では95%ほどの家屋が損壊したという壊滅的な被害を受けました。その後に別のハリケーンも接近してきたこともあって、島民全員がアンティグア島に一時避難、バーブーダ等は約300年ぶりに無人となりましたが現在ではその多くがバーブーダ島に戻っています。
地理
島は全体的に平坦な地形をしており、最高峰はかつての火山の噴火口跡であるボギー山の402m。島の周囲には、珊瑚礁やラグーンなど美しい海が広がっており、豊かな海洋生態系を形成しています。
北東からの貿易風*2が常に吹いていますが、標高が低いため降水量は少なく、旱魃が発生することも珍しくありません。
国内には河川がほとんどなく、水資源の不足が大きな問題です。湖沼の水や雨水を貯水して利用していますが、十分な量を確保できていません。
行政区画
アンティグア・バーブーダの大きな行政区画は、6つの教区+セントジョーンズの7教区と二つの属領(バーブーダ島、レドンダ島)です。また、いくつかの都市は複数の教区を跨っているものもあります。
レドンダ島
アンティグア島南西50km程の、モントセラトとセントクリストファーネービスの間に位置する島です。
かつてはリン鉱石の採掘が行われていましたが、第一次世界大戦中に停止し、現在に至るまで無人島となっています。島には固有種が存在し、いくつかの海鳥の繁殖地ですが、ヤギやネズミによってその生態系が脅かされていました。そこで、環境保護団体が2016年にネズミやヤギの駆除を実施、その成果は着実に出ており、固有の生態系が少しずつ回復しつつあります。
歴史
アンティグア島は1493年にクリストファーコロンブスによって発見され、スペインのセビリアにあるサンタ・マリア・ラ・デ・アンティグア教会にちなんで名付けられました。
島の原住民はヨーロッパからの侵略に1世紀以上抵抗し続けたものの、17世紀になってついにイギリスからの入植を許し、その後砂糖の生産地としてスペイン、フランス、イギリスとヨーロッパ諸国の植民地となり、バーブーダ島も1678年に植民地化されています。この時、労働力としてアフリカから奴隷が連れてこられ、現在のアンティグア・バーブーダ国民の多くは彼らの子孫です。
18世紀末になると、アンティグア島は戦略上の重要拠点と見做されるようになり、主要航路の拠点として「カリブ海への玄関口」と呼ばれ要塞などが建設されました。
1834年にイギリスが奴隷解放を行い、アンティグア島の経済状況は徐々に改善されていきます。しかし、元奴隷の人々の生活は依然苦しく、結局劣悪な環境で働くことを余儀なくされていました。
1967年、自治権を得て周囲のカリブ諸国と連携を図りいくつかの組織を結成、現在でも東カリブ諸国機構(OECS)として存続しています。そして、1981年に完全な独立を果たしました。
情勢
治安面について、とりわけ悪いわけではありませんが多くの途上国と同様にスリや窃盗などの軽犯罪がそれなりに発生しており、観光客を狙った犯罪も少なくありません。
経済
アンティグア・バーブーダはオンラインカジノが始まった地として知られており、1994年に世界で初めて政府が公式にライセンスを発行しました。そして現在でも、アンティグア・バーブーダにとってオンラインカジノ事業は経済を支える大きな収入源です。
観光業も盛んであり、リゾート地として主に欧米から多くの観光客が訪れています。貿易相手国としてもEU諸国や米国の占める割合が高く、日本も自動車の輸入先として重要な貿易相手国の一つです。
使用されている通貨の東カリブドルは、1米ドル=2.7東カリブドルの固定相場制を採用しているのが大きな特徴。
軍事
アンティグア・バーブーダ軍は総勢250人程度と、世界最小の軍隊です。主な役割は国防ですが、1983年のグレナダ侵攻ではアメリカ側として参戦しました。
ちなみに国内では軍人以外が迷彩服を着用するのは違法で、これは外国人も同様なので、観光の際は迷彩柄の服を着ないようにしましょう。
文化
料理
アンティグア・バーブーダの国民は西アフリカから奴隷として連れてこられた人々の末裔であることから、料理も西アフリカからの影響が大きいです。その他、旧宗主国のスペインやイギリス、またインドや中国からの影響も見られます。
とうもろこしやオクラをソテーにしたフンジーは、朝食や夕食としてよく食べられるアンティグア・バーブーダの国民食。バナナの葉にさつまいもやココナッツ、さまざまな調味料や香辛料を入れたドゥカナも伝統的な料理で、西アフリカに由来のある料理です。
スポーツ
国内では、クリケットが非常に人気で盛んなスポーツです。周辺国と合同で西インド諸島代表としてワールドカップなどの国際大会に参加して好成績を収めた実績があります。
サッカーも人気スポーツの一つで、アメリカ下部リーグに所属するプロチームも存在しますが、今のところW杯本戦へは出場していません。
音楽
料理と同様に、西アフリカをイメージさせるスタイルや雰囲気があります。また、トリニダード・トバゴの音楽が輸入されており、同国発祥の打楽器であるスティールパンが演奏に使われ、カリブ地域の代表的な音楽ジャンルであるカリプソはアンティグア・バーブーダ内でも広く浸透している音楽の一つです。
観光地
渡航基本情報
アンティグア・バーブーダの玄関口となるのはVCバード空港。日本からの直行便はなく、マイアミやトロントを経由することとなり、現地到着まで丸一日以上かかります。周囲の島々を含め、簡単に行ける場所ではないため訪れたついでにいくつかの島をアイランドホッピングするのも良いかもしれませんね。
国内の見所をいくつかご紹介
ハーフムーンベイ
アンティグア島南東部にあるビーチで、白い砂浜とカリブの青い海で海水浴やシュノーケリングを楽しめます。穴場的なビーチで、周囲は木々で囲まれ小さなレストランやカフェがいくつかあるだけなので、のんびりとした時間を過ごせるのではないでしょうか。
フォートジェームス
18世紀に築かれた要塞の一つで、首都・セントジョーンズを見渡せる岬に位置しています。当時築かれた要塞の中でも最大級のものの一つで、残っている大砲や建物の基礎、周囲を見渡せる眺望が見所です。
セントジョーンズ
首都のセントジョーンズは、クルーズ船の寄港地として人気の都市であり、ショッピングや街歩きが楽しめます。ネオバロック様式*3の塔を擁するセントジョン大聖堂や、カリブの歴史を知れるアンティグア・バーブーダ博物館など見所もたくさん。
入国の玄関口で、旅の拠点になることも多いと思うので1日散策に当ててもいいですね。
国際関係
アンティグア・バーブーダは諸外国との紛争や領土問題は特になく、多くの国際機関に加盟しており、多くの国と外交関係を維持しています。経済面では英米とのつながりが強く、ベネズエラも最大のビジネスパートナーの一つです。
東カリブ諸国とはいずれの国とも良好な関係を保っており、カリブ共同体(CARICOM)などの国際機関を通して経済や外交面での結びつきは非常に強く、密接な協力関係を築いています。中でも最近隣国であるセントクリストファー・ネービスとは、互いにかつて英領であったことなど類似点も多く特に親密な兄弟国のような関係性です。
まとめ
アンティグア・バーブーダはリゾート地として、またハネムーン先として特に欧米人に人気の国です。日本とはあまり接点がなく、距離も離れているのでどんな場所か想像しづらいかもしれません。カリブ海に浮かぶとても美しいこの南国の魅力を実際に確かめに行ってみてはいかがでしょうか。
物価の高さが世界一? アンゴラ
アフリカ大陸南西部に位置するアンゴラ共和国は、ザンビア、ナミビア、コンゴ民主共和国そして飛び地とコンゴ共和国が接している共和制国家です。首都ルアンダは世界一物価が高く、生活費が東京以上にかかると言われています。
20世紀は内戦で荒廃し、内戦終結後の21世紀初頭には石油やダイヤモンドなど豊富な資源をもとに急速な経済成長を遂げました。
しかし現在でも貧富の差や地雷の残存などによる治安の悪さから、不安定な面を拭いきれていません。そんなアンゴラが、実際にどんな国なのかみていきましょう。
基本情報
気候:国土の北部および内陸の北東部は雨季と乾季に分かれたサバナ気候(Aw)、南部や首都ルアンダを含む沿岸部はステップ気候(BSh)が広がり、ベンゲラ海流の影響で降水量が少ないです。また、国土の内陸中央部、上記の二つの気候の間は温暖冬季少雨気候(Cwa)となっています。
地理
日本の3.3倍ほどの国土の地形は大まかに平野の広がる沿岸部、沿岸部から内陸にかけての標高500m程度の丘陵地、標高1000mを超える内陸部の高地の3つに分けられます。
赤道に近い低緯度に位置していますが、付近を流れる寒流のベンゲラ海流の影響で、沿岸部は降水量の少ないステップ気候となっており、特に夏場はほぼ降雨がみられません。
国内には多くの河川が流れており、その多くが国土中央部の高原地帯を源流としています。その多くが大西洋側に注ぎ込み、灌漑用水や水力発電に利用することが期待されていましたが、現状実現しているのは一部の河川のみです。
北部にコンゴ民主共和国とコンゴ共和国に挟まれた飛び地・カビンダがあり、サバナ気候に属し、熱帯林が広がっています。また、産油地域であり、アンゴラ経済にとって重要な地域です。
葉脈のように広がる河川
アンゴラ東部のモヒコ州を衛星写真で見ると、葉脈のような地形をしているのがわかります。これは河川が複雑な広がりを見せていることで、葉脈のように見えているものです。また、この地域には部族の集落が点在しており、泥でできた壁と藁葺き屋根の家屋が見られます。
歴史
14世紀以前のアンゴラの歴史はいまだに不透明な部分が多く、1世紀頃にバントゥー系のアフリカ人が居住していたとされますが、そのほかの詳細は不明です。14世紀に現在のアンゴラ北部を含む周辺一帯にコンゴ王国が成立しました。
15世紀にポルトガル人探検家ディオコ・カンがコンゴ王国にやってきたことで、ポルトガル王国と対等な国交を結び、ポルトガルの文化を積極的に取り入れはじめます。しかし、ポルトガル王国はここを奴隷貿易の供給地とみなし、コンゴ王国は徐々に荒廃していきました。
16世紀にポルトガル領アンゴラが現在の首都ルアンダに成立、奴隷貿易はさらに加速して、数百万人もの奴隷が南米各地に送られたと言われています。
その後、数百年に渡りアンゴラはポルトガルの植民地となりますが、第二次世界大戦後アフリカ全土で脱植民地の機運が高まり、1961年にアンゴラ独立戦争が勃発。1974年にポルトガルでカーネーション革命*1が発生したのを機にアンゴラ人民共和国として独立を果たしました。
独立を果たしたものの、ソ連の支援するアンゴラ解放人民運動(MPLA)と、アメリカの支援するアンゴラ全面独立同盟(UNITA)、中国、フランスが支援するアンゴラ国民解放戦線(FNLA)との間で内戦が勃発。これは朝鮮戦争などと同様の冷戦時代における代理戦争の一つです。
冷戦終結に伴い、政権を握るMPLAは社会主義体制から路線を変更、1992年にアンゴラ共和国となりました。
内戦は飛び地のカビンダを除き2002年に終結、その後はダイヤモンドや原油の輸出によって急速な経済成長を遂げたものの、地雷が全土に残っていることや政治腐敗などいまだに多くの問題を抱えています。
島になった半島
南部のナミビアとの国境付近にティグレス島と言うアンゴラ最大の島があります。この島はかつて本土と繋がった半島漁村が一つあり、パイプラインを通して水の供給が行われていました。
本土とつなぐ狭い地峡は徐々に海蝕されており、1962年に地峡はついに突き破られ、同時に水の供給も絶たれてしまいます。これにより半島は一夜にして島となり漁村は放棄され、現在ではゴーストタウンと化してしまいました。
情勢
内戦が終結し経済成長も著しいものの、貧富の差、地雷などによりまだまだ安全とは言えません。特に飛び地のカビンダ州は武装グループの存在も確認されており、外国人を標的とした犯罪が発生しています。
経済
長きに渡る内戦によりインフラが破壊し尽くされ、多くの犠牲者が出たことであんごらの経済は疲弊しきっていました。内戦終結後は石油やダイヤモンドといった豊富な資源をもとに、年平均15%程の高い経済成長をみせています。
産油量はサハラ以南のアフリカ諸国で第一位、ダイヤモンドの産出量はアフリカ第三位と豊富な埋蔵量を誇り、特に中国への最大の原油輸出国です。
アンゴラは腐敗認識指数*2がワーストトップクラスであり、高い経済成長率を誇っているにもかかわらず、国民生活に還元されず貧困状態の改善が見られません。
物価
アンゴラの首都ルアンダは世界一物価が高い都市とされていた時期もあり、市内で賃貸を借りると日本円換算で10万円以上すると言われています。しかし、実際は物価が高くなったわけではありません。
著しい経済成長に伴い物価の上昇が著しく進んだこと、公定レートが非常に高く設定されていることにより相対的に物価が高く感じるわけです。
カビンダ
北部の飛び地であるカビンダ州は国内最小の州でありながら原油を産出しており、アンゴラにとって重要な地域です。そんなカビンダ州では内戦が終結した今でも独立運動が続いており、紛争状態にあります。
原油の産出による恩恵をカビンダの人々が全く受けていないこと、文化的にも物理的にも隔絶していることが大きな要因です。高い失業率、未整備のインフラによって住民の生活は困窮を極めています。
文化
アンゴラは長きにわたってポルトガルの支配下にあったことから、ポルトガルの文化が広く浸透しています。公用語がポルトガル語であることをはじめ、国民の半数がキリスト教であることや料理などなど。また、様々な部族の伝統的な文化も残っており、それらの文化とポルトガル文化が混じり合って独自の文化を形成したりと多様な文化が共存しています。
言語
アンゴラはポルトガル語が公用語であるものの、大多数の国民はバントゥー系の国民言語を母語としており、それらの母語を話します。
料理
アンゴラ料理はポルトガルに強く影響を受けており、コンゴ民主共和国の食文化も北部地域を中心に反映されています。また、国土が広いため地域によって食文化に差異があり、使われる食材もバラエティ豊富です。
キャッサバやとうもろこしの粉をお湯と混ぜて作るフンジはアンゴラ人にとっての主食です。北部ではキャッサバを、南部ではとうもろこしを主に使用し、他の料理と共に食べたりもします。
その他の料理としては、パーム油などを使った豆料理、焼き魚、芋類などを混ぜたムフェーテ、魚や干し肉などをスパイスなどで味付けしたカルルーなど。
文学
アンゴラ文学は19世紀半ばにポルトガル語によって誕生しました。ポルトガル文学との差異が顕著に見られ、詩や小説において著名な作家が数多く現れ、様々な作品を残しています。
音楽
アンゴラの首都ルアンダでは、さまざまな音楽様式が生まれました。特にセンバは多くの音楽様式の前身であり、その中で代表的なのがブラジルのサンバ。植民地時代から広く国民に浸透しているアンゴラを象徴する音楽です。
観光地
渡航基本情報
アンゴラの玄関口となるのは、首都ルアンダにあるクアトロ・デ・フェベレイロ空港。日本からの直行便はなく、近隣のアフリカ諸国かヨーロッパ諸国を経由することになります。
主な観光地をいくつかピックアップ
キサマ国立公園
ルアンダの南80km程の場所にある国立公園で、かつては猟銃保護区でした。戦争によって一時動物たちは絶滅の危機にありましたが、現在は個体数を徐々に増えており、多種多様な生態系を観察できます。
ミラドゥーロ・ダ・ルーア
切り立った崖と地層が見られるスポットで、自然の作り出したアートとも言える場所です。首都から近く、車で気軽に行ける距離にあります。
ルアンダ島
首都ルアンダの沖合にある砂嘴*3で、ビーチが広がりレストランやバーが立ち並ぶ言わばリゾート地。地元の漁師が獲った新鮮な魚を味わえます。
国際関係
全方位外交を行なっており、かつては敵対していた西側諸国とも冷戦終結後から外交関係を結んでいます。
現在のアンゴラは、旧宗主国であるポルトガルや、同じポルトガル語圏であるブラジルとの結びつきが強く、ポルトガル語諸国共同体*4の一員としてモザンビークなどその他ポルトガル語圏の国々との関係も良好です。
中国は最大の貿易相手国で、首都ルアンダの一部の区画では中国側のインフラ投資によりビルやアパートが数多く建設されたものの、アパートが高額なため入居者がほとんど現れず、ほぼ無人の状態となっています。
まとめ
アンゴラは今も変化と成長の途中にある国です。急激な経済成長を遂げたとは言え、まだ内戦終結から立て直しに十分な時間が経ったわけではありません。今なお残る課題の解決にはまだ時間がかかると思います。
しかし、高い経済成長率からわかるようにポテンシャルが高い国であることは間違いありません。今後アンゴラがどのように変化を見せてくれるのか目が離せませんね。
山の中のミニ国家 アンドラ
アンドラ公国はスペインとフランスの間、ピレネー山脈に位置するミニ国家*1です。現在世界に3カ国のみ存在する公国*2の一つで、金沢市とほぼ同程度の国土面積しかありません。
小さな国ですが、先史時代より定住者がおり、長い歴史を誇っています。特殊な体制を敷いている国で、かつてはタックスヘイブンに該当する地域でした。
人口の何倍もの観光客の訪れる観光立国であり、安全で小さな国土に魅力がたっぷり詰まっています。そんなアンドラがどんな国か見ていきましょう。
基本情報
気候:穏やかで年間を通して降水量が一定の西岸海洋性気候(Cfb)に分類されます。ただし、山がちな地形であるため、標高の高い地域では冬に降雪量が多く夏場は比較的冷涼です。首都のアンドラ・ラ・べリャも標高1000m地点の山中にあるため、夏場でも肌寒いです。
地理
アンドラはスペインとフランスに囲まれた内陸国で、国土全体が山岳地帯となっています。2000m峰が無数に点在し、最高峰のコマ・ペドローザは2946m、最低地点の標高は840mです。
国境線はスペインとの間で64km、フランスとの間で57km接しています。国土面積はヨーロッパで六番目に小さく、同時にヨーロッパ内のミニ国家の中では最大です。
山がちな地形故、冬はスキーリゾートとして人気が高く、また、国内には172もの湖があり、7つの河川が流れています。
ピレネー山脈
ピレネー山脈はイベリア半島を地中海から大西洋にかけて約430km走る山脈です。スペインとフランスの国境線上にあり、山脈内にアンドラが位置しています。
地質はアルプス山脈より古く、主に花崗岩と石灰岩で構成されている褶曲山脈*3です。また、アルプス・ヒマラヤ造山帯の一部でもあります。
歴史
アンドラは紀元前より定住があったとされており、現在のアンドラ公国の起源は9世紀初頭にスペイン辺境伯の一人、ウルヘル伯の自治領となったところが始まりです。
その後、ウルヘル司教に宗主権が譲渡され、一部統治権を得ていたフォワ伯との間で争いが生じます。この争いは1278年、両者が共同統治する宗主契約を結んだことで終結しました。
16世紀後半にフォワ伯側の統治権がフランス国王に譲渡されアンドラは公国となり、フランスが共和国となったことで、統治権はフランス大統領へと継承されています。
1993年に新憲法が制定され、国民投票で可決されたことで正式に独立国家となりました。
情勢
治安は非常に良好で、国の規模が小さいこともあり凶悪犯罪はほぼ発生していません。夜間にも問題なく出歩くことが可能で、日本と同程度に最低限の防犯対策をしていれば十分です。
政情も安定しており周辺国との関係も良好、強いて危険な面を挙げるとするならば、山がちな地形故雪崩や地滑りが発生する可能性があることくらいでしょう。
政治
アンドラは独立した主権国家ですが、国家元首はスペインのウルヘル司教とフランス大統領の二人で、国家成立時から続く共同君主制を今でも採用しています。
敵対する国家が存在しないため、国防をスペインとフランスに委任しており、自国の軍隊を持っていません。
経済
財政収入の大半をEUからの輸入関税に頼っており、主要産業は観光業です。地形を生かしたトレッキングやスキーなどのアウトドアスポーツが楽しめる場所が豊富で、特にスキーリゾートしての人気が高く、冬場は多くの人で賑わいます。
また、タバコやブランド品などが周辺国と比較して安く、免税店も数多く軒を連ねているためスペインやフランスからの買い物客も非常に多いです。
かつてはタックスヘイブンとしてマネーロンダリングや資金隠しに利用されており、タックスヘイブンの監視対象であるグレーリストに登録されていました。この状況を改善するため、2012年より非居住者に対する直接税の課税が徐々に導入されていき、2018年にグレーリストから削除されています。
文化
アンドラはフランス、スペイン、ポルトガルの文化が混じり合ったカタルーニャ文化を形成している地であり、唯一カタルーニャ語が国家の公用語となっている国です。
スポーツ:スキーやトレッキング、マウンテンバイクなど山に囲まれた国土を生かしたスポーツが盛んです。また、サッカーも人気があり、プロサッカーチームによる国内リーグも存在します。
教育:アンドラ人は子供の教育に使用する言語をカタルーニャ語、スペイン語、フランス語の中から自由に選択できます。選択した言語を使用する学校に通わせることになりますが、最も選ばれている言語は公用語であるカタルーニャ語ではなく、フランス語です。
そして、国民の多くが上記の三言語を全て話せるトライリンガルであり、加えて英語を話せる人も少なくありません。
料理:アンドラ料理はカタルーニャ料理であり、スペインやフランスの影響を受けているため、似ている点が多いです。
代表的な料理は、パスタや野菜、肉類の入った国民食とも言われる煮込み料理のエスクデジャ(Escudella)、カタツムリにオリーブオイルやマヨネーズを加えてオーブンで焼いたカルゴルズ(Cargols)、淡水魚をハムで包んで焼いたトルチャアラアンドラナ(Trucha a la Andorrana)など。
観光地
渡航基本情報
国内には空港も鉄道駅もないため、アンドラへの渡航はフランスかスペインから長距離バス等を利用して陸路で行くことになります。
アンドラの観光地としての魅力は、周辺国と比べて安くショッピングができることと、地形を生かしたアウトドアスポーツやレジャー施設です。
アンドラ・ラ・べリャ
首都のアンドラ・ラ・べリャは人口22,000人ほどの小さな都市で、市内の名所は徒歩で回ることも可能。地元の工芸品からブランド品まで多くの土産物店があり、ショッピングを心ゆくまで楽しめます。
巨大なリラクゼーション施設であるカルデアは、プールやジャグジーなどの娯楽施設を完備しており、一日ゆっくりと疲れを癒せる施設です。
ホテルやレストランも充実しており、街中の教会や広場を散策するだけでも楽しめるのではないでしょうか。
アンドラ唯一の世界遺産で、国土の10%、42㎢の広さを誇る渓谷です。氷河、森林、岩山など豊かな自然に囲まれた場所で、野生動物の保護区でもあります。
人里離れた場所にある絶景を拝めるハイキングスポットで、アクセスは公共交通機関を使うより、レンタカーを利用するかツアーに参加するのが良いでしょう。
グランドバリラ
アンドラにはいくつものスキーリゾートがあり、その中でもグランドバリラは国内最大級のスキーリゾートの一つ。スキーワールドカップの予選会場にもなったこともあり、数多くのコースを抱える屈指のスキーリゾートです。
国際関係
1993年に国家として正式に独立し、国連にも加盟しました。国内ではユーロが法定通貨として使用されているものの、EUには加盟していません。
アンドラは現在、146カ国と外交関係を結んでおり、日本は1995年に外交関係を築きました。
隣国のスペイン、フランスとは経済面でのつながりも強く、この2カ国が最大貿易相手国です。
アンドラは5カ国の大使館と4カ国の領事館があり、自国は6カ国に大使館、1カ国に領事館を構えています。
大使館
・フランス
・イタリア(所在地はスペイン・バルセロナ)
・スペイン
領事館
・ベルギー
・フランス
・スイス
在外公館
・フランス
・スペイン
・ベルギー
・アメリカ(領事館)
ちなみに、在アンドラ日本国大使館は在フランス日本国大使館が兼任しています。
まとめ
アンドラは山の中にある小国で、日本から気軽に訪れるのは少し難しいかもしれません。しかし、アウトドアやショッピングにぴったりの国で、訪れたら楽しめる国であることに間違い無いと思います。
行く価値は十分にあるので、スペインやフランスを訪れた際に寄ってみてはいかがでしょうか。